四つの福音書による一つのイエス物語322
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました
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322
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二人の弟子に姿を現す
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか
ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ  ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ
馬可傳iケ書 馬太傳iケ書 路加傳iケ書 約翰傳iケ書
マルコ傳iケ書 マタイ傳iケ書 ルカ傳iケ書 ヨハネ傳iケ書
マルコによる福音書 マタイによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書
16;12〜13 24;13〜35
第一六章一二〜一三節 第二四章一三〜三五節
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう
馬可傳iケ書第一六章
十二 此後かれらの中二人のク村へ往けるが路を行ときイエス變たる貌にて彼等に現る
十三 この二人のゆきて他の弟子等にけれども亦これをも信ぜざりき
路加傳iケ書第二四章
十三 當日二人の弟子エルサレムより三里ばかり隔りたるヱマヲと云る村に往けるに
十四 互に此等の所遇どもを語あへり
十五 語り論ずる時にイエス自ら近づきて偕に往り
十六 然ど彼等の目迷されて知ことを得ざりき
十七 イエス曰けるは爾曹行つ互に哀み談論ことは何ぞ乎
十八 その一人のクレオパと云る答けるは爾はエルサレムの旅人にして獨このごろ有し事を知ざる乎
十九 答けるは何事ぞや之に曰けるはナザレのイエスの事なり此人は~と萬民の前に於て行と言に大なる能ある預言者なりしか
二十 祭司の長と有司等かれを死罪に解して十字架に釘たり
二一 我イスラエルを贖はんは此人なりと望たりし又それ而已ならず此等の事の成しより今日は第三日なるに
二二 我の中なる或婦たち我を驚駭せり彼等朝はやく墓に往
二三 その屍を見ずして來り天使あらはれて彼は甦れりと云るを見たりと
二四 また我と偕に在しも墓に往たるに婦の言る如にて且かれを見ざりき
二五 イエス曰けるは預言の凡て言たる事を信ずる心の遲き愚なる
二六 キリストは此等のを受て其榮光に入べきに非や
二七 故にモセより凡の預言を始すべての聖書に於て己に就ての事は解明されたり
二八 彼等ゆく所の村に近きけるに彼ゆき過んと爲る狀をなせば
二九 彼等勸め曰けるは日晨きて暮に及ぬ我と偕に止れ彼いりて止る
三十 共に食に就る時パンをとり謝して擘かれらに予ければ
三一 二人のの目瞭かに爲て彼を識り又忽ち其目に見ず爲り
三二 彼等たがひに曰けるは途間にて我と語かつ聖書を解開ける時われらが心熱しに非ずや
三三 此時かれら起てエルサレムに歸り十一の弟子および同なる人の集り居に遇
三四 その人等の曰けるは主實に甦りシモンに現れたり
三五 二人のも途間にて所遇とパンを擘たまへるに因て識たる事を語れり
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう
マルコ傳iケ書第一六章
一二 此の後その中の二人、田舍に往く途をむほどに、イエス異りたる姿にて現れ給ふ。
一三 此の二人ゆきて、他の弟子たちに之をげたれど、なほ信ぜざりき。
ルカ傳iケ書第二四章
一三 よ、この日二人の弟子、エルサレムより三里ばかり隔たりたるエマオといふ村に往きつつ、
一四 凡て有りし事どもを互に語りあふ、
一五 語り、かつ論じあふ程に、イエス自ら近づきて共に往き給ふ。
一六 されど彼らの目遮へられてイエスたるを認むること能はず。
一七 イエス彼らに言ひ給ふ『なんぢらみつつ互に語りあふ言は何ぞや』かれら悲しげなる狀にて立ち止り、
一八 その一人なるクレオパと名づくるもの答へて言ふ『なんぢエルサレムに寓り居て獨り此の頃かしこに起りし事どもを知らぬか』
一九 イエス言ひ給ふ『如何なる事ぞ』答へて言ふ『ナザレのイエスの事なり、彼は~と凡ての民との前にて業にも言にも能力ある預言なりしに、
 祭司長ら及び我が司らは、死罪に定めんとて之を付し遂に十字架につけたり。
二一 我等はイスラエルを贖ふべきは、この人なりと望みゐたり、然のみならず此の事の有りしより、今日ははや三日めなるが、
二二 なほ我等のうちの或女たち、我らを驚かせり、ち彼ら朝夙く墓に往きたるに、
二三 屍體を見ずして歸り、かつ御使たち現れてイエスは活き給ふとげたりと言ふ。
