四つの福音書による一つのイエス物語220
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました
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220
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「私は遣わした方のもとに行く」
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか
ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ  ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ
馬可傳iケ書 馬太傳iケ書 路加傳iケ書 約翰傳iケ書
マルコ傳iケ書 マタイ傳iケ書 ルカ傳iケ書 ヨハネ傳iケ書
マルコによる福音書 マタイによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書
7;32〜36
第七章三二〜三六節
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう
約翰傳iケ書第七章
三二 パリサイの人民等のイエスに就て如此ひそかに語あふを聞すなはち祭司の長等とパリサイの人と彼を執んとて下吏を遣せり
三三 是に於てイエス曰けるは我なほ片時なんぢらと偕にをり而して後われを遣しゝ者に往ん
三四 なんぢら我を尋るとも遇べからず我をる所へ爾曹きたること能ざるべし
三五 ユダヤ人相互に曰けるは我の遇ざらん爲に彼に何處へ往んとする乎ギリシャに散しに往てギリシャの人をんとする乎
三六 彼が語て爾曹われを尋るとも遇べからず又わが在所へ爾曹來ること能ざる可と曰し言は何ぞや
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう
ヨハネ傳iケ書第七章
三二 イエスにつきて群衆のかくくことパリサイ人の耳に入りたれば、祭司長パリサイ人ら彼を捕へんとて下役どもを遣ししに、
三三 イエス言ひ給ふ『我なほ暫く汝らと偕に居り、而してのち我を遣し給ひしの御許に往く。
三四 汝ら我を尋ねん、されど逢はざるべし、汝等わが居る處に往くこと能はず』
三五 爰にユダヤ人ら互に言ふ『この人われらの逢ひ得ぬいづこに往かんとするか、ギリシヤ人のうちに散りをるに往きてギリシヤ人をヘへんとするか。
三六 その言に「なんぢら我を尋ねん、然れど逢はざるべし、汝ら我がをる處に往くこと能はず」と云へるは何ぞや』
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう
ヨハネによる福音書第七章
三二 群衆がイエスについてこのようなうわさをしているのを、パリサイ人たちは耳にした。そこで、祭司長たちやパリサイ人たちは、イエスを捕えようとして、下役どもをつかわした。
三三 イエスは言われた、「今しばらくの間、わたしはあなたがたと一緒にいて、それから、わたしをおつかわしになったかたのみもとに行く。
三四 あなたがたはわたしを捜すであろうが、見つけることはできない。そしてわたしのいる所に、あなたがたは来ることができない」。
三五 そこでユダヤ人たちは互に言った、「わたしたちが見つけることができないというのは、どこへ行こうとしているのだろう。ギリシヤ人の中に離散している人たちのところにでも行って、ギリシヤ人を教えようというのだろうか。
三六 また、『わたしを捜すが、見つけることはできない。そしてわたしのいる所には来ることができないだろう』と言ったその言葉は、どういう意味だろう」。
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