カーライル著「英雄論」は明治に数多く翻訳され預言者マホメット(回教)を日本人に広く知らしめました
コーランの全文和訳は大正まで待ちますが預言者マホメットの評伝は明治にカーライルの「英雄論」の翻訳よって日本人に広く紹介されました
内村鑑三は英雄論を読んで自著の中でクロムウエル論を展開しています
翻訳は数多くありますが土井晩翠が翻訳した英雄論の中から預言者マホメット(回教)の講を復刻してみました
目次と本文(リンク先にあります)は明治時代そのままの形を復刻できるように努めました
目次
英雄論(カライル著、土井林吉(晩翠)、明治三十一年刊、明治四十二年改訂)
第一講 ~人、オヂン。異、スカンヂナビヤ、~代史
第二講 預言マホメット、回ヘ
●破題
●向後英雄の~明視さることなし
●英雄を~視するは不可なり●之を賤むるは更に不可なり
●マホメットは従来の說の如く詐人に非す
●詐人豈に宗ヘを起すを得んや
●偉人は必ず誠なり眞なり
●英雄は天の下すところ人で之に聽くべし
●マホメット~命に因て來れり
●過失說
●アラビアの地勢●アラビア人の性質
●アラビア人は宗ヘ的なり●約百書はに成りしならむ
●アラビア往時の禮
●メツカ市の起原●其政治等
●マホメットの幼時
●シリアに行
●マホメット文字を知らず
●其性質容貌等
●マホメットの結婚●~命を唱へしは晩年にあり
●マホメットの哲理檢究
●マホメット眞理を求む●彼詐人ならんや
●マホメットの開悟
●マホメットの信仰
●マホメットの預言たる所以
●最初の信徒
●布ヘの端氏怎Aリ
●叔父の諫●マホメットの決心
●危
を取る
●兵力に因る不可なし
●造化の大法●眞理の形骸は滅すべし其拐~は不變なり
●マホメットヘの價値
●混沈迷妄のヘを斥く
●「コラン」
●「コラン」の
●「コラン」の功績●其述作せられし狀態
●マホメット心中の混擾●彼豈ニ詐人ナランヤ
●「コラン」は誠の書
●萬有悉く~秘なり●マホメットの慧眼
●萬有の~
●マホメットヘ放逸の說●宗ヘ如何して其徒を得る
●マホメットの人物如何
●其正直信實敬~
●渠に矯飾なし
●マホメット好事の徒に非ず
●マホメットヘの正義仁愛
●來世說
●回ヘの放逸に付て
●回ヘの來世說中に含む大眞理●回ヘとベンザム主義との對比
●不完の故を以て回ヘを棄る勿れ●回ヘ徒の信仰
●結論
第三講 詩聖、ダンテ、及セクスピア
第四講 高、ルテル、宗改革。ノックス、Cヘ
第五講 文豪、ヂョンソン、バルンス、ル
第六講 帝王、クロムヱル、ナポレオン。近代革命
本文
英雄論(カライル著、土井林吉(晩翠)、明治三十一年刊、明治四十二年改訂)
第一講 ~人、オヂン。異、スカンヂナビヤ、~代史
第二講 預言マホメット、回ヘ
●破題
北歐スカンヂナビアに於ける元始魯莽の異ヘ時代を過ぎ、吾人は今全く世代人種を異にせる宗ヘに人らんとす、
アラビア人の「マホメットヘ」是なり。是一大變遷なり。
人間萬般の境遇上思想上に現はる變遷進果して幾何ぞや。
●向後英雄の~明視さることなし
英雄は今其同胞中に~と崇められず、然れども~託を被むれるもの預言として敬せらる。
是英雄崇拜第二の面目なり、第一最古のものは已に去りて又歸るべからず、
世界の歷史上同胞友輩より~視せらる偉人再び起ることなからん。
しかのみならず吾人は問はんとす、一團の人間一傍人を目して誠に~となし、誠に造物主となししこと、
嘗て是ありしやと、恐らくは無らむ、~としたるは其記臆せるところ、或は一度嘗て見たりしところ也。
然れども是已に過ぎたり、向後偉人は~と崇めらることなし。
●英雄を~視するは不可なり●之を賤むるは更に不可なり
偉人を~と思ひしは昧の大謬なり。
然れども英雄を知りて之を解し之を遇する法常にきを思はざる可らず。
一代の史上尤も較なる面目は其偉人を待する法なり。
人間の眞情より觀ずれば、偉人の內、常に~の如きものあり、之を~と爲すか、預言と爲すか、はた何となすか、
是一大問題也、人の之に對する答如何を見て其拐~狀態の深秘は徹せんこと恰も一小窓より窺ふが如きを得ん。
偉人が造化の手中より出で出るや其本質常に同一なりオヂン、ルテル、ヂョンソン、バルンス皆此の如し、
余は是皆同一の原質たるを明知せしめんと欲す、只世人之を待遇するの法如何に因り、
其占むるところの外形如何に因りて大差を生ずること夫の如し。
ヂン崇拜は驚くべし、偉人に俯伏し、驚異敬愛の極、昏迷に陷り、衷心より彼を以て天上のものとなし、
~となすこと是頗る恰好ならず、然れども例せば吾人がバルンスを待せしごとき、是我が所謂恰好なるものなりや。
皇天此眞上に下せる至重の賜、所謂天才なるもの、眞に~命は因て天よりこに下れるもの--吾人之を浪費すること恰も烟火の玩弄物の如く、
只片時の樂に供して、後之を冷灰に埋め、壞敗無用の物に歸せしむ、偉人を待することの此の如しを余は甚だ恰好なりと云はず。
善く事物の眞相を觀ぜばバルンス待遇の道之をスカンヂナビアの法に此するに、更に醜惡の現象にして、
人事の不完を表はすこと更に甚きものなるを見む。愛敬賞の無理なる昏迷に陷るは宜しからず、
然れども此の如き無理非法不遜無愛は恐らく更に惡しからむ。
英雄崇拜は常に變じ、各時互に相異にして、何等の時代にも當を得ることし。
一代全事業の~髓は是が當を得るにありと云ふも可なり。
●マホメットは従来の說の如く詐人に非す
余がマホメットを撰びしは至上の預言としてにあらず、只之に關して尤も自在に說き得べきものとして也。
彼素より預言の最眞なるものにあらず、然れども余は彼を眞なるもの隨一とす。
且吾人の中何人も回ヘ徒となるの虞なきを以て、余は當を失ふことなく悉く彼の美點を擧げんと欲す、是其秘奧に達するの法なり。
請ふ吾人をして彼が世を觀ぜし所如何を知らしめよ、然らば世の之を觀ぜしところ、今觀ずるところ如何、是更に容易く答ふべき問題とならむ。
人曰くマホメットは欺騙なり、「虛僞」化して肉體となれるなり、曰く其宗ヘは虛僞と蒙昧との堆積に過ぎずと、
此從來普通の說は今實に支ふ可らしざるに至らんとす。
基督ヘに熱心なるもの彼に虛妄を被らしむる其意は可なり、然かも是却て己の辱にあらずや。
コック、グロチアスに問ひて曰く、マホメット鳩を馴らして耳より豆を摘ましめ、以て天使我に命を傳ふと詐はれりと、
其證何くにありや、グロチアス答へて曰く其證あるなしと。
今はかる一切を棄つべきの時なり。民一億八千萬、命をマホメットの言に托せしこと今に一千二百年、
而してこの一億八千萬は皆上帝の造るところ全く吾人と等しきにあらずや。
上帝の民にして今日マホメットの言を信ずるもの何等他の言を信ずるのものより多し。
嗚呼上帝所造の人之を尊奉する此の如くしきもの、吾人豈之を以て唯一片の拐~術となすべけんや。
吾斷じて此を思ふ能はず。之を信ぜば天下何物か信ず可らざらむ、
