四つの福音書による一つのイエス物語152
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました
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152
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信じる者にはとこしえの命がある」
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか
ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ  ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ
馬可傳iケ書 馬太傳iケ書 路加傳iケ書 約翰傳iケ書
マルコ傳iケ書 マタイ傳iケ書 ルカ傳iケ書 ヨハネ傳iケ書
マルコによる福音書 マタイによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書
6;43〜51
第六章四三〜五一節
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう
約翰傳iケ書第六章
四三 イエス答て曰けるは爾曹たがひに譏こと勿れ
四四 我を遣し父もし引ざれば人よく我に就るなし我に就し人は末日に我これを甦らすべし
四五 預言の書に人みな~に受んと錄されたり是故に凡て父より聽て學しは我に就る
四六 然ど父を見しはなし惟~より來るのみ之を見たり
四七 誠に實に我なんぢらにん我を信ずるは永生あり
四八 我は生命のパンなり
四九 爾曹の先は野にてマナを食しかど死り
五十 凡て食をして死ざらしむるは天より降れるパンなり
五一 我は天より降し生るパンなり若人此パンを食は窮なく生べし我あたふるパンは我肉なり世の生命の爲に我これを賜へん
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう
ヨハネ傳iケ書第六章
四三 イエス答へて言ひ給ふ『なんぢらき合ふな、
四四 我を遣しし父ひき給はずば、誰も我に來ること能はず、我これを終の日に甦へらすべし。
四五 預言たちの書に「彼らみな~にヘへられん」と錄されたり。すべて父より聽きて學びしは我にきたる。
四六 これは父を見しありとにあらず、ただ~よりののみ父を見たり。
四七 誠に誠に、なんぢらにぐ、信ずるは永遠の生命をもつ。
四八 我は生命のパンなり。
四九 汝らの先は荒野にてマナを食ひしが死にたり。
 天より降るパンは、食ふをして死ぬる事なからしむるなり。
五一 我は天より降りし活けるパンなり、人このパンを食はば永遠にCくべし。我が與ふるパンは我が肉なり、世の生命のために之を與へん』
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう
ヨハネによる福音書第六章
四三 イエスは彼らに答えて言われた、「互につぶやいてはいけない。
四四 わたしをつかわされた父が引きよせて下さらなければ、だれもわたしに来ることはできない。わたしは、その人々を終りの日によみがえらせるであろう。
四五 預言者の書に、『彼らはみな神に教えられるであろう』と書いてある。父から聞いて学んだ者は、みなわたしに来るのである。
四六 神から出た者のほかに、だれかが父を見たのではない。その者だけが父を見たのである。
四七 よくよくあなたがたに言っておく。信じる者には永遠の命がある。
四八 わたしは命のパンである。
四九 あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった。
五〇 しかし、天から下ってきたパンを食べる人は、決して死ぬことはない。
五一 わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。
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