「コーラン經」 復活品 第七十五 [アル・キヤマト] 默伽
「コーラン經」は日本初のコーラン全文翻訳本です
「コーラン經」は<譯者・坂本健一>{上下二巻}として世界聖典全集刊行會から(大正九年)発行されました
「コーラン經」の構成は凡例、目次、114品(章)の本文、附録として各品(章)の解題と註釋、イスラム教とコーランについての詳細な後書きから成っています。
ここでは114品(章)別に本文と解題と註釋をまとめて紹介します
本文の漢字・ルビ・送り仮名は大正時代そのままの形を復刻できるように努めました
復活品[アル・キヤマト](1-40節)の本文
大慈悲~の名に於て
一 洵にわれ復活の日によりて誓ふ、
二 われ自責むる心によりて誓ふ、
三 われその骨を集めずとや人は思ふ、
四 左なり、その指の(小かなる)骨をも集め得。
五 されど人はその前にある所を否めり。
六 渠問へり、復活の日は何時ぞと。
七 されど眼眩き
八 太陰虧け
九 太陽と太陰と重會る時、
 その日人いはん、何處にか避くべきと。
一一 否、決して、遁るに地なからん。
一二 その日爾曹の上帝に安全の地あり。
一三 その日人はその最初に最後に爲せし所を語らざるべからず。
一四 左なり、人は己に對して自證せざるべからず。
一五 假令渠罪を謝するとも(そは容れられず)。
一六 爾の舌を勿動しそ、そを記憶せんと急ぎて、
一七 爾の心裏に(可蘭を)集めそを讀ましむるはわれに在り。
一八 されどわれそを讀誦する時、爾從ひて讀誦せよ、
一九 のちそを解くはわれに在り。
 決して(斯く未來に勿急ぎそ)。されど爾は過ぎ去るものを愛して
二一 來世を等閑にす。
二二 この日ある面は輝きて
二三 その上帝を見ん。
二四 この日ある面は暗く、
二五 不幸なる困厄の來らんを憂へん。
二六 に。人の心靈の(最後の苦痛に)その咽頭に來る時、
二七 (傍人は)いはん、誰か(そを醫する)呪文ありやと。
二八 そを(現世の)永訣と思はん、
二九 一脚を一脚と合せん。
 その日爾曹の上帝に渠は逐はれん。
三一 渠は信ぜずまたらざれば
三二 僞瞞を以て(~の使徒を)讒り(それに從ふを)避けたれば、
三三 その時渠は傲然と去りてその民にゆきたれば。
三四 されば不幸は爾曹に、不幸、
三五 再び、不幸は爾曹に、不幸。
三六 渠充分の自由ありと人は思ふや。
三七 渠一滴のを漏らさりしや。
三八 のち渠凝血と化せり、~は渠を形成れり、渠を齊整たり、
三九 渠に男女の兩性を創造れり
 (之を爲せる)~死を甦らし得ずや。
復活品[アル・キヤマト](1-40節)の解題(題名の由来、啓示時期、内容解説)
復活の名は首の文字によりしのみならず、また能く全品の命意に適す。唯一六−一九の數句は全然他の入なりととす。
時代は宣傳第五年の始とすべし。
內容
~は復活の力あるに不信は之を嘲笑し、その日人各赦を請ふに至る(一−一五)。
麻訶末は可蘭の傳授を天使に豫期せり(一六−一九)。
人は現世を愛し來世を等閑にす(二−二一)。
復活の日の正邪兩般の思量、死に臨みて力なき人(二二−三六)。
人を創造せし~はそを復活し得(三七−四)。
復活品[アル・キヤマト](1-40節)の註釋(文字の解釈)
 過ぎ去るものは飛ぶが如く去る現世の快樂。
二九 脚と脚とを合すは死の兩脚を竝べ伸ばすこと。
三四 三四、三五の兩は「時は爾に近づけリ、近づけり。 爾にu近づけり、更に近づけり」と譯せるあり。
Office Murakami