四つの福音書による一つのイエス物語153
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました
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153
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「私の肉と血は真の食べ物飲み物」
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか
ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ  ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ
馬可傳iケ書 馬太傳iケ書 路加傳iケ書 約翰傳iケ書
マルコ傳iケ書 マタイ傳iケ書 ルカ傳iケ書 ヨハネ傳iケ書
マルコによる福音書 マタイによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書
6;52〜59
第六章五二〜五九節
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう
約翰傳iケ書第六章
五二 爰にユダヤ人たがひに爭ひ曰けるは此人いかで其肉を我に賜て食はしむる事を得ん乎
五三 イエス曰けるは誠に實に爾曹にん若し人の子の肉を食ず其血を飮ざれば爾曹に生命なし
五四 わが肉を食わが血を飮は永生あり我末の日に之を甦らすべし
五五 夫わが肉は誠の食物また我血は誠の飮物なり
五六 わが肉を食ひ我血を飮は我にをり我も亦かれに居
五七 生る父われを遣す父に由て我生る如く我を食ふも我に由て生べし
五八 これ天より降れるパンなり爾曹の先が食たれど死しマナの如きものに非ず此パンを食ふは窮なく生べし
五九 此等の事はイエス カペナウンの會堂にてを爲るとき言し所なり
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう
ヨハネ傳iケ書第六章
五二 爰にユダヤ人、たがひに爭ひて言ふ『この人はいかで己が肉を我らに與ヘて食はしむることを得ん』
五三 イエス言ひ給ふ『まことに誠に、なんぢらにぐ、人の子の肉を食はず、その血を飮まずば、汝らに生命なし。
五四 わが肉をくらひ、我が血をのむは、永遠の生命をもつ、われ終の日にこれを甦ヘらすべし。
五五 夫わが肉は眞の食物、わが血は眞の飮物なり。
五六 わが肉をくらひ、我が血をのむは、我に居り、我もまた彼に居る。
五七 活ける父の我をつかはし、我の父によりて活くるごとく、我をくらふも我によりて活くべし。
五八 天より降りしパンは、先たちが食ひてなほ死にし如きものにあらず、此のパンを食ふものは永遠に活きん』
五九 此等のことはイエス、カペナウムにてヘふるとき、會堂にて言ひ給ひしなり。
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう
ヨハネによる福音書第六章
五二 そこで、ユダヤ人らが互に論じて言った、「この人はどうして、自分の肉をわたしたちに与えて食べさせることができようか」。
五三 イエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。
五四 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。
五五 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。
五六 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。
五七 生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。
五八 天から下ってきたパンは、先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない。このパンを食べる者は、いつまでも生きるであろう」。
五九 これらのことは、イエスがカペナウムの会堂で教えておられたときに言われたものである。
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