四つの福音書による一つのイエス物語8
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一つのイエス物語に纏めました
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順にイエス物語は発展していきます
物語の初めから終りまでを331の話に分け話の一つ一つを四福音書の日本語訳を並べる形で紹介しています
福音書の日本語訳は英国聖書會社「新約全書」(明治三十九年発行)、日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)、日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)を並べて比較できるようにしました
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008
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ヨハネ生まれる
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上の言葉が四福音書の中でどう記されているか、記されていないか
ΚΑΤΑ ΜΑΡΚΟΝ  ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ
馬可傳iケ書 馬太傳iケ書 路加傳iケ書 約翰傳iケ書
マルコ傳iケ書 マタイ傳iケ書 ルカ傳iケ書 ヨハネ傳iケ書
マルコによる福音書 マタイによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書
1;57〜66
第一章五七〜六六節
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英国聖書會社「舊新約全書」(明治三十九年発行)の「新約全書」で見てみましょう
路加傳iケ書第一章
五七 エリサベツ期みちて男子を生り
五八 その隣里のまた親戚のもの主がエリサベツに大なる慈悲を垂たまひし事を聞て偕に喜べり
五九 第八日に及ければ彼等子に割禮せんとて來り其父の名に因ザカリアと名んとせしに
六十 其母こたへて然す可らずヨハネと名べしと曰ければ
六一 彼等エリサベツに對て曰けるは爾が親戚の中には此名を名しなし
六二 彼ら遂に其父に頭にて示いかに名んと欲か問たるに
六三 ザカリア寫字板を請て其名はヨハネと書しるしかば皆奇めり
六四 ザカリアの口たちに啓て舌とけ言ひて~を頌たり
六五 その隣里に住たる人人みな懼ぬ又すべて此事をくユダヤの山地に傳播されしかば
六六 聞もの皆これを心に藏て此子は如何なるにか成んと曰り主の手かれと共に在き
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日本聖書協會「新約聖書」改譯(大正六年)で見てみましょう
ルカ傳iケ書第一章
五七 エリサベツむ期みちて男子を生みたれば、
五八 その最寄のもの親族のども主の大なる憐憫を、エリサベツに垂れ給ひしことを聞きて、彼とともに喜ぶ。
五九 八日めになりて、其の子に割禮を行はんとて人きたり、父の名に囚みてザカリヤと名づけんとせしに、
 母こたへて言ふ『否、ヨハネと名づくべし』
六一 かれら言ふ『なんぢの親族の中には此の名をつけたるなし』
六二 而して父に首にて示し、いかに名づけんと思ふか、問ひたるに、
六三 ザカリヤ書板を求めて『その名はヨハネなり』と書きしかば、みな怪しむ。
六四 ザカリヤの口たちどころに開け、舌ゆるみ、物いひて~を讚めたり。
六五 最寄に住むみな懼をいだき、又すべて此等のことくユダヤの山里に言ひされたれば、
六六 聞くみな之を心にとめて言ふ『この子は如何なるにか成らん』主の手かれと偕に在りしなり。
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日本聖書協会「新約聖書」口語訳(昭和二十九年)で見てみましょう
ルカによる福音書第一章
五七 さてエリサベツは月が満ちて、男の子を産んだ。
五八 近所の人々や親族は、主が大きなあわれみを彼女におかけになったことを聞いて、共どもに喜んだ。
五九 八日目になったので、幼な子に割礼をするために人々がきて、父の名にちなんでザカリヤという名にしようとした。
六〇 ところが、母親は、「いいえ、ヨハネという名にしなくてはいけません」と言った。
六一 人々は、「あなたの親族の中には、そういう名のついた者は、ひとりもいません」と彼女に言った。
六二 そして父親に、どんな名にしたいのですかと、合図で尋ねた。
六三 ザカリヤは書板を持ってこさせて、それに「その名はヨハネ」と書いたので、みんなの者は不思議に思った。
六四 すると、立ちどころにザカリヤの口が開けて舌がゆるみ、語り出して神をほめたたえた。
六五 近所の人々はみな恐れをいだき、またユダヤの山里の至るところに、これらの事がことごとく語り伝えられたので、
六六 聞く者たちは皆それを心に留めて、「この子は、いったい、どんな者になるだろう」と語り合った。主のみ手が彼と共にあった。
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