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四つの福音書による一つのイエス物語168 |
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マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました |
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます |
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています |
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました |
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168 |
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「上になりたい者は下になれ」 |
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか |
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ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ |
ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ |
ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ |
ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ |
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馬可傳iケ書 |
馬太傳iケ書 |
路加傳iケ書 |
約翰傳iケ書 |
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マルコ傳iケ書 |
マタイ傳iケ書 |
ルカ傳iケ書 |
ヨハネ傳iケ書 |
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マルコによる福音書 |
マタイによる福音書 |
ルカによる福音書 |
ヨハネによる福音書 |
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9;33〜37 |
18;1〜5 |
9;46〜48 |
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第九章三三〜三七節 |
第一八章一〜五節 |
第九章四六〜四八節 |
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう |
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馬可傳iケ書第九章 |
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三三 偖イエス カペナウンに至り室に居て弟子に問けるは爾曹途間にて何を互に論ぜし乎 |
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三四 弟子默然たり是途間にて互に論じ誰か大ならんとの爭ありければ也 |
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三五 イエス坐して其十二を召かれらに曰けるは若し首たらんと欲ふ者は凡の人の後となり且すべての人の使役とならん |
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三六 また孩提を取て彼等の中に立て之を抱き彼等に曰けるは |
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三七 凡そ我名の爲に斯のごとき孩提の一人を接る者は即ち我を接るなり又われを接る者は即ち我を接るに非ず我を遣しゝ者を接るなり |
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馬太傳iケ書第一八章 |
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一 其とき弟子イエスに來て曰けるは天國に於て大なる者は誰ぞや |
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二 イエス嬰兒を召かれらの中に立て |
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三 曰けるは我まことに爾曹に吿んもし改まりて嬰兒の若くならずば天國に入ことを得じ |
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四 然ば凡そこの嬰兒の若く自ら謙る者はこれ天國に於て大なる者なり |
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五 又わが名の爲に此の如き一人の嬰兒を接る者は我を接るなり |
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路加傳iケ書第九章 |
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四六 弟子等のうち互に誰か大ならんとの爭論ありければ |
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四七 イエス其心の念を知て孩子をとり側にたてゝ |
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四八 彼等に曰けるは我名の爲に此孩子を接る者は即ち我を接るなり我を接る者は我を遣しゝ者を接るなり凡て爾曹がうち最も小者ぞ是大ならん |
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう |
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マルコ傳iケ書第九章 |
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三三 斯てカペナウムに到る。イエス家に入りて、弟子たちに問ひ給ふ『なんぢら途すがら何を論ぜしか』 |
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三四 弟子たち默然たり、これは途すがら、誰か大ならんと、互に爭ひたるに因る。 |
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三五 イエス坐して、十二弟子を呼び、之に言ひたまふ『人もし頭たらんと思はば、凡ての人の後となり、凡ての人の役者となるべし』 |
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三六 斯てイエス幼兒をとりて、彼らの中におき、之を抱きて言ひ給ふ、 |
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三七 『おほよそ我が名のために斯る幼兒の一人を受くる者は、我を受くるなり。我を受くる者は、我を受くるにあらず、我を遣しし者を受くるなり』 |
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マタイ傳iケ書第一八章 |
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一 そのとき弟子たち、イエスに來りて言ふ『しからば天國にて大なるは誰か』 |
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二 イエス幼兒を呼び、彼らの中に置きて言ひ給ふ、 |
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三 『まことに汝らに吿ぐ、もし汝ら飜へりて幼兒の如くならずば、天國に入るを得じ。 |
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四 されば誰にても此の幼兒のごとく己を卑うする者は、これ天國にて大なる者なり。 |
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五 また我が名のために、斯のごとき一人の幼兒を受くる者は、我を受くるなり。 |
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ルカ傳iケ書第九章 |
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四六 爰に弟子たちの中に、誰か大ならんとの爭論おこりたれば、 |
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四七 イエスその心の爭論を知りて、幼兒をとり御側に置きて言ひ給ふ、 |
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四八 『おほよそ我が名のために此の幼兒を受くる者は、我を受くるなり。我を受くる者は、我を遣しし者を受くるなり。汝らの中にて最も小き者は、これ大なるなり』 |
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう |
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マルコによる福音書第九章 |
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三三 それから彼らはカペナウムにきた。そして家におられるとき、イエスは弟子たちに尋ねられた、「あなたがたは途中で何を論じていたのか」。 |
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三四 彼らは黙っていた。それは途中で、だれが一ばん偉いかと、互に論じ合っていたからである。 |
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三五 そこで、イエスはすわって十二弟子を呼び、そして言われた、「だれでも一ばん先になろうと思うならば、一ばんあとになり、みんなに仕える者とならねばならない」。 |
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三六 そして、ひとりの幼な子をとりあげて、彼らのまん中に立たせ、それを抱いて言われた。 |
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三七 「だれでも、このような幼な子のひとりを、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。そして、わたしを受けいれる者は、わたしを受けいれるのではなく、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである」。 |
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マタイによる福音書第一八章 |
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一 そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。 |
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二 すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、 |
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三 「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。 |
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四 この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。 |
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五 また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。 |
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ルカによる福音書第九章 |
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四六 弟子たちの間に、彼らのうちでだれがいちばん偉いだろうかということで、議論がはじまった。 |
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四七 イエスは彼らの心の思いを見抜き、ひとりの幼な子を取りあげて自分のそばに立たせ、彼らに言われた、 |
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四八 「だれでもこの幼な子をわたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。そしてわたしを受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。あなたがたみんなの中でいちばん小さい者こそ、大きいのである」。 |
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Office Murakami |