四つの福音書による一つのイエス物語209
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました
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209
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預言者の言葉通り人々から受け入れられない
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか
ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ  ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ
馬可傳iケ書 馬太傳iケ書 路加傳iケ書 約翰傳iケ書
マルコ傳iケ書 マタイ傳iケ書 ルカ傳iケ書 ヨハネ傳iケ書
マルコによる福音書 マタイによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書
12;37〜43
第一二章三七〜四三節
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう
約翰傳iケ書第一二章
三七 イエス彼等の前に如此おほくの休徵を行たれどもかれを信ぜざりき
三八 此は預言イザヤがいひし言に我し言を信ぜしに誰ぞや主の手は誰に顯れし乎と有に應へり
三九四 イザヤ復いふ彼等目にて見心にて悟り改めて醫ることを得ざらんが爲に彼その目をし其心を頑梗せりと此故に彼等信ずること能ず
四一 イザヤは彼の榮を見しにより彼に就て如此は語れるなり
四二 然ど有司等の中に多く彼を信ぜしも有しがパリサイの人を畏て明に信ずると言ざりき其會堂より黜られんことを恐たるに因
四三 これ彼等は~の榮より人の榮を喜るなり
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう
ヨハネ傳iケ書第一二章
三七 かく多くの徵を人の前におこなひ給ひたれど、なほ彼を肩ぜざりき。
三八 これ預言イザヤの言の成就せん爲なり。曰く『主よ、我らに聞きたる言を誰か信ぜし。主の御腕は誰に顯れし』
三九 彼らが信じ得ざりしは此の故なり。ちイザヤまた云へらく、
 『彼らの眼を暗くし、心を頑固にし給へり。これ目にて見、心にて悟り、飜へりて、我に醫さるる事なからん爲なり』
四一 イザヤの斯く云へるは、その榮光を見し故にて、イエスに就きて語りしなり。
四二 されど司たちの中にもイエスを信じたるもの多かりしが、パリサイ人の故によりて言ひ顯すことを爲ざりき、除名せられん事を恐れたるなり。
四三 彼らは~の譽よりも人の譽を愛でしなり。
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう
ヨハネによる福音書第一二章
三七 このように多くのしるしを彼らの前でなさったが、彼らはイエスを信じなかった。
三八 それは、預言者イザヤの次の言葉が成就するためである、「主よ、わたしたちの説くところを、だれが信じたでしょうか。また、主のみ腕はだれに示されたでしょうか」。
三九 こういうわけで、彼らは信じることができなかった。イザヤはまた、こうも言った、
四〇 「神は彼らの目をくらまし、心をかたくなになさった。それは、彼らが目で見ず、心で悟らず、悔い改めていやされることがないためである」。
四一 イザヤがこう言ったのは、イエスの栄光を見たからであって、イエスのことを語ったのである。
四二 しかし、役人たちの中にも、イエスを信じた者が多かったが、パリサイ人をはばかって、告白はしなかった。会堂から追い出されるのを恐れていたのである。
四三 彼らは神のほまれよりも、人のほまれを好んだからである。
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