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四つの福音書による一つのイエス物語87 |
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マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました |
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます |
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています |
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました |
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087 |
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なぜ譬で語るのかを教える |
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか |
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ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ |
ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ |
ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ |
ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ |
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馬可傳iケ書 |
馬太傳iケ書 |
路加傳iケ書 |
約翰傳iケ書 |
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マルコ傳iケ書 |
マタイ傳iケ書 |
ルカ傳iケ書 |
ヨハネ傳iケ書 |
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マルコによる福音書 |
マタイによる福音書 |
ルカによる福音書 |
ヨハネによる福音書 |
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4;10〜12 |
13;10〜17 |
8;9〜10 |
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第四章一〇〜一二節 |
第一三章一〇〜一七節 |
第八章九〜一〇節 |
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう |
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馬可傳iケ書第四章 |
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十 衆人の居ざりし時イエスの側に在し者と十二弟子と此譬を問しかば |
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十一 イエス彼等に曰けるは~の國の奥義を爾曹には知ことを賜へど他の者には凡て譬を以てす |
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十二 是かれら視とき視ても見ず聽とき聽ても聰らず心を改めて其罪の赦を得ざらん爲なり |
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馬太傳iケ書第一三章 |
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十 弟子等きたりて彼に曰けるは何故に譬をもて彼等に語り給ふや |
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十一 答て曰けるは爾曹には天國の奥義を知ことを予たまへど彼等には予へ給ざれば也 |
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十二 それ有る者は予られてなほ餘あり無有者はその有る者をも奪るゝ也 |
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十三 彼等は視ても見ず聽ても聽ず悟ざるが故に我譬を以て彼等に語れり |
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十四 イザヤの預言になんぢらは聽ども悟らず視ども見ず |
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十五 蓋この民目にて見耳にて聞心にて悟り改めて我に醫されんことを恐その心を頑し耳を蔽ひ目を閉たりと云しに應へり |
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十六 然ど爾曹の目は見爾曹の耳は聞が故になり |
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十七 われ誠に爾曹に吿ん多の預言者と義人は爾曹が見ところを見んとしたりしが見ことを得ず爾曹が聞ところを聞んとしたりしが聞ことを得ざりき |
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路加傳iケ書第八章 |
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九 其弟子とふて曰けるは是いかなる譬ぞ |
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十 答けるは~の國の奥義を爾曹には知ことを賜ど他の者には譬を以てす此は視ても見ず聽ても悟ざる爲なり |
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう |
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マルコ傳iケ書第四章 |
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一〇 イエス人々を離れ居給ふとき、御許にをる者ども、十二弟子とともに、此等の譬を問ふ。 |
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一一 イエス言ひ給ふ『なんぢらには~の國の奥義を與ふれど、外の者には、凡て譬にてヘふ。 |
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一二 これ「見るとき見ゆとも認めず、聽くとき聞ゆとも悟らず、飜へりて赦さるる事なからん」爲なり』 |
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マタイ傳iケ書第一三章 |
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一〇 弟子たち御許に來りて言ふ『なにゆゑ譬にて彼らに語り給ふか』 |
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一一 答へて言ひ給ふ『なんぢらは天國の奥義を知ることを許されたれど、彼らは許されず。 |
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一二 それ誰にても、有てる人は與へられて愈々豐ならん。然れど有たぬ人は、その有てる物をも取らるべし。 |
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一三 この故に彼らには譬にて語る、これ彼らは見ゆれども見ず、聞ゆれども聽かず、また悟らぬ故なり。 |
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一四 斯てイザヤの預言は、彼らの上に成就す。曰く、「なんぢら聞きて聞けども悟らず、見て見れども認めず。 |
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一五 此の民の心は鈍く、耳は聞くに懶く、目は閉ぢたればなり。これ目にて見、耳にて聽き、心にて悟り、飜へりて、我に醫さるる事なからん爲なり」 |
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一六 されど汝らの目、なんぢらの耳は、見るゆゑに、聞くゆゑに、幸なり。 |
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一七 誠に汝らに吿ぐ、多くの預言者・義人は、汝らが見る所を見んとせしが見ず、なんぢらが聞く所を聞かんとせしが聞かざりしなり。 |
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ルカ傳iケ書第八章 |
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九 弟子たち此の譬の如何なる意なるかを問ひたるに、 |
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一〇 イエス言ひ給ふ『なんぢらは~の國の奥義を知ることを許されたれど、他の者は譬にてせらる。彼らの見て見ず、聞きて悟らぬ爲なり。 |
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう |
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マルコによる福音書第四章 |
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一〇 イエスがひとりになられた時、そばにいた者たちが、十二弟子と共に、これらの譬について尋ねた。 |
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一一 そこでイエスは言われた、「あなたがたには神の国の奥義が授けられているが、ほかの者たちには、すべてが譬で語られる。 |
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一二 それは/『彼らは見るには見るが、認めず、聞くには聞くが、悟らず、悔い改めてゆるされることがない』ためである」。 |
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マタイによる福音書第一三章 |
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一〇 それから、弟子たちがイエスに近寄ってきて言った、「なぜ、彼らに譬でお話しになるのですか」。 |
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一一 そこでイエスは答えて言われた、「あなたがたには、天国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。 |
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一二 おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。 |
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一三 だから、彼らには譬で語るのである。それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである。 |
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一四 こうしてイザヤの言った預言が、彼らの上に成就したのである。『あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。 |
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一五 この民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、その目は閉じている。それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、悔い改めていやされることがないためである』。 |
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一六 しかし、あなたがたの目は見ており、耳は聞いているから、さいわいである。 |
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一七 あなたがたによく言っておく。多くの預言者や義人は、あなたがたの見ていることを見ようと熱心に願ったが、見ることができず、またあなたがたの聞いていることを聞こうとしたが、聞けなかったのである。 |
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ルカによる福音書第八章 |
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九 弟子たちは、この譬はどういう意味でしょうか、とイエスに質問した。 |
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一〇 そこで言われた、「あなたがたには、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの人たちには、見ても見えず、聞いても悟られないために、譬で話すのである。 |
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Office Murakami |