四つの福音書による一つのイエス物語260
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました
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癒された人に真の盲は誰かを教える
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか
ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ  ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ
馬可傳iケ書 馬太傳iケ書 路加傳iケ書 約翰傳iケ書
マルコ傳iケ書 マタイ傳iケ書 ルカ傳iケ書 ヨハネ傳iケ書
マルコによる福音書 マタイによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書
9;35〜41
第九章三五〜四一節
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう
約翰傳iケ書第九章
三五 彼等が逐出しことを聞イエス尋て之に遇いひけるは爾~の子を信ずる乎
三六 答て曰けるは主よ彼として我信ずべきは誰なるや
三七 イエス曰けるは爾すでに彼をみる今なんぢと言はそれなり
三八 主よ我信ずと曰て彼を拜せり
三九 イエス曰けるは我審判せん爲に世に臨るち見ざるをしてみえ見るを反てと爲しむ
四十 イエスと偕に居しパリサイの人この言を聞て彼に曰けるは我なる乎
四一 イエス彼等に曰けるは爾曹もしならば罪なかるべし然ど今われら見と言しに因て爾曹の罪は存れり
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう
ヨハネ傳iケ書第九章
三五 イエスその追ひ出されしことを聞き、彼に逢ひて言ひ給ふ『なんぢ人の子を信ずるか』
三六 答へて言ふ『主よ、それは誰なる乎、われ信ぜまほし』
三七 イエス言ひ給ふ『なんぢ彼を見たり、汝と語るは夫なり』
三八 爰に、かれ『主よ、我は信ず』といひて拜せり。
三九 イエス言ひ給ふ『われ審判の爲にこの世に來れり。見えぬ人は見え、見ゆる人は盲目とならん僞なり』
 パリサイ人の中イエスと共に居りし、これを聞きて言ふ『我らも盲目なるか』
四一 イエス言ひ給ふ『もし盲目なりしならば、罪なかりしならん、然れど見ゆと言ふ汝らの罪は遺れり』
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう
ヨハネによる福音書第九章
三五 イエスは、その人が外へ追い出されたことを聞かれた。そして彼に会って言われた、「あなたは人の子を信じるか」。
三六 彼は答えて言った、「主よ、それはどなたですか。そのかたを信じたいのですが」。
三七 イエスは彼に言われた、「あなたは、もうその人に会っている。今あなたと話しているのが、その人である」。
三八 すると彼は、「主よ、信じます」と言って、イエスを拝した。
三九 そこでイエスは言われた、「わたしがこの世にきたのは、さばくためである。すなわち、見えない人たちが見えるようになり、見える人たちが見えないようになるためである」。
四〇 そこにイエスと一緒にいたあるパリサイ人たちが、それを聞いてイエスに言った、「それでは、わたしたちも盲人なのでしょうか」。
四一 イエスは彼らに言われた、「もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある。
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