四つの福音書による一つのイエス物語280
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました
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280
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「私は真の葡萄の木」
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか
ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ  ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ
馬可傳iケ書 馬太傳iケ書 路加傳iケ書 約翰傳iケ書
マルコ傳iケ書 マタイ傳iケ書 ルカ傳iケ書 ヨハネ傳iケ書
マルコによる福音書 マタイによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書
15;1〜11
第一五章一〜一一節
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう
約翰傳iケ書第一五章
一 我は眞の葡萄樹わが父は農夫なり
二 我に在て凡て實を結ざる枝は父これを剪除すべて實をむすぶ枝は之を潔む蓋ますます繁く實を結ばしめん爲なり
三 今なんぢら我曰し言によりて潔なれり
四 爾曹われに居さらば我また爾曹に居ん枝もし葡萄樹に連らざれば自ら實を結ぶこと能ず爾曹も我に連らざれば亦此の如ならん
五 我は葡萄樹なんぢらは其枝なり人もし我に居われ亦かれに居ば多の實を結ぶべし蓋もし爾曹われを離る時は何事をも行能ざれば也
六 人もし我に居ざれば離たる枝の如く外に棄られて枯るなり人これを集め火に投入て焚べし
七 爾曹もし我に居また我いひし言なんぢらに居ば凡て欲ふところ求に從ひて予らるべし
八 爾曹おほくの實を結ば我父これに由て榮をうく然ば爾曹わが弟子なり
九 父の我を愛し給ふ如く我なんぢらを愛す爾曹わが愛にをれ
十 若なんぢら我誡を守ば我愛に居ん我わが父の誡を守て其愛に居が如し
十一 我この事を爾曹に語るは我が喜なんぢらに在て爾曹の喜を盈しめんが爲なり
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう
ヨハネ傳iケ書第一五章
一 我は眞の葡萄の樹、わが父は農夫なり。
二 おほよそ我にありて果を結ばぬ枝は、父これを除き、果を結ぶものは、いよいよ果を結ばせん爲に之を潔めたまふ。
三 汝らは旣に潔し、わが語りたる言に因りてなり。
四 我に居れ、さらば我なんぢらに居らん。枝もし樹に居らずば、自ら果を結ぶこと能はぬごとく、汝らも我に居らずば亦然り。
五 我は葡萄の樹、なんぢらは枝なり。人もし我にをり、我また彼にをらば、多くの果を結ぶべし。汝ら我を離るれば、何事をも爲し能はず。
六 人もし我に居らずば、枝のごとく外に棄てられて枯る、人これを集め火に投入れて燒くなり。
七 汝等もし我に居り、わが言なんぢらに居らば、何にても望に隨ひて求めよ、然らば成らん。
八 なんぢら多くの果を結ばば、わが父は榮光を受け給ふべし、而して汝等わが弟子とならん。
九 父の我を愛し給ひしごとく、我も汝らを愛したり、わが愛に居れ。
 なんぢら若し、わが誡命をまもらば、我が愛にをらん、我わが父の誡命を守りて、その愛に居るがごとし。
一一 我これらの事を語りたるは、我が喜スの汝らに在り、かつ汝らの喜スの滿されん爲なり。
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう
ヨハネによる福音書第一五章
一 わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。
二 わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。
三 あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。
四 わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。
五 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
六 人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。
七 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。
八 あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。
九 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。
一〇 もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。
一一 わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。
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