四つの福音書による一つのイエス物語174
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました
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174
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私に従う者とは誰かを教える
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか
ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ  ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ
馬可傳iケ書 馬太傳iケ書 路加傳iケ書 約翰傳iケ書
マルコ傳iケ書 マタイ傳iケ書 ルカ傳iケ書 ヨハネ傳iケ書
マルコによる福音書 マタイによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書
10;37〜39 14;25〜27
第一〇章三七〜三九節 第一四章二五〜二七節
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう
馬太傳iケ書第一〇章
三七 我よりも父母を愛むは我に協ざるなり我よりも子女を愛むは我に協ざるなり
三八 その十字架を任て我に從はざるも我に協ざるなり
三九 その生命を得るは之を失ひ我ために生命を失ふは之を得べし
路加傳iケ書第一四章
二五 多の人イエスと偕に行しがイエス顧みて彼等に曰けるは
二六 凡そ我に來てその父母妻子兄弟妹また己の生命をも憎に非ざれば我弟子と爲ことを得ず
二七 又その十字架を任ずして我に從ふは我弟子と爲ことを得ず
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう
マタイ傳iケ書第一〇章
三七 我よりも父または母を愛するは、我に相應しからず。我よりも息子または娘を愛するは、我に相應しからず。
三八 又おのが十字架をとりて我に從はぬは、我に相應しからず。
三九 生命を得るは、これを失ひ、我がために生命を失ふは、これを得べし。
ルカ傳iケ書第一四章
二五 さて大なる群衆イエスに伴ひゆきたれば、顧みて之に言ひたまふ、
二六 『人もし我に來りて、その父母妻子兄弟・姊己が生命までも憎まずば、我が弟子となるを得ず。
二七 また己が十字架を負ひて我に從ふならでは、我が弟子と爲るを得ず。
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう
マタイによる福音書第一〇章
三七 わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。
三八 また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。
三九 自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。
ルカによる福音書第一四章
二五 大ぜいの群衆がついてきたので、イエスは彼らの方に向いて言われた、
二六 「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。
二七 自分の十字架を負うてわたしについて来るものでなければ、わたしの弟子となることはできない。
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