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四つの福音書による一つのイエス物語252 |
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マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました |
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます |
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています |
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました |
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252 |
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その日が必ず来ることを予め告げる |
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか |
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ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ |
ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ |
ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ |
ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ |
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馬可傳iケ書 |
馬太傳iケ書 |
路加傳iケ書 |
約翰傳iケ書 |
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マルコ傳iケ書 |
マタイ傳iケ書 |
ルカ傳iケ書 |
ヨハネ傳iケ書 |
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マルコによる福音書 |
マタイによる福音書 |
ルカによる福音書 |
ヨハネによる福音書 |
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13;28〜32 |
21;34〜36 |
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第一三章二八〜三二節 |
第二一章三四〜三六節 |
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう |
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馬可傳iケ書第一三章 |
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二八 夫なんぢら無花果樹に由て譬を學その枝すでに柔かにして葉めぐめば夏の近を知 |
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二九 此の如く爾曹も凡て是等の事を見ば時ちかく門口に至ると知 |
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三十 われ誠に爾曹に告ん是等の事ことごとく成までは此民は逝ざるべし |
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三一 天地は廢ん然ど我言は廢じ |
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三二 其日その時を知者は惟わが父のみなり天にある使者も子も誰も知者なし |
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路加傳iケ書第二一章 |
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三四 爾曹みづからを愼よ恐くは飮食に耽り世事に累れ爾曹の心昏迷なりて慮よらざる時に此日なんぢらに臨ん |
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三五 これ機檻の如く遍く地の上に居者に臨むべし |
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三六 是故に爾曹儆醒て此臨んとする凡の事を避また人の子の前に立得やうに常に祈れ |
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう |
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マルコ傳iケ書第一三章 |
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二八 無花果の樹よりの譬を學べ、その枝すでに柔かくなりて葉芽めば、夏の近きを知る。 |
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二九 斯のごとく此等のことの起るを見ば、人の子すでに近づきて門邊にいたるを知れ。 |
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三〇 誠に汝らに吿ぐ、これらの事ことごとく成るまで、今の代は過ぎ逝くことなし。 |
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三一 天地は過ぎゆかん、然れど我が言は過ぎ逝くことなし。 |
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三二 その日その時を知る者なし。天にある使者たちも知らず、子も知らず、ただ父のみ知り給ふ。 |
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ルカ傳iケ書第二一章 |
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三四 汝等みづから心せよ、恐らくは飮食にふけり、世の煩勞にまとはれて心鈍り、思ひがけぬ時、かの日羂のごとく來らん。 |
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三五 これは徧く地の面に住める凡ての人に臨むべきなり。 |
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三六 この起るべき凡ての事をのがれ、人の子のまへに立ち得るやう、常に祈りつつ目を覺しをれ』 |
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう |
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マルコによる福音書第一三章 |
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二八 いちじくの木からこの譬を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。 |
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二九 そのように、これらの事が起るのを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。 |
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三〇 よく聞いておきなさい。これらの事が、ことごとく起るまでは、この時代は滅びることがない。 |
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三一 天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。 |
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三二 その日、その時は、だれも知らない。天にいる御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。 |
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ルカによる福音書第二一章 |
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三四 あなたがたが放縦や、泥酔や、世の煩いのために心が鈍っているうちに、思いがけないとき、その日がわなのようにあなたがたを捕えることがないように、よく注意していなさい。 |
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三五 その日は地の全面に住むすべての人に臨むのであるから。 |
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三六 これらの起ろうとしているすべての事からのがれて、人の子の前に立つことができるように、絶えず目をさまして祈っていなさい」。 |
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Office Murakami |