四つの福音書による一つのイエス物語9
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました
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009
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ザカリア神を讃える
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか
ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ  ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ
馬可傳iケ書 馬太傳iケ書 路加傳iケ書 約翰傳iケ書
マルコ傳iケ書 マタイ傳iケ書 ルカ傳iケ書 ヨハネ傳iケ書
マルコによる福音書 マタイによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書
1;67〜80
第一章六七〜八〇節
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう
路加傳iケ書第一章
六七 父ザカリア聖靈に感され預言して曰けるは
六八 主なるイスラエルの~は讚美べき哉これ其民を眷顧て贖を爲し
六九 我の爲に拯救の角を其僕ダビデの家に挺たまへば也
七十 古より聖なる預言の口を以て言たまひしが如し
七一 ち我を敵また凡て我を惡むの手より脫す救なり
七二 此は仁惠を我の先に施し又その聖約を忘じと也
七三 是我の先祖祖アブラハムに立し所の誓にして
七四 我を敵の手より救ひ我の生涯を
七五 聖と義に於て懼なく主に事しめんと也
七六 兒よ爾は至上の預言と稱られん蓋なんぢ主に先ちて行その路を備んと爲ばなり
七七 ~の深き矜恤にョその罪を赦されて救れん事を其民に示さんため也
七八 その矜恤にョて旭の光上より
七九 幽暗と死に住るを照し我の足を導きて平康なる路に至せんとて臨めり
八十 斯て兒は漸成長し拐~ますます强健にしてイスラエルに顯るの日まで野に居り
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう
ルカ傳iケ書第一章
六七 斯て父ザカリヤ聖靈にて滿され預言して言ふ
六八 『讚むべきかな、主イスラエルの~、その民を顧みて贖罪をなし、
六九 我等のために救の角を、その僕ダビデの家に立て給へり。
 これぞ古へより聖預言の口をもて言ひ給ひし如く、
七一 我らを仇より、凡て我らを憎の手より、取り出したまふ救なる。
七二 我らの先に憐憫をたれ、その聖なる契約を思し、
七三 我らの先アブラハムに立て給ひし御誓を忘れずして、
七四 我らを仇の手より救ひ、生涯、主の御前に、
七五 聖と義とをもて懼なく事へしめ給ふなり。
七六 幼兒よ、なんぢは至高の預言と稱へられん。これ主の御前に先立ちゆきて其の道を備へ、
七七 主の民に罪の赦による救を知らしむればなり。
七八 これ我らの~の深き憐憫によるなり。この憐憫によりて、朝の光、上より臨み、
七九 暗Kと死の蔭とに坐するをてらし、我らの足を平和の路に導かん』
 斯て幼兒は漸に成長し、その靈强くなり、イスラエルに現るる日まで荒野にゐたり。
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう
ルカによる福音書第一章
六七 父ザカリヤは聖霊に満たされ、預言して言った、
六八 「主なるイスラエルの神は、ほむべきかな。神はその民を顧みてこれをあがない、
六九 わたしたちのために救の角を/僕ダビデの家にお立てになった。
七〇 古くから、聖なる預言者たちの口によってお語りになったように、
七一 わたしたちを敵から、またすべてわたしたちを憎む者の手から、救い出すためである。
七二 こうして、神はわたしたちの父祖たちにあわれみをかけ、その聖なる契約、
七三 すなわち、父祖アブラハムにお立てになった誓いをおぼえて、
七四 わたしたちを敵の手から救い出し、
七五 生きている限り、きよく正しく、みまえに恐れなく仕えさせてくださるのである。
七六 幼な子よ、あなたは、いと高き者の預言者と呼ばれるであろう。主のみまえに先立って行き、その道を備え、
七七 罪のゆるしによる救を/その民に知らせるのであるから。
七八 これはわたしたちの神のあわれみ深いみこころによる。また、そのあわれみによって、日の光が上からわたしたちに臨み、
七九 暗黒と死の陰とに住む者を照し、わたしたちの足を平和の道へ導くであろう」。
八〇 幼な子は成長し、その霊も強くなり、そしてイスラエルに現れる日まで、荒野にいた。
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