四つの福音書による一つのイエス物語151
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました
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151
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「私が命のパン」
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか
ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ  ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ
馬可傳iケ書 馬太傳iケ書 路加傳iケ書 約翰傳iケ書
マルコ傳iケ書 マタイ傳iケ書 ルカ傳iケ書 ヨハネ傳iケ書
マルコによる福音書 マタイによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書
6;32〜40
第六章三二〜四〇節
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう
約翰傳iケ書第六章
三二 イエス曰けるは誠に實に爾曹にん天よりパンを爾曹に賜しはモセに非ず今わが父は天より眞のパンをもて爾曹に賜ふ
三三 ~のパンは天より降りて生命を世に賜るもの也
三四 彼等いひけるは主よ恒に其パンを我に予よ
三五 イエス曰けるは我は生命のパンなり我に就るは餓ず我を信ずるは恒に渴ことなし
三六 然ど我なんぢらが我を見ても信ぜざる事を爾曹にたりき
三七 凡て父の我に賜しに我に就らん我に就るは我かならず之を棄ず
三八 わが天より降しは己の意の任を行はん爲に非ず我を遣しゝ者の意のまを行はん爲なり
三九 凡て父の我に賜しをわれ一をも失はず末日に之を甦らすはち我を遣し父の意なり
四十 凡そ子を見て之を信ずるは永生を得われ復これを末の日に甦らすべし是われを遣しゝ者の意なればなり
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう
ヨハネ傳iケ書第六章
三二 イエス言ひ給ふ『まことに誠に汝らにぐ、モセは天よりのパンを汝らに與ヘしにあらず、然れど我が父は天よりの眞のパンを與ヘたまふ。
三三 ~のパンは天より降りて生命を世に與ふるものなり』
三四 彼等いふ『主よ、そのパンを常に與へよ』
三五 イエス言ひ給ふ『われは生命のパンなり、我にきたるは飢ゑず、我を信ずるはいつまでも渴くことなからん。
三六 然れど汝らは我を見てなほ信ぜず、我さきに之をげたり。
三七 父の我に賜ふものは皆われに來らん、我にきたるは、我これを退けず。
三八 夫わが天より降りしは我が意をなさん爲にあらず、我を遣し給ひしの御意をなさん爲なり。
三九 我を遣し給ひしの御意は、すべて我に賜ひしを、我その一つをも失はずして終の日に甦へらする是なり。
 わが父の御意は、すべて子を見て信ずるの永遠の生命を得る是なり。われ終の日にこれを甦へらすべし』
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう
ヨハネによる福音書第六章
三二 そこでイエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。天からのパンをあなたがたに与えたのは、モーセではない。天からのまことのパンをあなたがたに与えるのは、わたしの父なのである。
三三 神のパンは、天から下ってきて、この世に命を与えるものである」。
三四 彼らはイエスに言った、「主よ、そのパンをいつもわたしたちに下さい」。
三五 イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。
三六 しかし、あなたがたに言ったが、あなたがたはわたしを見たのに信じようとはしない。
三七 父がわたしに与えて下さる者は皆、わたしに来るであろう。そして、わたしに来る者を決して拒みはしない。
三八 わたしが天から下ってきたのは、自分のこころのままを行うためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行うためである。
三九 わたしをつかわされたかたのみこころは、わたしに与えて下さった者を、わたしがひとりも失わずに、終りの日によみがえらせることである。
四〇 わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そして、わたしはその人々を終りの日によみがえらせるであろう」。
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