| 四つの福音書による一つのイエス物語88 | |||||||
| マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました | |||||||
| マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます | |||||||
| 物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています | |||||||
| 福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました | |||||||
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| 088 | |||||||
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| 種まきの譬を説き明かす | |||||||
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| 上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか | |||||||
| ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ | ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ | ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ | ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ | ||||
| 馬可傳iケ書 | 馬太傳iケ書 | 路加傳iケ書 | 約翰傳iケ書 | ||||
| マルコ傳iケ書 | マタイ傳iケ書 | ルカ傳iケ書 | ヨハネ傳iケ書 | ||||
| マルコによる福音書 | マタイによる福音書 | ルカによる福音書 | ヨハネによる福音書 | ||||
| 4;13〜20 | 13;18〜23 | 8;11〜15 | |||||
| 第四章一三〜二〇節 | 第一三章一八〜二三節 | 第八章一一〜一五節 | |||||
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| 英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう | |||||||
| 馬可傳iケ書第四章 | |||||||
| 十三 また彼等に曰けるは爾曹この譬を知ざるか然ば如何して凡の譬を識ことを得んや | |||||||
| 十四 それ播者は教を播なり | |||||||
| 十五 道の播れて路の傍に遺しものは人道を聽しとき直にサタン來て其心に播れたる道を奪取なり | |||||||
| 十六 また磽地に播れたるものは人道を聽とき直に喜びて之を受 | |||||||
| 十七 然ども己の根なきが故たゞ暫時のみ後道の爲に患難あるひは迫害に遇ときは忽ち礙く者なり | |||||||
| 十八 又棘の中に播れたるものは人ことばを聽ども | |||||||
| 十九 此世の思慮と貨財の惑また各樣の情欲いり來りて道を蔽により終に實を結ざる者なり | |||||||
| 二十 沃壞に播れたるものは人道を聽て之をうけ或は三十倍あるひは六十倍あるひは百倍の實を結ぶ者なり | |||||||
| 馬太傳iケ書第一三章 | |||||||
| 十八 故に爾曹播種の譬を聽 | |||||||
| 十九 天國の教を聞て悟らざれば惡鬼きたりて其心に播れたる種を奪ふ是路の旁に播たる種なり | |||||||
| 二十 磽地に播れたる種は是教を聽て速かに喜び受れども | |||||||
| 二一 己に根なければ暫時のみ教の爲に患難あるひは迫らるゝ事の起る時は忽ち道に礙く者なり | |||||||
| 二二 また棘の中に播れたる種は是教を聽ども此世の思慮と貨財の惑に教を蔽れて實らざる者なり | |||||||
| 二三 沃壤に播れたる種は是教を聽て悟り實を結こと或は百倍あるひは六十倍あるひは三十倍する者なり | |||||||
| 路加傳iケ書第八章 | |||||||
| 十一 夫この譬の釋種は~の道なり | |||||||
| 十二 路の旁に遺しは聽し後惡魔の爲に其心より道を奪るゝ者なり彼は人の信じて救れんことを恐る | |||||||
| 十三 石上に遺しは聽とき喜びて道を受れども根なければ信ずること暫のみ患難に遇時は道に背く者なり | |||||||
| 十四 棘の中に遺しは聽て往この世のゥ慮と財貨と宴樂とに蔽れて實ざる者なり | |||||||
| 十五 沃壤に遺しは正かつ善心にて道を聽これを守り忍て實を結ぶ者なり | |||||||
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| 日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう | |||||||
| マルコ傳iケ書第四章 | |||||||
| 一三 また言ひ給ふ『なんぢら此の譬を知らぬか、然らば爭でもろもろの譬を知り得んや。 | |||||||
| 一四 播く者は御言を播くなり。 | |||||||
| 一五 御言の播かれて路の傍らにありとは、斯る人をいふ、即ち聞くとき、直ちにサタン來りて、その播かれたる御言を奪ふなり。 | |||||||
| 一六 同じく播かれて磽地にありとは、斯る人をいふ、即ち御言をききて、直ちに喜び受くれども、 | |||||||
| 一七 その中に根なければ、ただ暫し保つのみ、御言のために、患難また迫害にあふ時は、直ちに躓くなり。 | |||||||
| 一八 また播かれて茨の中にありとは、斯る人をいふ、 | |||||||
