四つの福音書による一つのイエス物語157
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました
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157
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「私に従う者は十字架を負え」
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか
ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ  ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ
馬可傳iケ書 馬太傳iケ書 路加傳iケ書 約翰傳iケ書
マルコ傳iケ書 マタイ傳iケ書 ルカ傳iケ書 ヨハネ傳iケ書
マルコによる福音書 マタイによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書
8;34〜38 16;24〜27 9;23〜26
第八章三四〜三八節 第一六章二四〜二七節 第九章二三〜二六節
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう
馬可傳iケ書第八章
三四 衆人と其弟子を共に召て彼等に曰けるは若し彼に從はんと欲ふは己を棄その十字架を負て我に從へ
三五 そは生命を全ふせんとするは之を喪ひ我ため且音の爲に生命を喪ふは之を得べければ也
三六 もし人全世界を得とも其生命を喪は何のuあらん乎
三七 また人何をもて其生命に易んや
三八 姦惡なる此世に於て我と我道ををば人の子も亦聖使と共に父の榮光をもて來る時之をべし
馬太傳iケ書第一六章
二四 此時イエス其弟子に曰けるは若我に從はんと欲ふは己を棄その十字架を負て我に從へ
二五 蓋生命を保全せんとするは之を失ひ我ために其生命を失ふ欲ふは己を棄その十字架を負て我に從へ
二五 蓋生命を保全せんとするは之を失ひ我ために其生命を失ふに易んや
二七 それ人の子は父の榮光を以て其使等と偕に來らん其時おのおのの行に由て報ゆべし
路加傳iケ書第九章
二三 又イエス衆人に曰けるは若われに從はんと欲ふは己に克て日その十宇架を負て我に從へ
二四 その生命を保全せんと欲は之を喪ひ我ために生命を喪ふは之を保全すべし
二五 人もし全世界を利するとも自己を喪ひ自ら亡なば何のuあらん乎
二六 我と我道を恥るをば人の子も亦おのが榮光と父と聖使の榮光をもて來る時これをべし
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう
マルコ傳iケ書第八章
三四 斯て群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言ひたまふ『人もし我に從ひ來らんと思はば、己をすて、己が十字架を負ひて我に從へ。
三五 己が生命を救はんと思ふは、これを失ひ、我が爲また音の爲に己が生命をうしなふは、之を救はん。
三六 人、全世界を羸くとも、己が生命を損せば、何のuあらん、
三七 人その生命の代に何を與へんや。
三八 不義なる、罪深き今の代にて、我または我が言を恥づるをば、人の子もまた、父の榮光をもて、聖なる御使たちと共に來らん時に恥づべし』
マタイ傳iケ書第一六章
二四 爰にイエス弟子たちに言ひたまふ『人もし我に從ひ來らんと思はば、己をすて、己が十字架を負ひて、我に從へ。
二五 己が生命を救はんと思ふは、これを失ひ、我がために、己が生命をうしなふは、之を得べし。
二六 人、全世界を羸くとも、己が生命を損せば、何のuあらん、又その生命の代に何を與へんや。
二七 人の子は父の榮光をもて、御使たちと共に來らん。その時おのおのの行爲に隨ひて報ゆべし。
ルカ傳iケ書第九章
二三 また一同のに言ひたまふ『人もし我に從ひ來らんと思はば、己をすて、日おのが十字架を負ひて我に從へ。
二四 己が生命を救はんと思ふは之を失ひ、我がために己が生命を失ふその人は之を救はん。
二五 人、全世界をくとも己をうしなひ己を損せば、何のuあらんや。
二六 我と我が言とを恥づるをば、人の子もまた己と父と聖なる御使たちとの榮光をもて來らん時に恥づべし。
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう
マルコによる福音書第八章
三四 それから群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
三五 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。
三六 人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。
三七 また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。
三八 邪悪で罪深いこの時代にあって、わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、父の栄光のうちに聖なる御使たちと共に来るときに、その者を恥じるであろう」。
マタイによる福音書第一六章
二四 それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
二五 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。
二六 たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。
二七 人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう。
ルカによる福音書第九章
二三 それから、みんなの者に言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
二四 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを救うであろう。
二五 人が全世界をもうけても、自分自身を失いまたは損したら、なんの得になろうか。
二六 わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、自分の栄光と、父と聖なる御使との栄光のうちに現れて来るとき、その者を恥じるであろう。
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