虛僞若し世上に繁榮して裁可せらるかくの如しとせば吾この世を如何せんや。
●詐人豈に宗ヘを起すを得んや
鳴呼痛むべき哉此種の說、上帝の眞世界にありて事を知らんと欲するものは全く此を信ずる勿れ、
是懷疑時代の物なり、至慘なる靈性の麻痺病也、人間靈魂の全死なり。思ふに說の世間に宣布せられて不敬之に勝るもの末だ是あらず。
詐人宗ヘを起せりとは何の謂ぞや。詐人は瓦屋を作る能はず。
人若し眞に白堊粘土等の使用物の性を知りて之れに從ふに非んば、成るところは家にあらずして瓦礫の堆のみ、直に倒れむ、
いかで一億八千萬を歇めて十二世紀を支えんや。
人は自然の大法に合せざるべからず、眞に造化と眞理とに交通せざる可らず、然らずんば造化は之に答へて否なり、
全く否なりと曰はん。矯飾は矯飾なり。
夫のカリヲストロの輩、顯位に立ちて世を制するもの、其詐僞を以て一日の榮を得む。
是恰も造紙幣の如し、彼之を手中より出す、而して爲めにを蒙むるは他にして彼に非ず、此に於てか佛蘭土革命の如きあり、
眞理の火光天にして痛烈峻酷、んで曰く、紙幣は也と。
●偉人は必ず誠なり眞なり
然れども特に偉人に關しては余彼の眞ならざるを信ずる能はずと斷言せむ。
眞は偉人の某礎なり、一切其心中に存するもの基礎也。ミラボ、ナポレオン、バルンス、クロムヱル等--よく事をなすもの、
皆首として事に誠實ならざるはなし、我は之を至誠の人と稱す。
至誠--幽深偉大醇粹の至誠は一切偉人の首先の特賞なり。
是自稱の至誠に非ず、自稱の至誠は極めて賤し、--淺薄矜誇自覺の誠多くは自尊也。
偉人の至誠は自ら覺らず、自ら語る能はざるもの也、彼却て己の不誠なるを覺えむ、
一日も能く錯なく眞理の大法を守り得るものはあらざれば也。
偉人は自ら傲りて誠と誇らじ、之を去ること遙かに遠し、恐くは彼自ら其然るを問ふことなからん。
寧ろ其至誠は自己に屬せず、彼自ら至誠ならざるを得ずと曰ふべし。
彼は人生の大事を認む。逃れんとするも彼は此然恐るべき實理の面前を脫する能はず、心の組織然ればなり、
而して其大なる所以首としてにあり。
彼が肅然として見るところ宇宙は甚深微妙にして生死と等しく實也。
一切の人眞理を忘れて虛觀に據るも偉人は之に從ふ能はず、
炎影爛終始照らして彼にあり、決して否むべからざる也、斷じて否む可らざる也。
請ふ之を採て我が偉人首先の定義となせ。凡人も或は至誠なるべし、上帝造るところの萬人之を能くすべければ也。
然れども偉人は必ず之を有す、是なくんば偉人決して存す可らず。
●英雄は天の下すところ人で之に聽くべし
此の如きものを、吾人は稱して獨創の人と云ふ、彼直に物の眞源頭より來り、無極不可知の玄妙界より下りて我にヘを傳ふ。
之を稱して詩人と云ひ、預言と云ひ、~と云ふ、要するに吾人は其言他人の言と等しからざるを感ず。
彼は直ちに事物の內界より出でて常に之と交通す。
俗說之を隱す能はず、彼俗說に從へば盲にして據るところなし、實理は彼を照して照たり。
其述言眞に一種の「天啓」にあらずして何ぞや、(他に適稱なければ也)。彼は天地の心奧より來る、彼元始眞理の一部分なり。
~「天啓」を爲すこと多し、而して今又彼を以て最後最新の「天啓」となせしにあらずや。
「全能者の靈感彼に知を授く」。
吾人は他を後にして先づ彼に聽かざるべからず。
●マホメット~命に因て來れり
然らば此マホメットを目して虛僞妄誕と爲べからず、賤陋貪名の畵策と考ふ可らず。
其使命粗莽なるも猶眞にして不可知の幽淵より來れる混亂せる、しかも誠實なる聲なり。
其言虛ならざりき、其經營亦信ならざりき、虛僞に非ず、欺騙に非ず、一團の生命の火造化の胸裏より發出せるものなり。
曰く世界を燃せと、造化の主宰命ぜしところ實に此の如し。誤謬あり、不完あり、甚きは不誠ありて、
彼之を犯しこと十分明瞭に證すべしとするも、マホメットに關する此一大事を動すに足らず。
●過失說
槪して之を言ふ、吾人は過失を見ること重に過く、事の細目其要點を隱蔽す。
過失とは何ぞや。過失の最大なるものは自ら過を覺らざること是なり。
思ふに特に聖經を讀むは善く知らむ。
この書の中に~意を從ふとは誰ぞや。
イスラエル王タビットは飽まで罪を犯せり、重大の罪を犯せり、罪何の足らざるところあらむ。
此に於てか不信仰は嘲り問ふて曰く、是爾が所謂~意に從ふの人かと。
此嘲笑は實に淺薄なりと云はざるを得ず。
人生の內秘、恨、誘惑及力爭の正しくして屢敗れ決して止むなきもの、是若し忘らるとせば、
人生の外面細事何かあらむ、過失何かあらむ。
行を導くはの爲すところに非ず。」
人間行爲中至聖なるものは懺にあらずや、至重の罪は傲然自ら罪を覺らざるにあらずや、是死なり、
かくの如き心は至誠より離れ、謙より離れ、實蹟より離る、是死也、其「純」たることも恰も生なき乾沙の純なるが如し。
我はタビットの頌歌を讀みて其一生を觀じ、之を以て人間此世に於ける道コ進及爭鬪苦戰の最眞なる表號となす。
一切の眞人は中に誠實の靈魂、常に善に志して罪と鬪ふを見ん。鬪敗れ、激しく敗れて全く壞滅に歸せんとすれども止まず、
悔恨の淚を奮ひ、挫折せずして每に志望を新たにす。
人世憐むべし、人の行は「顚倒の連續」にあらずや。人他に何をか能くせん、
荒漠たる生命の途上、人は唯奮ひて前進すべく、倒れて自ら羞ぢ、淚を流し、心にえ心を痛めて、又前途に其力爭を續くべし。
唯其爭鬪誠實不屈なるや否や、問はんとするところにあり、其拐~にして誠ならば吾人は多くの傷むべき細目を恕せん。
吾人は獨り細目に因て拐~の如何を知ること能はず、マホメットの過失を唯過失と認めてすら吾人猶誤解するにあらずや。
然れどむ過失に注意するのみにては其眞秘は知るべきに非ず。
吾人は今悉くかる過失を度外見しマホメットの志すところ一種の實にありしを信じて公明に其何たるやを究めんとす。
●アラビアの地勢●アラビア人の性質
マホメットの生國アラビアの人は實に異常の人民なり。
其國己に異常にしてかくの如き人種の住居に適す。
險絶崖嵬の山嶺あり。
廣大獰の大漠ありて、鬱蒼たる酷yと錯り、水あるところ必ず壕あり 好景あり、芬芳の香木、棗樹、沒藥樹あり。
大漠遠く地平線に接し、虛曠寂、民人の住居を離隔す。
にあるもの獨り天地と俱也。
日中は爛たる光線直射して堪ふべからず、夜に至れば大空杳渺として星斗瀾然なり。
かくの如き邦土は敏慧深沈の人種に適す。
アラビア人の性質中、尤も銳敏活潑にして、しかも尤も沈思熱心なるところあり。
人は波斯人を稱して東方の佛人と云ふ、吾人はアラビア人を稱して東方の伊太利人と云はんとす。
天賦高尙にして感情に富み、而かも善く自ら抑制するは、善く其高尙の志操と天才とを徵するに足る。
アラビア牧民外人を幕內は迎へてにあるところのもの悉く之が意に任かすべしとなす。
外人重仇なりとするも、聖律に因り三日間鷄を殺して之を饗し、之を待すること極めて慇懃なり。
