四つの福音書による一つのイエス物語129
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました
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129
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私の食べ物について弟子たちに教える
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか
ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ  ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ
馬可傳iケ書 馬太傳iケ書 路加傳iケ書 約翰傳iケ書
マルコ傳iケ書 マタイ傳iケ書 ルカ傳iケ書 ヨハネ傳iケ書
マルコによる福音書 マタイによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書
4;31〜38
第四章三一〜三八節
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう
約翰傳iケ書第四章
三一 その間に弟子かれに請てラビ食し給へと曰ければ
三二 イエス彼等に曰けるは我に爾曹の知ざる食物あり
三三 弟子たがひに曰けるは食物を彼に饋しは誰なる乎
三四 イエス彼等に曰けるは我を遣しゝ者の旨に遵ひ其工を成畢る是わが糧なり
三五 なんぢら穫時になるには猶四ケ月ありと云ずや我なんぢらにん目をて觀よはや田は熟て穫時になれり
三六 穫は其工錢を受て永生に至るべき實を積む期て播と穫と同に喜ばん
三七 彼は播これは穫と云るは之に就て眞なり
三八 我たんぢらの勞せざりし所を穫せんとして爾曹を遣せり他の人勞せしにより爾曹は其勞したる果を受たり
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう
ヨハネ傳iケ書第四章
三一 この間に弟子たち請ひて言ふ『ラビ、食し給へ』
三二 イエス言ひたまふ『我には汝らの知らぬ我が食する食物あり』
三三 弟子たち互にいふ『たれか食する物を持ち來りしか』
三四 イエス言ひ給ふ『われを遣し給へるの御意を行ひ、その御業をなし遂ぐるは、是わが食物なり。
三五 なんぢら收穫時の來るには、なは四月ありと言はずや。我なんぢらにぐ、目をあげて畑を見よ、はや黃みて收穫時になれり。
三六 刈るは、價を受けて永遠の生命の實を集む。播くと刈るとともに喜ばん爲なり。
三七 俚諺に彼は播き、此は刈るといへるは、斯において眞なり。
三八 我なんぢらを遣して勞せざりしものを刈らしむ。他の人さきに勞し、汝らはその勞を收むるなり』
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう
ヨハネによる福音書第四章
三一 その間に弟子たちはイエスに、「先生、召しあがってください」とすすめた。
三二 ところが、イエスは言われた、「わたしには、あなたがたの知らない食物がある」。
三三 そこで、弟子たちが互に言った、「だれかが、何か食べるものを持ってきてさしあげたのであろうか」。
三四 イエスは彼らに言われた、「わたしの食物というのは、わたしをつかわされたかたのみこころを行い、そのみわざをなし遂げることである。
三五 あなたがたは、刈入れ時が来るまでには、まだ四か月あると、言っているではないか。しかし、わたしはあなたがたに言う。目をあげて畑を見なさい。はや色づいて刈入れを待っている。
三六 刈る者は報酬を受けて、永遠の命に至る実を集めている。まく者も刈る者も、共々に喜ぶためである。
三七 そこで、『ひとりがまき、ひとりが刈る』ということわざが、ほんとうのこととなる。
三八 わたしは、あなたがたをつかわして、あなたがたがそのために労苦しなかったものを刈りとらせた。ほかの人々が労苦し、あなたがたは、彼らの労苦の実にあずかっているのである」。
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