四つの福音書による一つのイエス物語185
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました
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185
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塩の譬を語る
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか
ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ  ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ
馬可傳iケ書 馬太傳iケ書 路加傳iケ書 約翰傳iケ書
マルコ傳iケ書 マタイ傳iケ書 ルカ傳iケ書 ヨハネ傳iケ書
マルコによる福音書 マタイによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書
9;49〜50 5;13 14;34〜35
第九章四九〜五〇節 第五章一三節 第一四章三四〜三五節
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう
馬可傳iケ書第九章
四九 蓋すべての人は鹽をつくる如く火を以せられ凡の祭物は鹽をもて鹽つけらる
五十 鹽は善ものなり然ど鹽もし其味を失は何をもて之に味を加んや爾曹心の中に鹽を有て又たがひに睦み和ぐべし
馬太傳iケ書第五章
十三 爾曹は地の鹽なり鹽もし其味を失は何を以か故の味に復さん後は用なし外に棄られて人に踐る而已
路加傳iケ書第一四章
三四 䀋は善物なり然ども䀋その味を失は何をもて之に味を和んや
三五 田にも糞にもuなく外に棄らるなり耳ありて聽るは聽べし
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう
マルコ傳iケ書第九章
四九 それ人は、みな火をもて鹽つけらるべし。
 鹽は善きものなり、然れど鹽もし其の鹽氣を失はば、何をもて之に味つけん。汝ら心の中に鹽を保ち、かつ互に和くべし』
マタイ傳iケ書第五章
一三 汝らは地の鹽なり、鹽もし力を失はば、何をもてか之に鹽すべき。後は用なし、外にすてられて人に蹈まるるのみ。
ルカ傳iケ書第一四章
三四 鹽は善きものなり、然れど鹽もし力を失はば、何によりてか味つけられん、
三五 土にも肥料にも適せず、外に棄てらるるなり。聽く耳あるは聽くべし』
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう
マルコによる福音書第九章
四九 人はすべて火で塩づけられねばならない。
五〇 塩はよいものである。しかし、もしその塩の味がぬけたら、何によってその味が取りもどされようか。あなたがた自身の内に塩を持ちなさい。そして、互に和らぎなさい」。
マタイによる福音書第五章
一三 あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。
ルカによる福音書第一四章
三四 塩は良いものだ。しかし、塩もききめがなくなったら、何によって塩味が取りもどされようか。
三五 土にも肥料にも役立たず、外に投げ捨てられてしまう。聞く耳のあるものは聞くがよい」。
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