三日を經れば送て之を出でしめ、而して他の聖律に從て能ふべくんば之を殺す。
言行相背かず、多辯ならず寧ろ沈默なるも語るときは明暢敏達にして眞に、誠寶の民なり。
其ユデア人種に屬するは吾人の知るところ也、然れどもユデア人の死守畏るべき誠實を加へて之を見るべからざる溫雅明快の好處あり。
マホメットの時代以前詩歌の競行はれたりき、セル曰くアラビアの南オカトに每年互市あり、
交易終る後、詩人ふて賞を得んとし、野人來集して之を聽くと。
●アラビア人は宗ヘ的なり●約百書はに成りしならむ
アラビア人はユデア人種の一特質を表す、是高尙なる性の結果にして我が所謂宗ヘ的なるもの是なり。
彼等は古來其明知に應じて熱心の崇拜なりき。
彼等は拜星徒として星を拜し、又多く天然物を拜し之を認めて造物の表號となし、直接の現示となせり。
是誤てり、然れども全然の誤にあらず。一切上帝の運營は又上帝の表號なりと云ふを得べし。
前に述べたる如く吾人は猶一切自然物中に無盡の意味を認め、詩美を認むるを稱するにあらずや。
之を認めて、之を述べ、之れを謠ふものは詩人として尊敏せらる、是恰も崇拜を稀薄にせるもの也。
アラビアに預言多し、是皆各種屬の師にして自己の明悟に應じて其職を果せり。
古來此の粗野沈思の人民は敬信貴の美コを有せり、其證據は人皆知らむ。
夫の「約百書」此地に成れりとは聖經學の與論なるが如し、我は他人の論評を離れ、此書を目して古來紙上に痕を止めし最大物の隨一となす。
よく此書のヘブル的ならざるを感ぜん、かの高尙の愛國心或は宗ヘ心を離れて、別に高尙博大普遍の氣其中に充滿す。
高尙の書なり、萬人の書なり、是かの永劫の大疑問、人間運命及上帝の攝理に關せる最古原始の說なり。
自在流暢の文、大に誠實簡易を極め、音調玲瓏にして復和靜寧の氣亦盛なり。
中に烱眼あり、靜和知了の心あり、達觀獨り靈界の事物に止まらず、物質上に於て亦然り。
其馬をするに曰く汝轟雷を其首はへるや、曰く彼槍刃を震ふを笑ふと。
形容絶妙活けるが如き後世之に此すべきものなし。
の悲哀、崇の復和、人心と等しき最古嘹喨の調、溫柔斯の如く、莊大かくの如し。
夏夜の沈たるに似たり、宇宙の星斗洋を有するに似たり。
之と等價を有するもの、聖經の內、聖經の外、他にまた求む可らざる也。
●アラビア往時の禮
偶像崇拜のアラビア人が最古普通の禮拜物中に「K石」あり今メツカの「カアバア」殿堂に安置せる。
デオドラス、シクルスは明に此「カアバア」を記して當時(紀元前半世紀)の最古最尊の~殿なりと稱す。
シルトル、ド、サシは此K石は隕石なるものの如しと云ふ、然らば其天より降るを目覩したるものあらむ。
これ今「ゼムゼム泉」の傍にあり、而して「カアバア」は兩を圍む。
そもそも井泉は大地より溢出して生命の如く、到るところ快美の物たるを失はず、
暑熱乾燥の邦土にありては生存第一の必需なるを以て特に然りとなす。
「ゼムゼム泉」の名は井水滾湧のより來る、人思ひらく是正にハガアが幼兒を拉して荒野に得たる泉なりと。
隕石と井泉と殿裏に聖せらること今に數千年。
乙の「カアバア」頗奇なり。
今日猶土耳古其帝が每年寄進するK布に蓋はれ、高廿七キユビットありて、二重の圓柱及び燈火綺飾の花彩之を圍む。
今夜その燈光また星宵に輝かんとす。
信據すべき最古の殘片、是所謂回ヘ全般の「ケブラ」なり。
デルファイよりモロッコに至るまでるもの無數、眼を之に轉ずること日に五回、地上人間の住居中是亦尤較なる一中心なり。
●メツカ市の起原●其政治等
K石及ハアガアの井泉己に聖せられてアラビア衆種族皆こに參詣せしよりメツカ遂に一市をなすに至れり。
今頗る衰せるも一時は大市なりき。
是れ會市として天然の利を有せず、を離れ丘の間、沙地の凹處は立ち、日常の糧食麵包に至るまで他より輸入せざる可らず。
然れども巡禮の寓を求めしもの多し、而して巡禮の地は始めより商業の地となるものなり。
巡禮初集の日、商人亦集る、同一の目的ありて衆人相和するときは、此集合を基として又他事の爲すべきあり。
メッカは遂に全アラビアの互市場となす、
隨て又印度と西方國シリア、埃及、伊太利間の商業要地となり、倉庫となり、一時十萬の人口を有するに至れり。
是皆東西の物を買ふ、若くは輸送するもの、或は自ら爲めに糧食類を輸入するものなり。
其政治は不規則なる豪族共和制にして些の~治を混ず。
十人の豪族簡易の方法にして擇ばれ、メッカの知事となり「カアバア」を守る。
「コレイシ」はマホメット時代の豪族にしてマホメットの一家も亦此種に屬す。
殘餘の國民は沙漠に分隔せられ、一人若しくは數人の首長に統御せられて、治方の粗又前と等し、
牧畜運輸貿易を業とするものあり、又盜を事とするもの多し。
相互の間屢鬪爭あり、彼等は一般訂結の規約なく唯「カアバア」に集りてアラビア全體の偶像ヘ徒共は禮拜を行ふあるのみ、
主として人種言語の同一なるに因り內部の連遂に離る可らず。
此の如くしてアラビア人長く世に知られず、偉大の民自ら覺らずして一旦世界に赫たらん日を待てり。
當時其偶像ヘは將に顚に至らんとせしもの如く、事頗る混擾紛亂を來せり。
古往今來世界至重の大事、夫のユデア~人の生死、全世界萬民大變化の徵候たり原由たるもの、其報數百年を經て微にアラビアに入りぬ、
單に此事のみにてもに混亂起さざるを得ざるべし。
●マホメットの幼時
アラビアの事狀此の如し、而しつ西曆五百七十年マホメットの生れしは實に此處に於てす。
マホメットは「ハセム」の一族にして前に述べし如く「コレイシ」に屬し、貧なれども國中の名家に緣あり。
彼生れて直に父を失ひ、六歲にして才貌雙全の母を失ひ、爾來百歲の老父に養はる。
マホメットの父アブダラは此好老人が鐘愛の末子なりき。
父老眼を以てマホメットを見、恰も死せるアブダラの回るか如きを覺ふ、アブダラの殘す所獨彼あるのみ。
老人痛く此孤兒を愛し、平生衆に告げて曰く汝等善く此美兒を護れ、是一族中至重の也と。
其死に臨て二歲のマホメットを長叔父アブダレブに托せり、彼今一家の首長なるを以てなり。
此叔父の正直有道なりしこと事に徵して知るべし、マホメット之に因てアラビア最善の養育を受けたり。
●シリアに行
マホメット長ずるに及び、叔父に伴ふて行商を爲し、十八歲の時又に軍にあり。
然れども之より先數年シリアの互市場に行けること其旅行中の至要なるもの也、少年こに始めて外邦に接し、
又其一身上重要極り無き基督ヘに接せり。
人傳へてアブダレブ及マホメットと同宿せりとするネストリアのセルギウス我之を如何に考ふべきかを知らず、
侶が如何に此の如き妙齡をヘゆるやを知らず。
思ふに此ネストリアの談大に誇張せられしの如し。
マホメットは當時に十四歲にして只自國の語を知りしのみシリアにありては詭典解すべからざるもの多かりしならむ、
