四つの福音書による一つのイエス物語254
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました
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254
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善い僕と悪い僕の譬を語る
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか
ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ  ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ
馬可傳iケ書 馬太傳iケ書 路加傳iケ書 約翰傳iケ書
マルコ傳iケ書 マタイ傳iケ書 ルカ傳iケ書 ヨハネ傳iケ書
マルコによる福音書 マタイによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書
24;45〜51 12;41〜48
第二四章四五〜五一節 第一二章四一〜四八節
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう
馬太傳iケ書第二四章
四五 時に及て糧を彼等に予さする爲に主人がその僕等の上に立たる忠義にして智僕は誰なる乎
四六 その主人の來らん時かくの如く勤るを見る僕はなり
四七 我まことに爾曹にん其所有をみな彼に督らずべし
四八 若その惡僕おのが心に我が主人の來るは遲らんと意ひ
四九 その朋輩を打撻きて酒に醉たるどもと共に飮食し始なば
五十 その僕の主人おもはざるの日しらざるの時に來りて
五一 之を斬殺し其報を僞善と同うすべし其處にて哀哭切齒すること有ん
路加傳iケ書第一二章
四一 ペテロ曰けるは主よ此譬は我に言か又は凡の人に言か
四二 主いひけるは時に及て食物を給與しめん爲に主人がその僕等の上に立たる忠義にして智き家宰は誰なる乎
四三 其主人きたる時に是の如く勤るを見らる僕はなり
四四 我まことに爾曹にん其所有を皆かれに督らすべし
四五 若その僕心の中に我が主人の來るは遲らんと思その僕婢をき食飮して且酒に醉はじめば
四六 其僕の主人おもはざるの日しらざるの時に來りて之を斬殺し其報を不信と同うすべし
四七 僕主人の心を知ながら預備せず亦その心に從ざること多らん
四八 知ずしてべき事を作し事も少からん多く予らるゝ者は多く求らるべし多く托れば之より多く求べし
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう
マタイ傳iケ書第二四章
四五 主人が時に及びて食物を與へさする爲に、家ののうへに立てたる忠實にして慧き僕は誰なるか。
四六 主人のきたる時かく爲し居るを見らるる僕は幸なり。
四七 誠に汝らにぐ、主人すべての所有を彼に掌どらすべし。
四八 若しその僕、惡しくして心のうちに主人は遲しと思ひて、
四九 その同輩をきはじめ、酒徒らと飮食を共にせば、
 その僕の主人おもはぬ日しらぬ時に來りて、
五一 之を烈しく笞ち、その報を僞善と同じうせん。其處にて哀哭切齒することあらん。
ルカ傳iケ書第一二章
四一 ペテロ言ふ『主よ、この譬を言ひ給ふは我らにか、また凡ての人にか』
四二 主いひ給ふ『主人が時に及びて僕どもに定の糧を與ヘさする爲に、その僕どもの上に立つる忠實にして慧き支配人は誰なるか、
四三 主人のきたる時、かく爲し居るを見らるる僕は幸なるかな。
四四 われ實をもて汝らにぐ、主人すべての所有を彼に掌どらすべし。
四五 若しその僕、心のうちに主人の來るは遲しと思ひ、僕婢女をたたき、飮み食ひして醉ひ始めなば、
四六 その僕の主人おもはぬ日、知らぬ時に來りて、之を烈しく笞ち、その報を不忠と同じうせん。
四七 主人の意を知りながら用意せず、又その意に從はぬ僕は、笞たるること多からん。
四八 然れど知らずして、打たるベき事をなすは、笞たるること少からん。多く與ヘらるるは、多く求められん。多く人に托くれば、更に多くその人より請ひ求むベし。
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう
マタイによる福音書第二四章
四五 主人がその家の僕たちの上に立てて、時に応じて食物をそなえさせる忠実な思慮深い僕は、いったい、だれであろう。
四六 主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。
四七 よく言っておくが、主人は彼を立てて自分の全財産を管理させるであろう。
四八 もしそれが悪い僕であって、自分の主人は帰りがおそいと心の中で思い、
四九 その僕仲間をたたきはじめ、また酒飲み仲間と一緒に食べたり飲んだりしているなら、
五〇 その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰ってきて、
五一 彼を厳罰に処し、偽善者たちと同じ目にあわせるであろう。彼はそこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。
ルカによる福音書第一二章
四一 するとペテロが言った、「主よ、この譬を話しておられるのはわたしたちのためなのですか。それとも、みんなの者のためなのですか」。
四二 そこで主が言われた、「主人が、召使たちの上に立てて、時に応じて定めの食事をそなえさせる忠実な思慮深い家令は、いったいだれであろう。
四三 主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。
四四 よく言っておくが、主人はその僕を立てて自分の全財産を管理させるであろう。
四五 しかし、もしその僕が、主人の帰りがおそいと心の中で思い、男女の召使たちを打ちたたき、そして食べたり、飲んだりして酔いはじめるならば、
四六 その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰って来るであろう。そして、彼を厳罰に処して、不忠実なものたちと同じ目にあわせるであろう。
四七 主人のこころを知っていながら、それに従って用意もせず勤めもしなかった僕は、多くむち打たれるであろう。
四八 しかし、知らずに打たれるようなことをした者は、打たれ方が少ないだろう。多く与えられた者からは多く求められ、多く任せられた者からは更に多く要求されるのである。
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