四つの福音書による一つのイエス物語278
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました
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278
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「私を見た者は父を見た」
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか
ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ  ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ
馬可傳iケ書 馬太傳iケ書 路加傳iケ書 約翰傳iケ書
マルコ傳iケ書 マタイ傳iケ書 ルカ傳iケ書 ヨハネ傳iケ書
マルコによる福音書 マタイによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書
14;8〜14
第一四章八〜一四節
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう
約翰傳iケ書第一四章
八 ピリポ彼に曰けるは主よ我に父を示し給へ然ば足り
九 イエス彼に曰けるはピリポ我かく久く爾曹と偕に在しに未だ我を識ざるか我を見しは父を見しなり何ぞ父を我に示せと言や
十 われ父にをり父の我に在ことを信ぜざる乎われ爾曹に語し言は自ら語しに非ず我にをる父その行をなせる也
十一 我は父に在り父われに在と我つげし言を信ぜよ若信ぜずば我事に因て之を信ずべし
十二 誠に實に爾曹にん我を信ずるは我行ところの事を行ん且此より大なる事を行べし蓋われ我父へ往ばなり
十三 爾曹すべて我名に託て求ふ所のことは我すべて之を行ん父の榮の子に因て顯れんが爲なり
十四 若なんぢら何事にても我名に託て求は我これを行ん
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう
ヨハネ傳iケ書第一四章
八 ピリポ言ふ『主よ、父を我らに示し給へ、然らば足れり』
九 イエス言ひ給ふ『ピリポ、我かく久しく汝らと偕に居りしに、我を知らぬか。我を見しは父を見しなり、如何なれば「我らに父を示せ」と言ふか。
 我の父に居り、父の我に居給ふことを信ぜぬか。わが汝等にいふ言は己によりて語るにあらず、父われに在して御業をおこなひ給ふなり。
一一 わが言ふことを信ぜよ、我は父にをり、父は我に居給ふなり。もし信ぜずば、我が業によりて信ぜよ。
一二 誠にまことに汝らにぐ、我を信ずるは我がなす業をなさん、かつ之よりも大なる業をなすべし、われ父に往けばなり。
一三 汝らが我が名によりて願ふことは、我みな之を爲さん、父、子によりて榮光を受け給はんためなり。
一四 何事にても我が名によりて我に願はば、我これを成すべし。
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう
ヨハネによる福音書第一四章
八 ピリポはイエスに言った、「主よ、わたしたちに父を示して下さい。そうして下されば、わたしたちは満足します」。
九 イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。
一〇 わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである。
一一 わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。もしそれが信じられないならば、わざそのものによって信じなさい。
一二 よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。
一三 わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。
一四 何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。
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