然れども少年の眼開けたり、事物の微光片影多く其採取するところとなりしは疑ふ可らず。
此物猶恰も隱語の如く其心中に存し一旦奇異に熟して見識となり、信仰となり、靈覺とならんとす。
此シリア旅行マホメットにとりて衆事の端を爲せしを思ふべし。
●マホメット文字を知らず
他に一事の忘る可らざるものあり、マホメットは學事ヘ育を受けず。
我が所謂學事ヘ育なるもの、彼は一も有せざりしこと是也。
書法當時恰も始めてアラビアに入れり、人傳へてマホメット書するとを能くせずと云ふもの眞なるが如し。
沙漠中の生涯と經驗との外彼のヘ育なるものなかりき。
彼は獨り此隱微の土にありて自己の眼光と思想とを以て無極の天地を觀ぜしのり、彼の知は只是なりき。
此書籍を有せざりしと甚だ奇なり。
アラビア沙漠中の幽僻にありて獨り自ら見しところ、又糊たる風評を聞きしところ、此を外にして彼の知るところなく、
時代を隔て方所を離れて、學問知慧の世に存せるものも全く無きに等し。
累世多邦の間隙大の靈魂光明を放つもの未だ一として直接にマホメットの偉靈と接せず。
彼寂としてはあり、獨り造化と己の思想とを伴として荒野の深に長じぬ。
●其性質容貌等
然れども彼が早時より沈思なるは人の認めしところにて、同輩彼を稱して誠と呼べり。
彼は眞實篤信にして言行思想皆誠なり。
皆彼が常に志あるを識れり。
彼平生沈毅にして要なければ默し、語れば穿として明敏誠忠善く事を辨ず、洵に此の如くして言始めて發すべし。
吾人は其一生堅固友愛純正の人と目せられしを見る。
彼は誠の質にして、然かも善く人と親睦し、時に諧を交へ、又快豁にして善く笑ふ。
世には其笑尙ほ自個の性行と等く眞ならざる人あり、是笑ふ能はざる人なり。
吾人又マホメットの美を聞く、容貌賢正を表し紅色を帶び、眼Kく光ると。
余又夫の額上の線を愛す、怒ればKく高まり、スコットの作「赤手套」中の「蹄形の」に類す。
此額上脹起のは「ハセム」一族の殊容にしてマホメットは其特に優なるものなり。
彼は奔放熱烈而かも正直正意の人、情火あり、光明あり、粗豪の能力あり、其性コ末だ磨せられず、
に沙漠の深奧に在て一生の大事を經營したり。
●マホメットの結婚●~命を唱へしは晩年にあり
マホメットは富める寡婦カデヂャの家宰となり、爲めに再びシリア互市場に旅し、事に處する忠信敏捷にしてカデヂャの感謝を得、尊敬を得、
遂は之と婚するに至る、此談アラビア文士の語るところ、全く優美にして又明白なり。
マホメット時に廿五歲、婦は尙美なりしも已に四十歲なりき。
彼れ恩妻と共に親密平和幸の生を營み、眞に彼女を愛し、獨り彼女を愛せしもの如し。
此の如く全く靜平普通無瑕の生を送りて壯年の元氣已に消磨せるに及びしこと是大にかの詐人論と反するにあらずや。
皇天の使命を宣べし時彼已に四十を越せり。
彼が不法の事、或は實際なるもの、或は想像に止るもの、是皆貞婦カデヂャ沒してマホメット五十を越ゆる後より始まる。
從來其「功名心」は正直の生を送るにありき、其「名聲」に至ては知己隣人の好評已に足れり。
年齡漸く傾き、一生功名の熱火已に燒燼して、平和は獨り此世に享受すべき要素となれるに及び、俄に起ちて「功名の途」に馴せ、
舊時の品性生涯を欺きて、凄慘不實の欺騙と爲り、にに自ら享く可らざるを求むと云ふ、我いかで之を信ずるを得んや。
●マホメットの哲理檢究
嗚呼然らず、此深沈たる荒野の兒、K眼爛として心慇懃且幽深なるもの、其抱懷の思想豈功名の外ならざらんや。
靜默偉大の靈彼亦自ら誠實なるを禁ずる能はず、是れ造化親く命じて誠ならしむるところの人なり。
他人は空文傳說にョりて、安んずるを得ん、彼は空文の內に蟄する能はずして、獨り自個の靈性と事物の眞理とに據る。
人生の大秘密彼の前に現じて驚駭莊麗を極め、一切の俗說此玄妙の實蹟を蔽ふこと能はず。
曰く「我にあり」と、誠此の如きは實に中に聖なるものあり。
る人の言は直に造化の衷心より來る。
人須く他を棄てゝ専ら之に傾聽すべし、之と此すれば他は悉く空言なり。
舊來巡禮遍歷の際、百千の思想マホメットの胸裏にありき、曰く余是れ何物ぞや、
我が住するところ衆の宇宙と呼ぶ所此玄妙不測の物果して何ぞや、生とは如何、死とは如何、我何をか信ずべき、何をか爲すべきと。
ラ、シナイの巖問へども答へず、幽土窺漠儼として曰はず、天、群星を率ゐて寂然高く旋回するもの亦答へず、
答は彼に得べからず、只自己の靈魂に內に存せる天來の靈想之に答ふべかりし也。
●マホメット眞理を求む●彼詐人ならんや
此事萬人皆自ら問はずんばあらず、吾人亦問ふて而して答ふべし。
マホメットは是を無極至要の大事となし、他事は之れに比して些の要なしと爲しぬ。
希臘語學派の贅論、茫漠たるユデアの傳說、蒙昧なるアラビア偶像の慣例--皆之に答ふるを得ざりき。
我は反覆之を曰ふ、英雄は事物の外裝を穿ちて其眞相を觀ると、是其首先の特色にして、吾人が稱して英雄の最始最終となす所のなり。
慣例風習、恰好の傳說、恰好の空文、--是等皆可ならん或は不可ならん、別に一物其內部に當りて、是に符合せらるもの無くんばあらず、
是に肖影とならるもの無くんばあらず、然らずんば是皆偶像禮拜なり、K材の數片~するなり、眞人の嘲笑憎惡する所なり。
金箔之を塗り、「コレイシ」の族長之を奉ずるも偶像能く彼に何をか爲さむ。衆人皆之に據るも何かあらむ。
莊嚴の實事赫として前にあり、彼之を答ふべし、然らずんば悽慘の死を遂げざる可からず、事眞に今にあり、
然らずんば無量劫を經るも其機なけむ。
之に答へよ、汝必ず答へずんばあらずと。
誰か功名といふ。
希臘ヘラクリアスの王冠、波斯コスロヱスの王冠、及地上百千の冠冕全アラビアをせて彼に何をか爲さむ。
此物一切彼に何をか爲さむ。
彼が聞かんと欲せしところは上なる天國なり、下なる陰府なり。
百千の冠冕百千の主權數年を過ぐれば滅して跡なし。
メッカ或はアラビアの首長となりて手に鍍金の一木片を握らば以て救濟を得たりとなすか。
余は斷じて之を考ふる能はず。
吾人はかの詐人說を全く棄てん、是信ずべからず、是忍ぶ可らず、只捐棄せらるに足るのみ。
●マホメットの開悟
マホメットアラビアの風習に從ひ、年九月に當り、靜寂の地に退くを常とせり、是嘉みすべき好習慣にして、
マホメットの如き人は就中其要用有理なるを認めむ。
寂寞たる山中自己の心を觀じ、默然としてかの「微音」に傾聽すること、正當自然の習慣なり。
マホメット時に年四十、此九月に當りメッカの近傍ハラ山の洞窟に退きて禱を事とし、夫の大問題を冥想せる後、一日其妻カデヂャに告ぐ。
(カデヂャ此年其一家と共にマホメットの傍にありき)曰く皇天特殊の恩寵に藉り、我今全く之を悟り、疑惑迷暗を脫して一切の眞理を透觀したり。
偶像空文は徒爲なり、た木材の斷片なり、一切の中一切の上、惟一の~あり、吾人は偶像を棄て之に向はざる可らず。