二四 我らの朋輩の數人もまた墓に往きて見れば、正しく女たちの言ひし如くにしてイエスを見ざりき』
二五 イエス言ひ給ふ『ああ愚にして預言たちの語りたる凡てのことを信ずるに心鈍きよ。
二六 キリストは必ず此らの苦を受けて、其の榮光に入るべきならずや』
二七 斯てモセ及び凡ての預言をはじめ、己に就きて凡ての聖書に錄したる所を說き示したまふ。
二八 遂に往く所の村に近づきしに、イエスなほ進みゆく樣なれば、
二九 强ひて止めて言ふ『我らと共に留れ、時夕に及びて、日も早や暮れんとす』乃ち留らんとて入りたまふ。
 共に食事の席にきたまふ時、パンを取りてし、擘きて與へ給へば、
三一 彼らの目開けてイエスなるを認む、而してイエス見えずなり給ふ。
三二 かれら互に言ふ『途にて我らと語り我らに聖書を說明し給へるとき、我らの心、內に燃えしならずや』
三三 斯て直ちに立ちエルサレムに歸りて見れば、十一弟子および之と偕なるあつまり居て言ふ、
三四 『主は實に甦へりて、シモンに現れ給へり』
三五 二人のもまた途にて有りし事と、パンを擘き給ふによりてイエスを認めし事とを述ぶ。
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう
マルコによる福音書第一六章
一二 この後、そのうちのふたりが、いなかの方へ歩いていると、イエスはちがった姿で御自身をあらわされた。
一三 このふたりも、ほかの人々の所に行って話したが、彼らはその話を信じなかった。
ルカによる福音書第二四章
一三 この日、ふたりの弟子が、エルサレムから七マイルばかり離れたエマオという村へ行きながら、
一四 このいっさいの出来事について互に語り合っていた。
一五 語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれた。
一六 しかし、彼らの目がさえぎられて、イエスを認めることができなかった。
一七 イエスは彼らに言われた、「歩きながら互に語り合っているその話は、なんのことなのか」。彼らは悲しそうな顔をして立ちどまった。
一八 そのひとりのクレオパという者が、答えて言った、「あなたはエルサレムに泊まっていながら、あなただけが、この都でこのごろ起ったことをご存じないのですか」。
一九 「それは、どんなことか」と言われると、彼らは言った、「ナザレのイエスのことです。あのかたは、神とすべての民衆との前で、わざにも言葉にも力ある預言者でしたが、
二〇 祭司長たちや役人たちが、死刑に処するために引き渡し、十字架につけたのです。
二一 わたしたちは、イスラエルを救うのはこの人であろうと、望みをかけていました。しかもその上に、この事が起ってから、きょうが三日目なのです。
二二 ところが、わたしたちの仲間である数人の女が、わたしたちを驚かせました。というのは、彼らが朝早く墓に行きますと、
二三 イエスのからだが見当らないので、帰ってきましたが、そのとき御使が現れて、『イエスは生きておられる』と告げたと申すのです。
二四 それで、わたしたちの仲間が数人、墓に行って見ますと、果して女たちが言ったとおりで、イエスは見当りませんでした」。
二五 そこでイエスが言われた、「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ。
二六 キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか」。
二七 こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。
二八 それから、彼らは行こうとしていた村に近づいたが、イエスがなお先へ進み行かれる様子であった。
二九 そこで、しいて引き止めて言った、「わたしたちと一緒にお泊まり下さい。もう夕暮になっており、日もはや傾いています」。イエスは、彼らと共に泊まるために、家にはいられた。
三〇 一緒に食卓につかれたとき、パンを取り、祝福してさき、彼らに渡しておられるうちに、
三一 彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。すると、み姿が見えなくなった。
三二 彼らは互に言った、「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」。
三三 そして、すぐに立ってエルサレムに帰って見ると、十一弟子とその仲間が集まっていて、
三四 「主は、ほんとうによみがえって、シモンに現れなさった」と言っていた。
三五 そこでふたりの者は、途中であったことや、パンをおさきになる様子でイエスだとわかったことなどを話した。
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