四つの福音書による一つのイエス物語226
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました
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226
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「アブラハムの前に私は在る」
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか
ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ  ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ
馬可傳iケ書 馬太傳iケ書 路加傳iケ書 約翰傳iケ書
マルコ傳iケ書 マタイ傳iケ書 ルカ傳iケ書 ヨハネ傳iケ書
マルコによる福音書 マタイによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書
8;31〜47
第八章三一〜四七節
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう
約翰傳iケ書第八章
三一 イエス己を信ぜしユダヤ人に曰けるは爾曹もし我道に居ば誠に我弟子なり
三二 かつ眞理を識ん眞理は爾曹に自由を得さすべし
三三 彼等こたへけるは我はアブラハムの裔なり未だ人の奴隷と爲しことなし爾曹に自由を得さすべしと爾の言しは如何なる事ぞ
三四 イエス彼等に曰けるは誠に實に爾曹にん凡て惡を行ふは惡の奴隷たり
三五 奴隷は恒に家に居ず子は恒に居
三六 是故に子もし爾曹に自由を賜なば爾曹誠に自由を得べし
三七 我なんぢらがアブラハムの裔なるを知されども我を殺さんと謀る蓋わが道なんぢらの衷に在ざれば也
三八 我は我父と偕に在て見しことを言なんぢらは爾曹の父と偕に在て見しことを行ふ
三九 彼等こたへてイエスに曰けるは我の父はアブラハムなりイエス曰けるは爾曹もしアブラハムの子ならばアブラハムの行をおこなふべし
四十 然るに今なんぢらは~に聞し眞理をる我を殺さんと謀る是アブラハムの行に非ず
四一 爾曹は爾曹の父の行をおこなふ也かれら曰けるは我は奸淫に由て生れず只一人の父あり~なり
四二 イエス彼等に曰けるは~もし爾曹の父ならば爾曹われを愛すべし我は~より出て來ればなり夫われは己に由て來るに非ず~われを遣し給へるなり
四三 爾曹なんぞ我いふ言を知ざるや蓋わが道を聽ことを得ざれば也
四四 爾曹己が父なる惡魔より出また其父の慾を行ふことを欲む彼は始より人を殺すなり又眞理に居ず蓋かれの衷に眞理なければ也かれがを言ときは己より出して言なり蓋かれは誑者また誑者の父なれば也
四五 われ眞理を言に因て爾曹われを信ぜず
四六 爾曹のうち誰か我を罪に定るある乎われ爾曹に眞理を語るに何故われを信ぜざる乎
四七 ~より出し~の言を聽なんぢらの聞ざるは~より出ざるに因てなり
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう
ヨハネ傳iケ書第八章
三一 爰にイエス己を信じたるユダヤ人に言ひたまふ『汝等もし常に我が言に居らば、眞にわが弟子なり。
三二 また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし』
三三 かれら答ふ『われらはアブラハムの裔にして未だ人の奴隷となりし事なし。如何なれば「なんぢら自由を得べし」と言ふか』
三四 イエス答へ給ふ『まことに誠に汝らにぐ、すべて罪を犯すは罪の奴隷なり。
三五 奴隷はとこしへに家に居らず、子は永遠に居るなり。
三六 この故に子もし汝らに自由を得させば、汝ら實に自由とならん。
三七 我は汝らがアブラハムの裔なるを知る、されど我が言なんぢらの衷に留らぬ故に、我を殺さんと謀る。
三八 我はわが父の許にて見しことを語り、汝らは又なんぢらの父より聞きしことを行ふ』
三九 かれら答へて言ふ『われらの父はアブラハムなり』イエス言ひ給ふ『もしアブラハムの子ならば、アブラハムの業をなさん。
 然るに汝らは今、~より聽きたる眞理を汝らにぐるなる我を殺さんと謀る。アブラハムは斯ることを爲さざりき。
四一 汝らは汝らの父の業を爲すなり』かれら言ふ『われら淫行によりて生れず、我らの父はただ一人、~なり』
四二 イエス言ひたまふ『~もし汝らの父ならば、汝ら我を愛せん、われ~より出でて來ればなり。我は己より來るにあらず、~われを遣し給へり。
四三 何故わが語ることを悟らぬか、是わが言をきくこと能はぬに因る。
四四 汝らは己が父、惡魔より出でて己が父の慾を行はんことを望む。彼は最初より人殺なり、また眞その中になき故に眞に立たず、彼は虛僞をかたる每に己より語る、それは虛僞にして虛僞の父なればなり。
四五 然るに我は眞をぐるによりて、汝ら我を信ぜず、
四六 汝等のうち誰か我を罪ありとして責め得る。われ眞をぐるに、我を信ぜぬは何故ぞ。
四七 ~より出づる~の言をきく、汝らの聽かぬは~より出でぬに因る』
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう
ヨハネによる福音書第八章
三一 イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。
三二 また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。
三三 そこで、彼らはイエスに言った、「わたしたちはアブラハムの子孫であって、人の奴隷になったことなどは、一度もない。どうして、あなたがたに自由を得させるであろうと、言われるのか」。
三四 イエスは彼らに答えられた、「よくよくあなたがたに言っておく。すべて罪を犯す者は罪の奴隷である。
三五 そして、奴隷はいつまでも家にいる者ではない。しかし、子はいつまでもいる。
三六 だから、もし子があなたがたに自由を得させるならば、あなたがたは、ほんとうに自由な者となるのである。
三七 わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫であることを知っている。それだのに、あなたがたはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉が、あなたがたのうちに根をおろしていないからである。
三八 わたしはわたしの父のもとで見たことを語っているが、あなたがたは自分の父から聞いたことを行っている」。
三九 彼らはイエスに答えて言った、「わたしたちの父はアブラハムである」。イエスは彼らに言われた、「もしアブラハムの子であるなら、アブラハムのわざをするがよい。
四〇 ところが今、神から聞いた真理をあなたがたに語ってきたこのわたしを、殺そうとしている。そんなことをアブラハムはしなかった。
四一 あなたがたは、あなたがたの父のわざを行っているのである」。彼らは言った、「わたしたちは、不品行の結果うまれた者ではない。わたしたちにはひとりの父がある。それは神である」。
四二 イエスは彼らに言われた、「神があなたがたの父であるならば、あなたがたはわたしを愛するはずである。わたしは神から出た者、また神からきている者であるからだ。わたしは自分からきたのではなく、神からつかわされたのである。
四三 どうしてあなたがたは、わたしの話すことがわからないのか。あなたがたが、わたしの言葉を悟ることができないからである。
四四 あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。
四五 しかし、わたしが真理を語っているので、あなたがたはわたしを信じようとしない。
四六 あなたがたのうち、だれがわたしに罪があると責めうるのか。わたしは真理を語っているのに、なぜあなたがたは、わたしを信じないのか。
四七 神からきた者は神の言葉に聞き従うが、あなたがたが聞き従わないのは、神からきた者でないからである」。
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