~獨り大なり、他一物の大なるものなし、~は唯一の實體なり、木像は實ならず、~は實なり。
~初めに吾人を造り、今猶之を支ふ、人間萬物皆只其陰影にして永劫の莊麗を蓋へる片時の被服なるものみ。
「アラ、アクバ」(~は大なり)と。又曰く「イズラム」と、吾人は~に服せざるべからず、
~我に施すところ如何に論なく、我が强なるは自己を捨てゝ~に服するに因る。
現世此の如し、來世亦此の如し、彼吾人に賦するに死を以つするも、死より甚きを以てするも必ず善ならむ、必ず最善ならん、
吾人は~に讓らざるべからずと。
テ曰く回ヘ果して此の如くば吾人は皆回ヘに居るにあらずやと、然り有コの生を營むもの皆此の如し、獨り運命は服するのみならず、
(運命は人を服せしめん)運命の儼然指揮するところを信じて最賢最善最要と知るべし、是古來人間最高の智慧也。
たる頭腦を以て上帝の天下を細査するの狂愚を止めよ、幽玄にして測る可ざるも、天下に正義の大法存して其拐~は善なるを知れ、
人間此世に於ける分は全體の大法に遵ひ、敬虔沈默之に從ふにあり、
之を疑はず、疑ふ可らずとして之に服するにあり。
●マホメットの信仰
これ今に至るまで世上惟一の眞コなり。
淺薄なる一切の法、片時の現象、利害の計較を棄て、固く天下の大法に合せば、
人は正にして敗るなく、コにして勝利の途にあり、人かの中心の大法に與みせば勝たむ、然らずんば敗れん、
而して之に與みし之の途に入るべき第一機會は全心を以て其實在にして唯一の善なるを知るにあり。
是回ヘの拐~なり、これ正に基督ヘの精~なり、回ヘは基督ヘの變態と曰ふべければなり。
基督ヘなりせば回ヘ亦あるべからず。
基督ヘも亦吾人の~に護るべきを命ず。
血肉肢體の曰ふ所に從ふ勿れ、浮華の僞說は聽く勿れ、浮華の悲哀願欲に聽く勿れ、人一物を知らずと知るべし、
外見最惡酷なるも內實果して然らざるを知るべし、我が遭逢せる所皆之を享け、~の下す所となして曰ふべし、是れ賢正なり、~は大なりと。
「彼れ我を殺すも我彼にョらむ。」回ヘの意は「我を否む」なり「我を滅する」也、而して是皇天地土に示せる至上の智慧也。
●マホメットの預言たる所以
光明此の如きもの來つてマホメットが心靈の瞑暗を照せり。
冥暗慘憺として救ふ可らざるに當り、恰も生命の如く皇天の如く燦爛赫灼として眼を眩するもの、
彼之を呼んで天啓と云ひ天使ガブリエルと云へり、誰か又能く適稱如何を知らんや、是上帝の靈感吾人に知を賜へる也。
事物を悟り、眞理に徹底すること是常に~秘の業なり、最善の論理法も只漸く其皮相を呶々するのみ。
ノバリス曰く信仰は眞に~告の不可思議に非ずやと。
マホメットの全心已に大眞理を授けられて炎火の如く燃え、之を唯一無上の大事と感じたること誠に理あり。
皇天大道を授けて無極に彼を尊からしめ、彼を死より救ひ、暗より救ふ、是に於てか彼亦之を萬人に傳へずんばあらず。
マホメットは~の預言なりと曰ふ所以實ににあり、而して是れ亦眞義なしとせじ。
●最初の信徒
余輩の想像する如く貞婦カデヂャ此言を聞きて且怪み且疑ひしが遂に答へて曰く君の言正しと。
マホメットの感謝極り無からしこと亦想ふべし、
婦の恩惠多しと雖も未だ此力爭誠實の言を信ぜるより大なるものあらず。
ノバリス曰く他人之を信ぜば我が信仰直ちに無窮に進すと、是無限の恩惠なり。
マホメット決して貞婦カヂヂヤを忘れざりき。後の寵妻は小婦アエシャと曰ひ、才能ありて生涯回ヘ徒間に名あり。
一日アエシャ彼に問ふて曰く「妾はガデヂャに優らずや、彼は老寡婦にして色衰へたり、良人妾を愛すること之に優らん。
マホメット答へて曰く然らず、斷じて然らず、他に何人も未だ我を信ぜざりし時彼女我を信ぜり。
全世界上我に唯一の友あり彼女是なりと。
●布ヘの端氏怎Aリ
奴セイド亦之を信ぜり、甥アリ(アブダレフの子)亦元始の改宗なり。
マホメット其ヘ理を衆人に宜べしが、多くは之れを嘲弄し之れを冷遇せり。
かくて三年にして得る所僅に十三人。
其の進頗る遲たりき。
此の如き形勢にありて得る所の奬勵知るべきのみ。
三年を過ぎ、一日マホメット其姻戚の主たるもの四十人を宴席に招き、立ちて其冀望を述べたり、曰く我之れを萬人に宣布せざる可からず、
是れ唯一至上のものなり、君の內之をせんものは誰ぞと。
衆皆疑ひて言なし、獨り少年アリ時に十六歲、人の沈默に忍びず、激勵の辭を放ちて曰く我之をせんと。
衆人(中はアリの父アブダレブあり)素よりマホメットは疎なるを得ず、
然れども不文の翁十六歲の少年と共に一切人間に反し比の如き企圖を決するを見て滑稽と爲して輾然大笑したり。
然れども是笑ふ可らず誠の大事なること後に到て現はる。
少年アリ--吾人は彼を愛することを禁ずる能はず。
終始の行爲に因て其高尙にして仁且勇たるを見るべし、
內に「シバリイ」の風あり、勇なること獅子の如きも、溫雅誠實仁愛にして基督ヘの士風を帶べり。
後年彼れバクダットの禮拜堂に暗殺せらる、是大にして他を信ぜしより起る。
終に臨みて曰く創傷若し死を致さずんば刺客を赦すべし、若し死を致さば又刺客を殺さんずばあらず、
かくて二人同時に~前に出で、彼此の曲直如何の判定を請はんと。
●叔父の諫●マホメットの決心
「カアバア」の守、偶像の監督「コレイシ」等マホメットを嫌ひしは當然なり、然れども一二の權家彼に結び、遲たれども着々歩を進む。
各人亦自ら之を嫌へり、曰く一切吾人より賢なりとし、吾人を咎めて愚となし、木片を拜するとなすは、果して何人ぞと。
好叔父アブダレブ彼に告げて曰く汝之を默し、獨り之を信じ、敢て之を述べて他人を困め權家を怒らし、
自他を危ふすることなくんば可ならずやと。
マホメット答へて曰く、日右に立ち月左に立ちて我に沈默を命ずるも從ふ能はず、わが悟得の眞理中、實に造化の大法あり
、其階級日月に等しく、天地間一物の之に優るはなし、日月之を禁ずるも、一切のコレイシ、一切の人間事物悉く之を禁ずるも、
上帝之を許さば我眞理を述べざる可らず、我是を爲すべし他一物を爲す可らずと。
マホメット此の如く答へ而して(世に傳ふらく)慘然として泣けり、彼慘然として泣けり、彼はアブダレブの懇情を知れり、
自己の事業易たらずして嚴肅偉大のものたるを知れり。
●危
マホメット進んで聽に說き、巡禮メッカに來れば之に其ヘ理を宣べ、所に従者を得たり。
抗逆憎惡危に遇ふと絶へず。其權戚彼を守れり、然れども漸次マホメット其從を諭してメッカを去り、を渡りてアビシニヤにを避けしむ。
コレイシ族の憤怒日に長じ、謀を畵して手づからマホメットを殺さんと盟ふ。アブタレブ已に死せり、貞婦カデヂァ亦死せり。
マホメット素より吾人に同情を求むるに非ずと雖とも當時其境遇尤も慘悽を極め、或は洞窟にみ、或は微服を爲し、
所に奔竄してョるところなく、命常に危きを致し、萬事殆んど了らんとしたること一回に止らず、
生命及ヘ理に終りて全く聞ゆるなきに至らんとし、危急存亡間髮を容れざりしもの一回に止らず、
