四つの福音書による一つのイエス物語48
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました
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律法は全て成し遂げられることを告げる
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか
ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ  ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ
馬可傳iケ書 馬太傳iケ書 路加傳iケ書 約翰傳iケ書
マルコ傳iケ書 マタイ傳iケ書 ルカ傳iケ書 ヨハネ傳iケ書
マルコによる福音書 マタイによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書
5;17〜20 16;17
第五章一七〜二〇節 第一六章一七節
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう
馬太傳iケ書第五章
十七 われ律法と預言を廢る爲に來れりと意ふ勿われ來て之を廢るに非ず成就せん爲なり
十八 われ誠に爾曹にん天地の盡ざる中に律法の一點一畵も遂つくさずして廢ることなし
十九 是故に人もし誠の至微き一を壞り又その如く人になば天國に於て至微きと謂れん凡そ之を行ひ且人には天國に於て大なると謂るべし
二十 我なんぢらにん學とパリサイの人の義よりも爾曹の義こと勝ずば必ず天國に入こと能じ
路加傳iケ書第一六章
十七 天地の廢るは律法の一畵の廢るよりも易し
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう
マタイ傳iケ書第五章
一七 われ律法また預言つために來れりと思ふな。たんとて來らず、反つて成就せん爲なり。
一八 誠に汝らにぐ、天地の過ぎ往かぬうちに、律法の一點、一畵も廢ることなく、悉とく全うせらるべし。
一九 この故にもし此等のいと小き誡命の一つをやぶり、且その如く人にヘふるは、天國にて最小きと稱へられ、之を行ひ、かつ人にヘふるは、天國にて大なると稱へられん。
 我なんぢらにぐ、汝らの義、學者・パリサイ人に勝らずば、天國に入ること能はず。
ルカ傳iケ書第一六章
一七 されど律法の一晝の落つるよりも天地の過ぎ往くは易し。
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう
マタイによる福音書第五章
一七 わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。
一八 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。
一九 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。
二〇 わたしは言っておく。あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に、はいることはできない。
ルカによる福音書第一六章
一七 しかし、律法の一画が落ちるよりは、天地の滅びる方が、もっとたやすい。
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