| 一九 即ち御言をきけど、世の心勞、財貨の惑、さまざまの慾いりきたり、御言を塞ぐによりて、遂に實らざるなり。 | |||||||
| 二〇 播かれて良き地にありとは、斯る人をいふ、即ち御言を聽きて受け、三十倍、六十倍、百倍の實を結ぶなり』 | |||||||
| マタイ傳iケ書第一三章 | |||||||
| 一八 然れば汝ら種播く者の譬を聽け。 | |||||||
| 一九 誰にても天國の言をききて悟らぬときは、惡しき者きたりて、其の心に播かれたるものを奪ふ。路の傍らに播かれしとは斯る人なり。 | |||||||
| 二〇 磽地に播かれしとは、御言をききて、直ちに喜び受くれども、 | |||||||
| 二一 己に根なければ暫し耐ふるのみにて、御言のために艱難、あるひは迫害の起るときは、直ちに躓くものなり。 | |||||||
| 二二 茨の中に播かれしとは、御言をきけども、世の心勞と財貨の惑とに、御言を塞がれて實らぬものなり。 | |||||||
| 二三 良き地に播かれしとは、御言をききて悟り、實を結びて、或は百倍、あるひは六十倍、あるひは三十倍に至るものなり』 | |||||||
| ルカ傳iケ書第八章 | |||||||
| 一一 譬の意は是なり。種は~の言なり。 | |||||||
| 一二 路の傍らなるは、聽きたるのち、惡魔きたり、信じて救はるる事のなからんために御言をその心より奪ふ所の人なり。 | |||||||
| 一三 岩の上なるは聽きて御言を喜び受くれども、根なければ、暫く信じて嘗試のときに退く所の人なり。 | |||||||
| 一四 茨の中に落ちしは、聽きてのち、過るほどに世の心勞と財貨と快樂とに塞がれて實らぬ所の人なり。 | |||||||
| 一五 良き地なるは、御言を聽き、正しく善き心にて之を守り、忍びて實を結ぶ所の人なり。 | |||||||
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| 日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう | |||||||
| マルコによる福音書第四章 | |||||||
| 一三 また彼らに言われた、「あなたがたはこの譬がわからないのか。それでは、どうしてすべての譬がわかるだろうか。 | |||||||
| 一四 種まきは御言をまくのである。 | |||||||
| 一五 道ばたに御言がまかれたとは、こういう人たちのことである。すなわち、御言を聞くと、すぐにサタンがきて、彼らの中にまかれた御言を、奪って行くのである。 | |||||||
| 一六 同じように、石地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くと、すぐに喜んで受けるが、 | |||||||
| 一七 自分の中に根がないので、しばらく続くだけである。そののち、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。 | |||||||
| 一八 また、いばらの中にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くが、 | |||||||
| 一九 世の心づかいと、富の惑わしと、その他いろいろな欲とがはいってきて、御言をふさぐので、実を結ばなくなる。 | |||||||
| 二〇 また、良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞いて受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである」。 | |||||||
| マタイによる福音書第一三章 | |||||||
| 一八 そこで、種まきの譬を聞きなさい。 | |||||||
| 一九 だれでも御国の言を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとって行く。道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことである。 | |||||||
| 二〇 石地にまかれたものというのは、御言を聞くと、すぐに喜んで受ける人のことである。 | |||||||
| 二一 その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。 | |||||||
| 二二 また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。 | |||||||
| 二三 また、良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである」。 | |||||||
| ルカによる福音書第八章 | |||||||
| 一一 この譬はこういう意味である。種は神の言である。 | |||||||
| 一二 道ばたに落ちたのは、聞いたのち、信じることも救われることもないように、悪魔によってその心から御言が奪い取られる人たちのことである。 | |||||||
| 一三 岩の上に落ちたのは、御言を聞いた時には喜んで受けいれるが、根が無いので、しばらくは信じていても、試錬の時が来ると、信仰を捨てる人たちのことである。 | |||||||
| 一四 いばらの中に落ちたのは、聞いてから日を過ごすうちに、生活の心づかいや富や快楽にふさがれて、実の熟するまでにならない人たちのことである。 | |||||||
| 一五 良い地に落ちたのは、御言を聞いたのち、これを正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍んで実を結ぶに至る人たちのことである。 | |||||||
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