一時は乘馬の「ヘヂラ」駭に因てに命を免るを得たり、然れとも其事業遂にに終らず。
を取る
使命を宣べてより十三年、其仇敵連合し一種屬より一人を拔きしもの合して四十名、盟を結びマホメットを殺さんとす。
彼メッカに留ること又得べからず、奔りてヤトレイブに到り、若干の從を得たり、是より此地を稱してメヂナと云ふ、
或は之をメダナ、アルナビ、「預言者の市」と曰ふ。
岩石沙漠を越ゑて相去ること二百餘里、決れ困を極めてに遁れて、土人に好遇せらる、途上奔竄の狀想ふべし。
東洋の紀元は此奔竄を基とす、所謂「ヘヂラ」是なり、「ヘヂラ」元年は西曆六百二十二年マホメット五十三歲の時なり。
彼今老たり、朋友は相續きて歿し、前途荒凉として危多し、心中に望むところなくんば外の慘悽實に堪ふ可らず。
此の如き境地に在ては人皆然り。
從來マホメット獨り講話勸告に因りて其宗ヘを擴めんとしたりき、然れども惡人其誠實なる皇天の使命に從はず、
幽玄なる中心の叫を聞かず、之を續けば却て彼を殺さんとす。
故に零丁を極め故國を去りて今や沙漠の野人奮然己を防ぎてアラビア人にぢず、丈夫にぢざらんとす。
コレイシの徒之を欲せば其欲するに任かせよ、彼等は萬人無上の大道に聽かず、暴力劒戟屠殺以て之を蹂躪せんとす、
可なりさらば劒戟をして之を試みしめんと。
マホメット遂に之を斷行し、戰鬪辛苦力爭の猛憤激烈なるもの十年、結果の如何は皆吾人の知る所なり。
●兵力に因る不可なし
マホメット劒戟を用ゐて宗ヘを擴めしと多く物議を招けり。
基督ヘが獨り說ヘ論證の道に因て和平に擴まりしと、實に遙に高尙にして誇るに足るべし、
然れども之を以て宗ヘの眞僞を定る標準とせば大に錯らむ。
誠に是劒なり、然れども劒は何處より得ん。新說は其始め之を奉ずる只一人のみ、新說は唯一人の腦裏にあるのみ、
天下之を信ずるもの只一人、一人全世界に抗して立つ。
劒を採り之を用ゐて擴めんとするも其劾極めて微なり。
人先づ劒を得ざる可らず、要するに物は其實力に隨ひて擴まるべし。
基督ヘ一たび劒を得れば必ずしも之を用るを嫌はず、是吾人の見るところにあらずや。
チヤレマンがサクソン人を改宗せしは說ヘに因らざりき。余は劒の用否に重を措かず、或は劒或は舌、一切何等の具を論ぜず、
其有するところ其持するところを用ゐて事物自ら世に力めて可なり。
或は說き、或は書き、或は戰ひ、力を極め、術を盡して、內に存する所を發揮して可なり。
時を經ば其勝つ可らざるに勝つことなく、優を去ることなく獨り劣を去るべきは明亮なり。
此大決鬪の判造化にして一誤謬を犯すことなし、萬有中尤も根底深きもの、我所謂最眞なる遂に成長すべし、
他は決して成長すべからず。
●造化の大法●眞理の形骸は滅すべし其拐~は不變なり
にマホメットの成功に關して造化の判斷如何を見るべし、造化の偉大沈着恕の如何を見るべし。
人麥種に蒔く、其麥種は秕藁片塵芥等一切の廢物零碎を混ずることあらん、是憂ふるに足らず。
人此を地に投ぜば地は正直慈仁にして麥を成長せしめ、廢物零碎をば地靜に之を呑み、之を蓋ふ、かくて黃麥に生ず、
地は他一切に關して語らず、默然之を變じて利となし、又敢て怨嗟することなし。
造化の所爲皆此の如し。
造化は眞なり、僞に非ず、而も其眞に當て、かれの如く偉大なり、誠正なり、慈母の如きなり。
彼只事物の中心の眞なるを求む、眞ならば之を護らん、眞ならずんば之を棄てむ。
彼が庇保する一切の中に眞理の拐~あり。
鳴呼是古來地上に來れる最高眞理の歷史にあらずや。
其形體は皆不完なり、冥暗裏呼一片の光なり、其吾人に來るに當りては區たる論理法若くは宇宙說に現はれざるを得ず、
而して是完全なるを得ず、其不完全誤謬なること顯はれて遂に滅絶せざるを得ず。
一切眞理の形體は死す、然れども一切の中不死の靈魂ありて、常に形體を新にして人類と等しく不滅なり。
造化の道此の如し。眞理の~髓は決して死せず、物果して眞なりや、造化の深淵より來る聲なりや、造化の判延に於ける訊問にあり。
吾人が純と云ひ雜と曰ふ、是造化が究竟の問題にあらず、問ふところは秕の多少にあらず、麥種の存否如何にあり。
純とは何ぞや、余は多人にかく曰ふを得べし、誠に爾は純なり、十分に純なり、然れども爾は秕なり、
不誠の假說空文俗說にして造化の偉靈に接せず、要するに爾は實に純にもあらず、不純にもあらずして空物なり、造化爾に用なしと。
●マホメットヘの價値
吾人はマホメットのヘを呼びて「キリスト」ヘの一種となせり、
其信徒が粗朴騰の誠實を以て之を信じ之を奉ずるを見なば夫の賤陋なるシリア宗派に優ること知るべし。
シリア宗派は「等質論」「同質論」の贅辯を弄し、頭は無用の喧に滿ち、心は空漠にして死せるが如し。
マホメットヘは怪異の誤謬虛誕を混ずるも、之を信ぜしむるは其眞理にして其虛誕にあらず、其成功せしは眞理に因る。
マホメットヘは基督ヘの庶流なり、庶流なれども中に生命ありてに煩荒寞の論理にあらず。
マホメットはアラビア偶像ヘギリシヤ、ユデヤの辯論、~學、傳說、詭辯、假說、及散漫の贅論等一般の廢物を斥け、
粗野至誠の心と烱偉大の達眼を以て事物の眞相に徹底せり。
偶像崇拜は徒爲のみ、汝が木像--塗るに油と蠟とを以てし、群蠅來り止まるもの--、
予汝に告ぐ是木片なり、木片能く何をか爲さん、是無能瀆の擬なり。
善く之を考ふれば恐懼憎惡すべきものなり。
~獨り在ませり、~獨り權あり、彼我を造れり、生殺其手中にあり、「アラ、アクバア「(~は大なり」。
~意の汝に最善なるを知るべし、血肉の苦痛堪ふべからずとするも是必ず最賢最善なるを悟るべし。
然か考ふること是汝が任也。現世來世にありて此餘他に爲すべきなしと。
●混沈迷妄のヘを斥く
若し偶像ヘ徒之を信じて眞に心に銘ぜしとすれば其形式の如何に論なく善く信仰の價値ありと曰ふべし、
形式の如何に論なく尙萬人の信仰を價する唯一物なりと曰ふべし。
人之に因りて世界~殿の高となり、空しく造物主の命令に反せず、之と合し之と協力することなる、
今日に至る我が知る處是れ最上なる義務の定義也。
人宇宙の眞歸向と協應せば一切の正なるもの皆之の中に包含せらる、
人之に據て成功すべく(宇宙の歸向は成功すべし)善なるべく、正路にあるべし。
等質論や同質論や空漠煩の論爭、常に呶々するも可なり、其欲する所に行くも可なり、
彼若し多少の意義ありとせば其努むる所只此贅辯のみ、若しに成らずんば又一物の有ることなし。
抽象辯論言辭の適否如何は問ふ所にあらず、問ふ所は形體を具せる生ける人間之を銘記する如何にあり。
回ヘは論爭空漠なる學派を滅せり、而して我は然か爲すべき權あるを思ふ。
回ヘ亦直ちに造化の中心より來れり、アラビアの偶像ヘシリアの成文條規、等く眞ならざる物皆滅燼せずんばあらず、
是死薪なり、而して回ヘは是が活火なり。
●「コラン」
