四つの福音書による一つのイエス物語55
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました
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055
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「己を愛する者を愛しても報いはない」
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか
ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ  ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ
馬可傳iケ書 馬太傳iケ書 路加傳iケ書 約翰傳iケ書
マルコ傳iケ書 マタイ傳iケ書 ルカ傳iケ書 ヨハネ傳iケ書
マルコによる福音書 マタイによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書
5;46〜48 6;32〜36
第五章四六〜四八節 第六章三二〜三六節
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう
馬太傳iケ書第五章
四六 爾曹おのれを愛するを愛するは何の報賞かあらん稅吏も然せざらん乎
四七 安否を兄弟にのみ問は人より何の過たる事かあらん稅吏も然せざらん平
四八 是故に天に在す爾曹の父の完全が如く爾曹も完全すべし
路加傳iケ書第六章
三二 己を愛するを愛するは何の賞賜あらんや惡人にても己を愛するは愛する也
三三 己に善を行に善を行は何の賞賜あらんや惡人もまた是の如く行なり
三四 爾曹償る事を得んとおもふ人に借は何の賞賜あらんや惡人も其ごとく償を得んとて亦惡人に借なり
三五 爾曹仇を愛し又善をなし何をも望ずして借與よ然ば其賞賜は大なり且至上の子と爲ん夫上は恩を志るゝ者及び不善にまで慈愛を施せば也
三六 是故に爾曹の父の憐憫の如く亦憐憫を爲べし
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう
マタイ傳iケ書第五章
四六 なんぢら己を愛するを愛すとも何の報をか得べき、取稅人も然するにあらずや。
四七 兄弟にのみ挨拶すとも何の勝ることかある、異邦人も然するにあらずや。
四八 然らば汝らの天の父の全きが如く、汝らも全かれ。
ルカ傳iケ書第六章
三二 なんぢら己を愛するを愛せばとて、何の嘉すべき事あらん、罪人にても己を愛するを愛するなり。
三三 汝等おのれに善をなすに善を爲すとも、何の嘉すべき事あらん、罪人にても然するなり。
三四 なんぢら得る事あらんと思ひて人に貸すとも、何の嘉すべき事あらん、罪人にても均しきものを受けんとて罪人に貸すなり。
三五 汝らは仇を愛し、善をなし、何をも求めずして貸せ、然らば、その報は大ならん。かつ至高の子たるべし。至高は恩を知らぬもの、惡しきにも仁慈あるなり。
三六 汝らの父の慈悲なるごとく、汝らも慈悲なれ。
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう
マタイによる福音書第五章
四六 あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。
四七 兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。
四八 それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。
ルカによる福音書第六章
三二 自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。
三三 自分によくしてくれる者によくしたとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、それくらいの事はしている。
三四 また返してもらうつもりで貸したとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でも、同じだけのものを返してもらおうとして、仲間に貸すのである。
三五 しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。
三六 あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。
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