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四つの福音書による一つのイエス物語325 |
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マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました |
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます |
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています |
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました |
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325 |
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七人の弟子に姿を現す |
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか |
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ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ |
ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ |
ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ |
ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ |
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馬可傳iケ書 |
馬太傳iケ書 |
路加傳iケ書 |
約翰傳iケ書 |
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マルコ傳iケ書 |
マタイ傳iケ書 |
ルカ傳iケ書 |
ヨハネ傳iケ書 |
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マルコによる福音書 |
マタイによる福音書 |
ルカによる福音書 |
ヨハネによる福音書 |
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21;1〜14 |
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第二一章一〜一四節 |
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう |
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約翰傳iケ書第二一章 |
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一 此後イエス復テベリアの湖にて弟子等に己を現せり其現せること左の如し |
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二 シモンペテロとデドモと云るトマス及ガリラヤのカナのナタナエルとゼベダイの子等また他の二人の弟子ともに在 |
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三 シモンペテロ彼等に曰けるは我漁に往ん彼等いひけるは我儕も偕に往ん彼等いでゝ舟に登しが此夜は何の所獲も無りき |
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四 已に夜も明たるにイエス岸に立り然ど弟子等そのイエスなる事を知ず |
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五 イエス彼等に曰けるは小子どもよ食物あるや彼等こたへけるは無 |
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六 イエス彼等に曰けるは網を舟の右に撒ば所獲あらん遂に網をうつ魚おほきに因て曳擧ること能はず |
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七 是に於てイエスの愛せし所の彼弟子ペテロに曰けるは是主なりシモンペテロ主なりと聞て裸なりしが衣をつけ帶して湖に投入ぬ |
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八 他の弟子等は小舟にて魚の入たる網を曳て至れり蓋岸を距こと遠からず五十間許なりければ也 |
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九 岸に着しに炭火と其上に載たる魚およびパンあるを見たり |
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十 イエス彼等に曰けるは今獲し所の魚を少し携來れ |
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十一 シモンペテロ舟にゆき網を岸に曳來しに其網の中に大なる魚百五十三尾いりたり如此おほかりけれど網は裂ざりき |
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十二 イエス彼等に曰けるは來て食せよ弟子たち敢て彼に爾は誰なると問ることをせず此は主なりと知ばなり |
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十三 イエス來てパンを取かれらに予ふ魚をも亦その如せり |
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十四 イエス死より甦りしのち己を弟子等に現せること是三次なり |
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう |
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ヨハネ傳iケ書第二一章 |
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一 この後、イエス復テベリヤの海邊にて己を弟子たちに現し給ふ、その現れ給ひしこと左のごとし。 |
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二 シモン・ペテロ、デドモと稱ふるトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子ら及びほかの弟子二人もともに居りしに、 |
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三 シモン・ペテロ『われ漁獵にゆく』と言へば、彼ら『われらも共に往かん』と言ひ、皆いでて舟に乘りしが、その夜は何をも得ざりき。 |
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四 夜明の頃イエス岸に立ち給ふに、弟子たち其のイエスなるを知らず。 |
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五 イエス言ひ給ふ『子どもよ、獲物ありしか』彼ら『なし』と答ふ。 |
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六 イエス言ひたまふ『舟の右のかたに網をおろせ、然らば獲物あらん』乃ち網を下したるに、魚夥多しくして、網を曳き上ぐること能はざりしかば、 |
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七 イエスの愛し給ひし弟子、ペテロに言ふ『主なり』シモン・ペテロ『主なり』と聞きて、裸なりしを上衣をまとひて海に飛びいれり。 |
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八 他の弟子たちは陸を離るること遠からず、僅に五十間ばかりなりしかば、魚の入りたる網を小舟にて曳き來り、 |
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九 陸に上りて見れば、炭火ありてその上に肴あり、又パンあり。 |
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一〇 イエス言ひ給ふ『なんぢらの今とりたる肴を少し持ちきたれ』 |
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一一 シモン・ペテロ舟に往きて網を陸に曳き上げしに百五十三尾の大なる魚滿ちたり、斯く多かりしが網は裂けざりき。 |
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一二 イエス言ひ給ふ『きたりて食せよ』弟子たちその主なるを知れば『なんぢは誰ぞ』と敢て問ふ者もなし。 |
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一三 イエス進みてパンをとり彼らに與へ、肴をも然なし給ふ。 |
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一四 イエス死人の中より甦へりてのち、弟子たちに現れ給ひし事、これにて三度なり。 |
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう |
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ヨハネによる福音書第二一章 |
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一 そののち、イエスはテベリヤの海べで、ご自身をまた弟子たちにあらわされた。そのあらわされた次第は、こうである。 |
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二 シモン・ペテロが、デドモと呼ばれているトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子らや、ほかのふたりの弟子たちと一緒にいた時のことである。 |
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三 シモン・ペテロは彼らに「わたしは漁に行くのだ」と言うと、彼らは「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って舟に乗った。しかし、その夜はなんの獲物もなかった。 |
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四 夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。しかし弟子たちはそれがイエスだとは知らなかった。 |
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五 イエスは彼らに言われた、「子たちよ、何か食べるものがあるか」。彼らは「ありません」と答えた。 |
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六 すると、イエスは彼らに言われた、「舟の右の方に網をおろして見なさい。そうすれば、何かとれるだろう」。彼らは網をおろすと、魚が多くとれたので、それを引き上げることができなかった。 |
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七 イエスの愛しておられた弟子が、ペテロに「あれは主だ」と言った。シモン・ペテロは主であると聞いて、裸になっていたため、上着をまとって海にとびこんだ。 |
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八 しかし、ほかの弟子たちは舟に乗ったまま、魚のはいっている網を引きながら帰って行った。陸からはあまり遠くない五十間ほどの所にいたからである。 |
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九 彼らが陸に上って見ると、炭火がおこしてあって、その上に魚がのせてあり、またそこにパンがあった。 |
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一〇 イエスは彼らに言われた、「今とった魚を少し持ってきなさい」。 |
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一一 シモン・ペテロが行って、網を陸へ引き上げると、百五十三びきの大きな魚でいっぱいになっていた。そんなに多かったが、網はさけないでいた。 |
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一二 イエスは彼らに言われた、「さあ、朝の食事をしなさい」。弟子たちは、主であることがわかっていたので、だれも「あなたはどなたですか」と進んで尋ねる者がなかった。 |
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一三 イエスはそこにきて、パンをとり彼らに与え、また魚も同じようにされた。 |
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一四 イエスが死人の中からよみがえったのち、弟子たちにあらわれたのは、これで既に三度目である。 |
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Office Murakami |