マホメットが其聖經所謂「コラン」(誦讀「讀むべきもの」の意)を口授したるは此苦鬪の際にあり、特にメッカ逃亡の後にあり。
彼其徒弟と共に極めて之を重じ、普く世に問ふて曰く是~異にあらずやと。
回ヘ徒が「コラン」を敬するの甚き、基督ヘ徒が其聖書を崇むるのに非ず、彼等到るところ之を以て法典慣例の標とし、
思想行爲の憑據となす、曰く是直に天より下れる使命にして、地之に則り之にョるべし、萬人皆之を讀むべしと。
裁判官は是は據て其裁斷を下す、回ヘ徒皆之を學びて內に生命の光を求めざるべからず。
回ヘ禮拜堂ありて人こに每日此書を讀む、侶每日交替回相次ぎで之を取り、日其全部を讀誦す。
此書の聲衆人の心耳にきて一瞬の間なかりしと今に一千二百年。
マホメットヘ師之を讀みしこと、七萬回に及ぶありと云ふ。
●「コラン」の
人若し國民嗜好の相違を求むれば爰に較明彰の一例あり。
吾人亦「コラン」を讀むを得、セルの英譯は頗る可なりと知らる、而して余未だ誦讀の困之に優れる書を見ず。
紛擾、混亂、生硬、重複、紛糾窮りなく讀をして倦厭に堪えざらしむ、一言以て之を評すれば、魯蒙癡鈍堪ふべからざるものなり。
其義務なるに非ずんば歐洲人到底此書を讀了する能はず。
此恰も官報局に於ける如し、讀むべからざる贅物の塊を讀むは或は異常の片影を窺ふことあらんとすればなり。
吾人が之を讀むに不利なる狀態に於けるは眞なり、アラビア人は之を讀むこと吾人に優る。
マホメットの從は「ゴラン」が斷續零碎の狀を爲して、始め宣布の際書けるなるを得たり。
或は曰く其大部は羊の肩胛骨に書して櫃中に放置せられたりと、而して等を公布するや時の先後等を辨ずる能はず、
只漫然最長の篇章を首に置きしもの如し。
然らば其眞起端は殆ど最後にあり、初の部分は最短なればなり、之を史上の接續に照して讀まば恐らくかくの如く惡からざらむ。
或は又曰ふ其大部分韻律に協ひ原文にありては一種奔放の歌謠也と、是頗る緊要の點ならん、譯文に失ふところ恐くは多からむ。
されど種の酌量を爲すも人如何して此「コラン」を目して此土に過美なる天上の書とし、或は好書とし、或は究竟只一篇の書となすを得しか、
如何して之を紛擾の狂文、一切書籍中尤も拙劣なるものと爲さざるを得しか、吾人は是が了解に困む、
嗜好の標、國民相互の差違此の如く甚しきものあり。
●「コラン」の功績●其述作せられし狀態
然れども惡剌比亞人かくの如く之を愛せしこと解すべからざるに非ず。
一度「コラン」の紛糾を解き去りて遠くより之を見なば其要質始めて現ぜん、
文學外に功績の存するあり。書若し人の衷心より來らば他人の衷心に達せんと策らひ、文技辭法は重を爲さず。
「コラン」の原性は眞なるにあり、確信すべき書たるにある。
プリド等は之を一束の術と爲し、每章皆者が積惡を辯護矯飾して其虛誕貪名をぜんが爲めなりとす、
然れども此の如き說は今や全く棄てざる可らず。
余はマホメットを恒に眞なりと曰はず、何人か果して恒に眞なるを能くせん。
されど今日猶彼を劾して故意に欺忘を行へりといひ、自ら知りて欺忘を行へりといひ、
全然欺忘を事として「コラン」を書せること恰も術士の如しといふ如き評をば余は如何ともすること能はず。
公平の眼は「コラン」を讀むこと遙に是に異なり、是れ偉大の人物粗朴不文にして讀書を能くせざるも、熱心誠實努め語らんとして、
內に混擾するところのもの也。
後凝息の痛烈を以て其所思を述べんとす、百千の思想心中に群がりて一辭を發する能はず、內にあるもの文章に現はれず、
連續秩序昭應全くあることなし、思想少しも形を爲さず、內に煩悶力爭するま現はれて混沌の狀にあり。
吾人は先に魯蒙といへり、然れども「コラン」の性質は本來の魯蒙に非ずして本來の粗野なり。
て辯を習はず、戰鬪間斷なく倉卒逼迫して辭をるに暇あらず。
靈魂救濟の戰に勉めて暗啞凝息の狀態にあるもの、是マホメットなり。
洵に唐突の急也、思想偉大にして言に發すること得べからず、此の如くして述說相繼ぎ、巧拙相混じ、
二十三年の轉變に潤色せられし「コラン」なり。
●マホメット心中の混擾●彼豈ニ詐人ナランヤ
廿三年間マホメットを以て爭亂會の中心をなすべし。
或はコレイシの戰爭あり、或は異ヘ徒の戰爭あり、或は民中の爭鬪あり、或は心中の背抗あり。此の如くして混擾常に絶へず、心靜息を得ることなし。
思ふに彼れ夜寢ぬる能はず、心此旋渦に搖蕩して決斷の光を認めなば、之を以て天來の眞光となさむ、
至要の決意を得ば、彼之を以て實に天使ガブリエルの靈感と爲さむ。
ならんや。
偉大猛烈の心沸騰熬煎して、恰も思想の熔爐の如き、是豈術士の心ならんや。
彼恩ひらく我生は實なり、上帝の天地は駭絶の實蹟なりと。
マホメットは過多し、蠻風なる造化の野兒、中にアラビア牧人の氣習あり、彼を見ること此の如かるべし。
賤陋の詐人、貧の欺騙、智なく情なく、一盤の食を得むが爲めに欺騙をし、天書を僞造し、
常に造物に叛き、己に叛くと、彼を見ること決して此の如かるべからず。
●「コラン」は誠の書
我は所謂誠なるものを以て「コラン」のコとす、アラビア人之を尊びし所以にあり。
誠は一切書中最始最終のコにて、他の萬コは皆之を基とす、善く究むればコの基は獨り眞に是あるのみ。
「コラン」中、俗說、譴罵、不平、叫喚、相雜りて紛たるも、又妙に眞正の靈覺、殆んど詩味を有して其微影を洩すあり。
書中載するところ、皆古來の傳聞及激烈奮揚なる臨時講話樣の也。
彼はアラビアア人の記憶に存せるま、反覆して古預言の舊話を說き、アブラハム、ハッド、モゼス等、基督ヘ及其他の預言
或は眞なる或は假なる國に來て罪を警め而して吾マホメットと等しき待遇を受けたりと說く、
而して共に此待遇を受くること大に我を慰籍すと曰ひ之を反覆すること十回、恐くは廿回、繁多重複止むことなし。
サミユル、ジョンソンの輩其陋室にありて文人の傳記を調ぶること蓋し又此の如くならむ。
是「コラン」の題目なり。然れども中に時哲人先覺の如き達觀あるは奇といふべし。
マホメット善く世の眞相を觀じ粗豪直白にして吾人に其所觀をヘふ。
其「アラー讃頌」を褒むれども我は之に異なり。
思ふに是主としてヘブルより借り來りて而かも到底遙かに之に及ぶ能はず。
然れとも眼事物の衷心に徹して其眞相を觀るは余が最も珍とする所、是造化の賜なり、造化之を萬人に賜與す、
而して空く之を放擲せざるもの千中只一人のみ。
我之を呼んで誠の力といふ、心の誠を徵するものなり。
●萬有悉く~秘なり●マホメットの慧眼
マホメットは奇蹟を行ふ能はず、之を問へば沸然として曰く余能はず。
余何物ぞ、余は只講話なり、天命に因て萬人に此ヘ理を說くものなりと。
然れども彼從來世界を目して一大不可思議と爲せり、曰く世界を觀ぜよ、是驚異にあらずや、「アラ」の經營に非ずや、
爾眼を開かば其奇蹟なるを知らむ。
~爾の爲めに此土を造りて中に道を示せり。
