「コーラン經」 偸量品 第八十三 [アル・タトフィフ] 默伽
「コーラン經」は日本初のコーラン全文翻訳本です
「コーラン經」は<譯者・坂本健一>{上下二巻}として世界聖典全集刊行會から(大正九年)発行されました
「コーラン經」の構成は凡例、目次、114品(章)の本文、附録として各品(章)の解題と註釋、イスラム教とコーランについての詳細な後書きから成っています。
ここでは114品(章)別に本文と解題と註釋をまとめて紹介します
本文の漢字・ルビ・送り仮名は大正時代そのままの形を復刻できるように努めました
偸量品[アル・タトフィフ](1-36節)の本文
大慈悲~の名に於て
一 度量を(ぬす)
二 他人より受くる時充分に取る
三 他に量る時そを(あざむ)は不幸。
四 此等は復活を思はずや、
五 大なる日、
六 その日人閧ヘ萬物の主宰の前に立つべきを。
七 決して。洵に惡人の(行爲の)記錄は正しくサッジンに在り。
八 サッジンの何たるかを爾曹に知らしむるは何ぞ。
九 そは明載(めいさい)の記なり。
 僞瞞(いつはり)を以て(豫言を)責めし
一一 虛妄を以て審判の日を拒みしは不幸。
一二 虛妄を以てそを拒むは不正邪惡の徒に外ならず、
一三 そはわが表徵(しるし)の說かれし時、是往昔の寓言なりといひし
一四 決して。渠等の嗜欲(しよく)は其心鏡を掩へり。
一五 決して。洵に渠等は其日其上帝より拒まれ、
一六 燒かるべく地獄に投ぜられん、
一七 其時(渠等)いはれん、これ爾曹が虛妄として否みし所なりと。
一八 されど正しきの(行爲の)記錄はイルリユソなり。
一九 イルリユンの何たるかを爾曹に知らしむるは何ぞ。
 そは明載の記あり。
二一 ~(ちか)づくはその證たり。
二二 洵に正しきはス樂(の境)に在り
二三 榻床(ねどこ)に(坐して快き事物を)見る。
二四 爾曹その(おもて)歡喜(よろこび)に輝くを見ん。
二五 渠等は封ぜられし芳醇を飮まん、
二六 その(ふう)(しや)なり。(幸に)醉ふをして醉はしめよ。
二七 (まじ)ゆる所(の水)はタスニム、
二八 そを飮むは(~に)近づくなり。
二九 惡を行ふは眞の信を嘲笑し、
 その過ぐるや互に目を以てし、
三一 その民に向くや(いやし)き滑稽を爲し、
三二 その相見るや
三三 洵にこれ誤れるといふ。されど渠等は渠等の監視者にあらず。
三四 されば他日眞の信は不信を嘲笑せん、
三五 榻床(とこ)に(はりて地獄にある渠等を)俯瞰(ふかん)しながら。
三六 不信はこの所業に對して酬はれざらんや。
偸量品[アル・タトフィフ](1-36節)の解題(題名の由来、啓示時期、内容解説)
冒頭に度量を偸むを責むれば、以て品目と爲す。
時代は說紛たり。或は默伽書の最後默那默示の最初と爲すあり。暫くムイア等が宣傳第四年頃と爲すに從ふ。
內容
度量を偸む詰(一−六)。
惡行をサッジンにす(七−九)。
麻訶末を拒み審判を否むの不幸(一−一八)。
善行をイルリユンにす(一九−二一)。
天堂に於ける正の果報(二二−二八)。
今ヘ徒を嘲る後却りて嘲けられん(二九−三六)。
偸量品[アル・タトフィフ](1-36節)の註釋(文字の解釈)
七 サッジンSajjinは囚獄の義なり。或はいふ、第七地最低の地獄をサッジンと名づけイブリス等の居る處、此記錄其處に保存されば此名ありと。
一八 イルリユンIlliynnは高處の義。或はいふ、第七天なる~座の下を斯くいふ、善の記錄は其處に保存さるれば此名ありと。
二七 タスニムTasnimは天堂の原名なり。タスニムはサニマSanima(高く擧る)といふ語より出づ。
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