四つの福音書による一つのイエス物語204
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました
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204
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ラザロが甦ることをマルタに予め告げる
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか
ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ  ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ
馬可傳iケ書 馬太傳iケ書 路加傳iケ書 約翰傳iケ書
マルコ傳iケ書 マタイ傳iケ書 ルカ傳iケ書 ヨハネ傳iケ書
マルコによる福音書 マタイによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書
11;17〜27
第一一章一七〜二七節
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう
約翰傳iケ書第一一章
十七 イエス至てラザロが旣に墓に葬れて四日なるを知り
十八 ベタニヤはエルサレムに近し其距ること約そ廿七丁なり
十九 多のユダヤ人マルタとマリアを其兄弟の事に因て慰めんとて旣に彼等の所に來りをれり
二十 マルタはイエス來給へりと聞て之を出迎へマリアはなほ室に坐せり
二一 マルタ イエスに曰けるは主よ此に在せしならば我兄弟は死ざりしものを
二二 然ながら假令今にても爾が~に求る所のものは~なんぢに賜ふと知
二三 イエス曰けるは爾の兄弟は甦るべし
二四 マルタ イエスに曰けるは彼が末日の甦るべき時に甦らん事を知なり
二五 イエス彼に曰けるは我は復生なり生命なり我を信ずるは死るとも生べし
二六 凡て生て我を信ずるは永遠も死ることなし爾これを信ずるや
二七 彼イエスに曰けるは主よ然り我なんぢは世に臨るべきキリスト~の子なりと信ず
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう
ヨハネ傳iケ書第一一章
一七 さてイエス來り見給へば、ラザロの墓にあること、旣に四日なりき。
一八 ベタニヤはエルサレムに近くして、二十五丁ばかりの距離なるが、
一九 數多のユダヤ人、マルタとマリヤとをその兄弟の事につき慰めんとて來れり。
 マルタはイエス來給ふと聞きて出で迎へたれど、マリヤはなは家に坐し居たり。
二一 マルタ、イエスに言ふ『主よ、もし此處に在ししならば、我が兄弟は死なざりしものを。
二二 されど今にても我は知る、何事を~に願ひ給ふとも、~は與へ給はん』
二三 イエス言ひ給ふ『なんぢの兄弟は甦へるべし』
二四 マルタ言ふ『をはりの日、復活のときに甦へるべきを知る』
二五 イエス言ひ給ふ『我は復活なり、生命なり、我を信ずるは死ぬとも生きん。
二六 凡そ生きて我を信ずるは、永遠に死なざるべし。汝これを信ずるか』
二七 彼いふ『主よ然り、我なんぢは世に來るべきキリスト、~の子なりと信ず』
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう
ヨハネによる福音書第一一章
一七 さて、イエスが行ってごらんになると、ラザロはすでに四日間も墓の中に置かれていた。
一八 ベタニヤはエルサレムに近く、二十五丁ばかり離れたところにあった。
一九 大ぜいのユダヤ人が、その兄弟のことで、マルタとマリヤとを慰めようとしてきていた。
二〇 マルタはイエスがこられたと聞いて、出迎えに行ったが、マリヤは家ですわっていた。
二一 マルタはイエスに言った、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう。
二二 しかし、あなたがどんなことをお願いになっても、神はかなえて下さることを、わたしは今でも存じています」。
二三 イエスはマルタに言われた、「あなたの兄弟はよみがえるであろう」。
二四 マルタは言った、「終りの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています」。
二五 イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。
二六 また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。
二七 マルタはイエスに言った、「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております」。
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