四つの福音書による一つのイエス物語114
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました
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114
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この時代の人々を咎める
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか
ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ  ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ
馬可傳iケ書 馬太傳iケ書 路加傳iケ書 約翰傳iケ書
マルコ傳iケ書 マタイ傳iケ書 ルカ傳iケ書 ヨハネ傳iケ書
マルコによる福音書 マタイによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書
11;16〜19 7;31〜35
第一一章一六〜一九節 第七章三一〜三五節
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう
馬太傳iケ書第一一章
十六 我この世を何に譬んや童子街に坐し其侶を呼て
十七 われら笛ふけども爾曹をどらず哀をすれども爾曹胸うたずと云に似たり
十八 蓋ヨハネ來て食ふこと飮ことを爲ざれば鬼に憑れたるなりと人言り
十九 人の子きたりて食ふことをし飮ことを爲れば又食を嗜み酒を好む人稅吏罪あるの友也といふ然ども智慧は智慧の子に義と爲らる
路加傳iケ書第七章
三一 然ば此世の人を何に比へ又何に譬んや
三二 童子市に坐し互に呼て我笛ふけども爾曹踊ず悲歌をすれども爾曹哭ずと云に似たり
三三 蓋バプテスマのヨハネ來りてパンをも食ず酒をも飮ざれば惡鬼に憑たるなりと爾曹いへり
三四 人の子きたりて食ふ事をし飮ことを爲ばまた食を嗜み酒を好の人稅吏罪ある人の友なりと爾曹いへり
三五 然ど智慧は智慧の子に義と爲らる
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう
マタイ傳iケ書第一一章
一六 われ今の代を何に比へん、童子、市場に坐し、友を呼びて、
一七 「われら汝等のために笛吹きたれど汝ら踊らず、歎きたれど汝ら胸うたざりき」と言ふに似たり。
一八 それはヨハネ來りて、飮食せざれば「惡鬼に憑かれたるなり」といひ、
一九 人の子、來りて飮食すれば「よ、食を貪り、酒を好む人、また取稅人罪人の友なり」と言ふなり。されど智慧は己が業によりて正しとせらる』
ルカ傳iケ書第七章
三一 然れば、われ今の代の人を何に比へん。彼らは何に似たるか。
三二 彼らは童、市場に坐し、たがひに呼びて「われら汝らの爲に笛吹きたれど、汝ら躍らず。歎きたれど、汝ら泣かざりき」と云ふに似たり。
三三 それはパブテスマのヨハネ來りて、パンをも食はず、葡萄酒をも飮まねば「惡鬼に憑かれたるなり」と汝ら言ひ、
三四 人の子きたりて飮食すれば「よ、食を貧り、酒を好む人、また取稅人罪人の友なり」と汝ら言ふなり。
三五 然れど智慧は己が凡ての子によりて正しとせらる』
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう
マタイによる福音書第一一章
一六 今の時代を何に比べようか。それは子供たちが広場にすわって、ほかの子供たちに呼びかけ、
一七 『わたしたちが笛を吹いたのに、あなたたちは踊ってくれなかった。弔いの歌を歌ったのに、胸を打ってくれなかった』と言うのに似ている。
一八 なぜなら、ヨハネがきて、食べることも、飲むこともしないと、あれは悪霊につかれているのだ、と言い、
一九 また人の子がきて、食べたり飲んだりしていると、見よ、あれは食をむさぼる者、大酒を飲む者、また取税人、罪人の仲間だ、と言う。しかし、知恵の正しいことは、その働きが証明する」。
ルカによる福音書第七章
三一 だから今の時代の人々を何に比べようか。彼らは何に似ているか。
三二 それは子供たちが広場にすわって、互に呼びかけ、『わたしたちが笛を吹いたのに、あなたたちは踊ってくれなかった。弔いの歌を歌ったのに、泣いてくれなかった』と言うのに似ている。
三三 なぜなら、バプテスマのヨハネがきて、パンを食べることも、ぶどう酒を飲むこともしないと、あなたがたは、あれは悪霊につかれているのだ、と言い、
三四 また人の子がきて食べたり飲んだりしていると、見よ、あれは食をむさぼる者、大酒を飲む者、また取税人、罪人の仲間だ、と言う。
三五 しかし、知恵の正しいことは、そのすべての子が証明する」。
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