「コーラン經」 曉天品 第八十九 [アル・フアジル] 默伽
「コーラン經」は日本初のコーラン全文翻訳本です
「コーラン經」は<譯者・坂本健一>{上下二巻}として世界聖典全集刊行會から(大正九年)発行されました
「コーラン經」の構成は凡例、目次、114品(章)の本文、附録として各品(章)の解題と註釋、イスラム教とコーランについての詳細な後書きから成っています。
ここでは114品(章)別に本文と解題と註釋をまとめて紹介します
本文の漢字・ルビ・送り仮名は大正時代そのままの形を復刻できるように努めました
曉天品[アル・フアジル](1-30節)の本文
大慈悲~の名に於て
一 曉天と十夜とによりて、
二 對なるものと單なるものとによりて、
三 來る夜によりて、
四 これに理解あるへの誓盟(ちかひ)あらずや。
五 爾曹は如何に爾曹の上帝がアドを遇せしかを思はずや、
六 高き柱を以て飾られしイラムの民を、
七 地上に比類(たぐひ)なき高き柱を以て、
八 谷の岩を()り(て家屋と爲せ)しタムドを、
九 刑柱の主たるファラオを、
 地上に暴を(たくまし)くし
一一 惡を(ほしいまま)にせしを。
一二 爾曹の上帝は渠等に種譴責(けんせき)を下せり、
一三 爾曹の上帝は(人閧フ行動を監し得る)望樓(ものみ)にあれば。
一四 加之ならず、その上帝(昌隆を以て)渠を試みて名譽(ほまれ)と物質とを與ふれば、
一五 人はいふ、わが上帝われを重んずと。
一六 されど渠(困厄を以て)渠を試みてその物質を減ずれば、
一七 人はいふ、わが上帝われを苦しむと。
一八 決して然らず。然るに爾曹孤兒(みなしご)を憐れまず、
一九 相(きそ)ひて貧を養はず、
 貪婪(どんらん)を以て(弱の)繼承を(むさぼ)り、
二一 飽くまで富貴を愛するよ。
二二 然して(爾曹斯く爲すべからず)。大地塵土と化し
二三 爾曹の上帝出で天使位次を正すとき、
二四 その日地獄は近からん、その日人は(その惡業(あくごう)を)想記するために徵されん、その記憶は何のuする所ぞ。
二五 渠いはん、われ今に至るまで生前に善行を修したらんにはと。その日何人も渠の如き責罰を以て罰せられず、
二六 また渠の如く羇縛(きばく)されず。
二七 噫、爾曹安き心靈(こころ)よ、
二八 爾の上帝に歸して自(果報を以て)スびまた~(よみ)せられよ、
二九 わが奴僕(しもべ)の閧ノ入れ、
 わが天堂に入れ。
曉天品[アル・フアジル](1-30節)の解題(題名の由来、啓示時期、内容解説)
イスラムヘの學には之を默コ那書となす說あれど洲學は直に前の後に踵ぐ默伽書と爲す。
 內容 曉天その他にかけての誓(一−四)。
    アド、タムド、ファラオの例を以て不信を戒しむ(五−一三〉。
    昌安には~を頌め困危には誹る人、孤兒貧虐待の禁、審判の日の恨は及ばず(一四−二五)。
    信者の天質の聖書(二六−三)。
曉天品[アル・フアジル](1-30節)の註釋(文字の解釈)
一 十夜は、ヅハッジァ(第十月)の十夜とする說、ムハルラム(第一月)の十日の夜となす說、またヅハッジァの十、十一、十二の三夜を指すとなす說あり。皆イスラムヘの~聖なる夜なり。曉天はその夜の曉。
二 對なるものと單なるものにとは、或は合して萬物の總括となし、或は對は萬有、單は~と爲し、或は上述の夜と曉天とを指すと爲すなど、異頗多し。
六 イラムIramはアド地方なり。或はいふ、イラムまたアラムAramはアドの父なりと。またいふ、アドに二子シァダッドShaddadシァヂッドShaddidあり。力を戮せて地を四方に拓きしが、弟の死後、兄シァダッドはアデンに天堂に擬せる樂園を設け大に高樓大厦を起しその曾父の名を取りてイラムと命名すと。高き柱または建築は之を指せり。一說には高く作られしものにて、古のアド族の軀幹長大をいふとなせり。
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