四つの福音書による一つのイエス物語39
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました
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039
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子についての証しを語る
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか
ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ  ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ
馬可傳iケ書 馬太傳iケ書 路加傳iケ書 約翰傳iケ書
マルコ傳iケ書 マタイ傳iケ書 ルカ傳iケ書 ヨハネ傳iケ書
マルコによる福音書 マタイによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書
5;31〜47
第五章三一〜四七節
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう
約翰傳iケ書第五章
三一 もし我事を我みづから證せば我證は眞ならず
三二 別に我事を證するあり我その我事を證する證の眞なるを知
三三 なんぢらに人をヨハネに遣しに彼眞理の爲に證を作り
三四 然どわれ人の證を受ず此事を言は爾曹の救れんが爲なり
三五 ヨハネは燃て光れる燈なり爾曹このみて暫く其光を喜べり
三六 我はヨハネより大なる證あり蓋父の我に賜て成遂しむる事すなはち我行ふ所の事は是父の我を遣しことを證すればなり
三七 且われを遣し父も我ことを證せり爾曹いまだ其聲を聞ず未だ其形を見ず
三八 その道は爾曹の心に存ざりき蓋なんぢら其遣しゝ者を信ぜざるに因て知る
三九 なんぢら聖書に永生ありと意て之を探索この聖書は我について證するなり
四十 爾曹わが所に生を得んがため來るを欲ず
四一 われ人の榮を受ず
四二 われ爾曹を知なんぢらは其心に~を愛するの愛あらざる也
四三 我は吾父の名にて來しに爾曹われを接ずもし他の人おのが名にて來ば爾曹これを接ん
四四 爾曹は互に人の榮を受て~より出る榮を求ざるなるに何で能信ずることを得んや
四五 爾曹を父に訴ると我を意ふ勿れ爾曹を訴るもの一人ありち爾曹が恃ところのモセなり
四六 若モセを信ぜば我を信ずべし蓋モセ我事を書たればなり
四七 若モセの書し事を信ぜずば何で我言しことを信ぜんや
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう
ヨハネ傳iケ書第五章
三一 我もし己につきて證せば、我が證は眞ならず。
三二 我につきて證するは、他にあり、その我につきて證する證の眞なるを我は知る。
三三 なんぢら前に人をヨハネに遣ししに、彼は眞につきて證せり。
三四 我は人よりの證を受くる事をせねど、唯なんぢらの救はれん爲に之を言ふ。
三五 かれは燃えて輝く燈火なりしが、汝等その光にありて暫時よろこぶ事をせり。
三六 然れど我にはヨハネの證よりも大なる證あり。父の我にあたへて成し遂げしめ給ふわざ、ち我がおこなふ業は、我につきて父の我を遣し給ひたるを證し、
三七 また我をおくり給ひし父も、我につきて證し給へり。汝らは未だその御聲を聞きし事なく、その御形を見し事なし。
三八 その御言は汝らの衷にとどまらず、その遣し給ひしを信ぜぬに因りて知らるるなり。
三九 汝らは聖書に永遠の生命ありと思ひて之を査ぶ、されどこの聖書は我につきて證するものなり。
 然るに汝ら生命を得んために我に來るを欲せず。
四一 我は人よりの譽をうくる事をせず、
四二 ただ汝らの衷に~を愛する事なきを知る。
四三 我はわが父の名によりて來りしに、汝等われを受けず、もし他の人おのれの名によりて來らば之を受けん。
四四 互い譽をうけて唯一の~よりの譽を求めぬ汝らは、爭で信ずることを得んや。
四五 われ父に汝らを訴へんとすと思ふな、訴ふるもの一人あり、汝らがョとするモセなり。
四六 若しモセを信ぜしならば、我を信ぜしならん、彼は我につきて錄したればなり。
四七 されど彼の書を信ぜずば、爭で我が言を信ぜんや』
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう
ヨハネによる福音書第五章
三一 もし、わたしが自分自身についてあかしをするならば、わたしのあかしはほんとうではない。
三二 わたしについてあかしをするかたはほかにあり、そして、その人がするあかしがほんとうであることを、わたしは知っている。
三三 あなたがたはヨハネのもとへ人をつかわしたが、そのとき彼は真理についてあかしをした。
三四 わたしは人からあかしを受けないが、このことを言うのは、あなたがたが救われるためである。
三五 ヨハネは燃えて輝くあかりであった。あなたがたは、しばらくの間その光を喜び楽しもうとした。
三六 しかし、わたしには、ヨハネのあかしよりも、もっと力あるあかしがある。父がわたしに成就させようとしてお与えになったわざ、すなわち、今わたしがしているこのわざが、父のわたしをつかわされたことをあかししている。
三七 また、わたしをつかわされた父も、ご自分でわたしについてあかしをされた。あなたがたは、まだそのみ声を聞いたこともなく、そのみ姿を見たこともない。
三八 また、神がつかわされた者を信じないから、神の御言はあなたがたのうちにとどまっていない。
三九 あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
四〇 しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとにこようともしない。
四一 わたしは人からの誉を受けることはしない。
四二 しかし、あなたがたのうちには神を愛する愛がないことを知っている。
四三 わたしは父の名によってきたのに、あなたがたはわたしを受けいれない。もし、ほかの人が彼自身の名によって来るならば、その人を受けいれるのであろう。
四四 互に誉を受けながら、ただひとりの神からの誉を求めようとしないあなたがたは、どうして信じることができようか。
四五 わたしがあなたがたのことを父に訴えると、考えてはいけない。あなたがたを訴える者は、あなたがたが頼みとしているモーセその人である。
四六 もし、あなたがたがモーセを信じたならば、わたしをも信じたであろう。モーセは、わたしについて書いたのである。
四七 しかし、モーセの書いたものを信じないならば、どうしてわたしの言葉を信じるだろうか」。
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