四つの福音書による一つのイエス物語208
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました
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208
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一粒の麦の譬を語る
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか
ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ  ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ
馬可傳iケ書 馬太傳iケ書 路加傳iケ書 約翰傳iケ書
マルコ傳iケ書 マタイ傳iケ書 ルカ傳iケ書 ヨハネ傳iケ書
マルコによる福音書 マタイによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書
12;20〜26
第一二章二〇〜二六節
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう
約翰傳iケ書第一二章
二十 禮拜のため筵に上れるの中にギリシヤの人あり
二一 彼等ガリラヤのベテサイダの人なるピリポに來り求て曰けるは君よ我イエスに見えんことを欲ふ
二二 ピリポ來てアンデレにアンデレ亦ピリポと偕にイエスに
二三 イエス彼等に答て曰けるは人の子榮を受べき時いたれり
二四 誠に實に爾曹にん一粒の麥もし地に落て死ずば唯一にて在んもし死ば多の實を結ぶべし
二五 その生命を惜むは之を喪ひ其生命を惜ざるは之を存て永生に至るべし
二六 人もし我に事んとせば我に從ふべし我に事るは我をる所に在ん人もし我に事れば我父は之を貴ぶべし
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう
ヨハネ傳iケ書第一二章
 禮拜せんとて祭に上りたるの中に、ギリシヤ人數人ありしが、
二一 ガリラヤなるベツサイダのピリポに來り、請ひて言ふ『君よ、われらイエスに謁えんことを願ふ』
二二 ピリポ往きてアンデレにげ、アンデレとピリポと共に往きてイエスにぐ。
二三 イエス答へて言ひ給ふ『人の子の榮光を受くべき時きたれり。
二四 誠にまことに汝らにぐ、一粒の麥、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし。
二五 己が生命を愛するは、これを失ひ、この世にてその生命を憎は、之を保ちて永遠の生命に至るべし。
二六 人もし我に事へんとせば、我に從へ、わが居る處に我に事ふるもまた居るべし。人もし我に事ふることをせば、我が父これを貴び給はん。
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう
ヨハネによる福音書第一二章
二〇 祭で礼拝するために上ってきた人々のうちに、数人のギリシヤ人がいた。
二一 彼らはガリラヤのベツサイダ出であるピリポのところにきて、「君よ、イエスにお目にかかりたいのですが」と言って頼んだ。
二二 ピリポはアンデレのところに行ってそのことを話し、アンデレとピリポは、イエスのもとに行って伝えた。
二三 すると、イエスは答えて言われた、「人の子が栄光を受ける時がきた。
二四 よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。
二五 自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。
二六 もしわたしに仕えようとする人があれば、その人はわたしに従って来るがよい。そうすれば、わたしのおる所に、わたしに仕える者もまた、おるであろう。もしわたしに仕えようとする人があれば、その人を父は重んじて下さるであろう。
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