四つの福音書による一つのイエス物語61
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました
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061
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目は体の明りであることを教える
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか
ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ  ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ
馬可傳iケ書 馬太傳iケ書 路加傳iケ書 約翰傳iケ書
マルコ傳iケ書 マタイ傳iケ書 ルカ傳iケ書 ヨハネ傳iケ書
マルコによる福音書 マタイによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書
6;22〜23 11;33〜36
第六章二二〜二三節 第一一章三三〜三六節
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう
馬太傳iケ書第六章
二二 身の光は目なり若なんぢの目瞭かならば全身も亦明なるべし
二三 若なんぢの目らば全身暗かるべし是故に爾の中の光もし暗からば其暗こと如何に大ならず乎
路加傳iケ書第一一章
三三 燈を燃て隱たる處あるひは升の下におくなし入來るの其光を見ん爲に燭臺の上に置なり
三四 身の燈は目なり爾の目かならば全身あかるく其目ければ爾の身も暗し
三五 故に爾にある光の暗らぬやう愼めよ
三六 もし爾の全身光明にして暗所なくば燈の輝きて爾を照す如く全く光明なるべし
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう
マタイ傳iケ書第六章
二二 身の燈火は目なり。この故に汝の目ただしくば、全身あかるからん。
二三 然れど、なんぢの目あしくば、全身くらからん。もし汝の內の光、闇ならば、その闇いかばかりぞや。
ルカ傳iケ書第一一章
三三 誰も燈火をともして、穴藏の中または升の下におくなし。入り來るの光を見んために、燈臺の上に置くなり。
三四 汝の身の燈火は目なり、汝の目正しき時は、全身明からん。されど惡しき時は、身もまた暗からん。
三五 この故に汝の內の光、闇にはあらぬか、省みよ。
三六 もし汝の全身明くして暗き所なくば、輝ける燈火に照さるる如く、その身全く明からん』
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう
マタイによる福音書第六章
二二 目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。
二三 しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、どんなであろう。
ルカによる福音書第一一章
三三 だれもあかりをともして、それを穴倉の中や枡の下に置くことはしない。むしろはいって来る人たちに、そのあかりが見えるように、燭台の上におく。
三四 あなたの目は、からだのあかりである。あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいが、目がわるければ、からだも暗い。
三五 だから、あなたの内なる光が暗くならないように注意しなさい。
三六 もし、あなたのからだ全体が明るくて、暗い部分が少しもなければ、ちょうど、あかりが輝いてあなたを照す時のように、全身が明るくなるであろう」。
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