四つの福音書による一つのイエス物語89
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました
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089
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毒麦の譬を語る
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか
ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ  ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ
馬可傳iケ書 馬太傳iケ書 路加傳iケ書 約翰傳iケ書
マルコ傳iケ書 マタイ傳iケ書 ルカ傳iケ書 ヨハネ傳iケ書
マルコによる福音書 マタイによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書
13;24〜30
第一三章二四〜三〇節
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう
馬太傳iケ書第一三章
二四 また譬を彼等に示して曰けるは天國は人畑に美種を播に似たり
二五 人の寢たる間に其敵きたり麥の中に稗子を播て去り
二六 苗はえ出て實たるとき稗子も現れたり
二七 主人の僕きたりて曰けるは主よ畑には美種を播ざりしか如何して稗子ある乎
二八 僕に曰けるは敵人これを行り僕主人に曰けるは然らば我ゆきて之を拔あつむるは宜か
二九 否おそらくは爾曹稗子を拔あつめんとて麥をも共に拔べし
三十 收穫まで二ながら長おけ我かりいれの時まづ稗子を拔集て焚ん爲に之を束ね麥をば我倉に收よと刈に言ん
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう
マタイ傳iケ書第一三章
二四 また他の譬を示して言ひたまふ『天國は良き種を畑にまく人のごとし。
二五 人の眠れる間に、仇きたりて麥のなかに毒麥を播きて去りぬ。
二六 苗はえ出でて實りたるとき、毒麥もあらはる。
二七 僕ども來りて家主にいふ「主よ、畑に播きしは良き種ならずや、然るに如何して毒麥あるか」
二八 主人いふ「仇のなしたるなり」僕ども言ふ「さらば我らが往きて之をき集むるを欲するか」
二九 主人いふ「いな恐らくは毒麥をき集めんとて麥をも共にかん。
 兩ながら收穫まで育つに任せよ。收穫のとき我かるに「まづ毒麥をきあつめて、焚くために之を束ね、麥はあつめて我が倉に納れよ」と言はん』
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう
マタイによる福音書第一三章
二四 また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。
二五 人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。
二六 芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。
二七 僕たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。
二八 主人は言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。
二九 彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。
三〇 収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」。
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