四つの福音書による一つのイエス物語128
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました
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128
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「私がそれである」
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか
ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ  ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ
馬可傳iケ書 馬太傳iケ書 路加傳iケ書 約翰傳iケ書
マルコ傳iケ書 マタイ傳iケ書 ルカ傳iケ書 ヨハネ傳iケ書
マルコによる福音書 マタイによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書
4;16〜30
第四章一六〜三〇節
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう
約翰傳iケ書第四章
十六 イエス曰けるは爾ゆきて夫を呼來れ
十七 婦こたへて曰けるは我に夫なしイエス曰けるは夫なしと言るほ理なり
十八 蓋なんぢに五人の夫ありて今あるは爾の夫に非ず爾の言しは眞なり
十九 婦いひけるは主よ我なんぢを預言と知り
二十 我の列は此山にて拜しに爾曹は拜すべき所はエルサレムなりと曰
二一 イエス曰けるは婦よ我を信ぜよ唯に此山のみに非ず亦エルサレム而已にも非ずして爾曹父を拜すべき時きたらん 
二二 爾曹の拜するを爾曹は知ず我の拜するを我は知そは救はユダヤ人より出るが故なり
二三 眞の拜する靈と眞を以て父を拜する時きたらん今その時になれり夫父は是の如く拜するを要め給ふ
二四 ~は靈なれば拜するもまた靈と眞を以て之を拜すべき也
二五 婦いひけるはキリストと稱るメッシヤの來らん事を知かれ來らん時凡の事を我
二六 イエス曰けるは爾と語る所の我は其なり
二七 時に弟子きたりて彼の婦と語れるを奇みけれど其何を求るや又なに故これと語れるか問るも無りき
二八 婦その水を遺して邑にゆき人に曰けるは
二九 我すべて行し事を我にし人を來りて觀よ此はキリストならず乎
三十 是に於て人邑を出てイエスの所に來る
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう
ヨハネ傳iケ書第四章
一六 イエス言ひ給ふ『ゆきて夫をここに呼びきたれ』
一七 女こたへて言ふ『われに夫なし』イエス言ひ給ふ『夫なしといふは宜なり。
一八 夫は五人までありしが、今あるは、なんぢの夫にあらず。無しと云へるは眞なり』
一九 女いふ『主よ、我なんぢを預言とみとむ。
 我らの先たちは此の山にて拜したるに、汝らは拜すべき處をエルサレムなりと言ふ』
二一 イエス言ひ給ふ『をんなよ、我が言ふことを信ぜよ、此の山にもエルサレムにもあらで、汝ら父を拜する時きたるなり。
二二 汝らは知らぬを拜し、我らは知るを拜す、救はユダヤ人より出づればなり。
二三 されど眞の禮拜の、靈と眞とをもて父を拜する時きたらん、今すでに來れり。父は斯のごとく拜するを求めたまふ。
二四 ~は靈なれば、拜するも靈と眞とをもて拜すべきなり』
二五 女いふ『我はキリストと稱ふるメシヤの來ることを知る、彼きたらば、般のことを我らにげん』
二六 イエス言ひ給ふ『なんぢと語る我はそれなり』
二七 時に弟子たち歸りきたりて、女と語り給ふを怪しみたれど、何を求め給ふか、何故かれと語り給ふかと問ふもの誰もなし。
二八 爰に女その水を遺しおき、町にゆきて人にいふ、
二九 『來りて見よ、わが爲しし事をことごとく我にげし人を。この人、或はキリストならんか』
 人町を出でてイエスの許にゆく。
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう
ヨハネによる福音書第四章
一六 イエスは女に言われた、「あなたの夫を呼びに行って、ここに連れてきなさい」。
一七 女は答えて言った、「わたしには夫はありません」。イエスは女に言われた、「夫がないと言ったのは、もっともだ。
一八 あなたには五人の夫があったが、今のはあなたの夫ではない。あなたの言葉のとおりである」。
一九 女はイエスに言った、「主よ、わたしはあなたを預言者と見ます。
二〇 わたしたちの先祖は、この山で礼拝をしたのですが、あなたがたは礼拝すべき場所は、エルサレムにあると言っています」。
二一 イエスは女に言われた、「女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。
二二 あなたがたは自分の知らないものを拝んでいるが、わたしたちは知っているかたを礼拝している。救はユダヤ人から来るからである。
二三 しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。
二四 神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。
二五 女はイエスに言った、「わたしは、キリストと呼ばれるメシヤがこられることを知っています。そのかたがこられたならば、わたしたちに、いっさいのことを知らせて下さるでしょう」。
二六 イエスは女に言われた、「あなたと話をしているこのわたしが、それである」。
二七 そのとき、弟子たちが帰って来て、イエスがひとりの女と話しておられるのを見て不思議に思ったが、しかし、「何を求めておられますか」とも、「何を彼女と話しておられるのですか」とも、尋ねる者はひとりもなかった。
二八 この女は水がめをそのままそこに置いて町に行き、人々に言った、
二九 「わたしのしたことを何もかも、言いあてた人がいます。さあ、見にきてごらんなさい。もしかしたら、この人がキリストかも知れません」。
三〇 人々は町を出て、ぞくぞくとイエスのところへ行った。
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