に住み、するを得べしと。アラビア災炎の雲をマホメットは驚異とす。
曰く大雲高く寥廓の懷にあるもの、是何處より來れる、壯大のK魔懸りて彼にあり、大雨を下して枯壞を蘇すれば、
国数ノ茂し、脩然たる椰子其果累たり、是~異に非ずや。
復た夫の家畜を見ずや、「アラ」之を造れり、彼等蠢爾として使役すべく草を變じて乳となし毛を生して衣を給し、
夕になれば群を爲して歸る是汝が榮なりと。
又曰く夫の船を見ずや、(マホメット屢船を語る、)巨山の動くが如く布冀を張り天風に駕し揚として進む、
~、風を收むれば忽然として止り、動かざること死せるが如しと。
曰く奇蹟とは何ぞや、爾何等の奇蹟を欲する、爾の存在已に奇蹟に非ずして何ぞ。
~土より爾を造れり、爾一たび空なりき、數年以前全く無なりき、今爾美なり、强あり、想あり、爾等互は慈愛あり、
老齡爾を襲はば頭白く、身衰へ力微に、遂に沈滅して復た無に歸せんと。
「爾等互に慈愛あり」此言頗る余を感動せしむ、「アラ」爾を造りて互に慈愛なからしむるを得べし、
然らば事果して如何と。
是偉大直白の思想直に事物の實相を透せるものなり。
詩才の痕跡及最善最眞なるもの痕跡、なりと雖ともマホメットに見るべし。
剛健不文の知力、識あり情あり、以て詩人たるべく、帝王たるべく、侶たるべく、一切の英雄たるべし。
●萬有の~
此世全く~異なることマホメットの眼に長に明かなり。
方法の如何を論ぜず夫のスカンヂナビア野人に至るまで、一切の大哲人が力めて見んとしたる所、マホメット之を見る。
此外見堅牢の世界は其實全く虛無なり、是上帝の大能を示し、存在を表して吾人の覺官に觸る也、
是涯際なき大虛の裏に上帝所の影像なり。
曰く大山巨嶽雲の如く散ぜん、雲の如く碧空に消し去らんと。
ルは語りて曰くマホメットアラビア樣式に據り、地球を譬へて擴大の平地とし、山嶽を据ゑて之を固むと爲す、
彼思ひらく最終の日是皆雲の如く消せん、地球旋回して萬物悉く破壞し、氣の如く塵の如く大虛中に消し去らん、
「アラ」一度手を收むれば世界忽焉として滅す。
たる「アラ」の統轄到るところ~異の權能なり、莊麗駭絶曰ふ可らず、是一切萬物の~髓なりと、マホメット常に之を明知す。
近世空名を用て萬有力といひ、萬有法といひ、之を~聖の事物せず、甚しきは全く活物せず、
只衆物の複合にして十分~聖ならず、只日常の便に供して利用すべしとなす。
科學あり百科字典ありて、人稍もすれば作工場裏に事物の~聖を忘れんとす。
然れども是決して忘るべからず。
一度之を忘れば他に何をか記すべけん。
科學多くは死物となり、凋衰虛耗、晩秋の枯草に類せんのみ。
是無くんば最善科學も死材のみ、成長の樹林に非ず、新材を給するに非ず。
人崇拜を致さずんば知ることを得ずして其智識は衒學なり、枯草なり。
●マホメットヘ放逸の說●宗ヘ如何して其徒を得る
マホメットのヘの放逸を論ずるもの多し、而して或は其の當を失す。
放縱にして吾人が罪と認むる所、彼之れを許せしは命令に非ず、遠く古よりアラビアに行はれて人之を怪まざる
彼は百方之を減し制限したるなり。其宗ヘは輕易に非ず、最酷の斷食あり、複雜の儀式あり、一日五回の禱あり、禁酒あり。
彼は輕易なるが故に成功したるには非ず。
一切の宗ヘを開きて之を維持するは豈其輕易なるに因らんや。
或は現世或は來世逸樂報償の美味を以て人をコ行に誘ふべしといふ是人間を辱するなり。
至賤の人尙之より貴き所あり。
賤陋瀆の兵士雇はれて銃殺を事とする、尙ヘ規定と日給との他に「兵の名譽」を有するにあらずや。
至賤の人間尙仄かに仰慕する所は美食を味ふに非ず、高尙誠實の行を爲し、一個の人間として、上帝の天下に己を表白するにあり。
其方法を示さば極愚の雇奴も忽ち英雄とならむ。
安逸以て人を誘ふべしといふは甚だしき讒誣なり。
、制慾、義死、殉道是以て人を誘ひ人を動かすべし。
人間衷心の義性を燃やさば其以て利害較計の念を滅すべし。
人の翹望は幸にあらず、是より高きもの也。
たる會一點の名譽を有する尙然り。
宗ヘ其信徒を得るは人の嗜慾に阿ねるに因らず其心中高尙の念を醒覺するに因る。
●マホメットの人物如何
マホメットを云するもの多しと雖も彼到底嗜欲の人にあらず。
吾人若し彼を目して逸樂に耽り、甚きは卑陋の快樂に耽ると爲さば大に錯らむ。
其一家極めて儉に、麵包と水とを以て常食と爲し、時としては數日に亘りて爐中全く火を絶つに至る。
善く誇りて記して曰くマホメット自ら其靴を補ひ其衣を綴ると。
彼は窮乏勞の人なり。
俗輩の汲として求むる所を顧みず。
吾人は彼を惡人と曰ふ可らず、彼に物慾より優れるあり。
然らずんば夫の粗暴なるアラビア人其傍に立て廿三年戰鬪紛雜するもの常に接近していかで之を敬せんや。
彼の輩粗暴の徒、時喧爭を事とし、一切激烈卒直の擧動に出づ。正常の性コ剛勇なくんば何人か能く之を制せん。
衆彼を預言と呼べりといふにあらずや。
彼面のあたり衆人に露出して秘密に閉されず、明かに其衣を綴り其靴を補ひ、衆中に立ちて或はヘへ或は命じ或は鬪ふ。
人彼を呼ぶ所の如何に論なく人能く彼が人物如何を見ずんばあらず。
帝王の冠冕を戴くもの何人も、未だ自綴の衣をべるマホメットの如く部下の服從を得ず、而して是窮厄患廿三年間なり、
單獨之に當るべき眞個英雄の資格其中に存するを見るべし。
●其正直信實敬~
マホメットが臨終の言は禱なり、戰慄の希望を抱きて上帝を慕へる斷續の喚也。
吾人は彼其宗ヘに因て惡くなれりと曰ふ能はず、宗ヘ實に彼を善ならしめたり。
人又其厚の行爲を錄す。
其女死せる時彼の述言洵に誠にして基督ヘ徒に似たり。
曰く「~之を與へ、~之を去る、~讃すべき哉。」其セイドを曰ふところ又相似たり、
セイドは其釋放の寵僕、第二の信徒にして、マホメット始めて希臘人とタブクに戰ひしとき之に死せり。
マホメット曰く可なり、セイド主命を遂げて其主に行けり、彼憾む所なけんと。
然れどもセイドの女行きて彼を見れば遺骸に對して泣けり、白髮の老翁慘として淚を垂る。
女曰く「是何事ぞや」答へて曰く「友を哭するなり」と。
マホメット死に先つ二日、拜堂最後の參詣の時問ふて曰く、余人を傷へりや、然らば責罰を負はん。
余亦人に負へりや。
一人答へて曰く云の時余三ドラクマを貸せりと。
マホメット命じて之を返さしめて曰く審判の日にを受けんよりは寧ろ今日に於てせんと。
子夫のカデヂャ及「斷じて否」の語を記せん。
此種の痕跡以て其純人たるをすべく一千二百年を經て今猶親く睹るが如し、是一切人類の同胞なり、是、「人間の慈母」の眞兒なり。
●渠に矯飾なし
余またマホメットが全く矯飾を去るを愛す、彼は自助粗豪の野人然らざるを僞りて然りとせず、虛飾を事とせず、
然れども又强て謙讓なるにあらず、自ら衣と靴とを補綴し、
ペルシャ王、グイ帝を論じて其務を說き又自ら知り自ら敬を受くべきを知る。
「ベドイン」(アラビア牧民)と危急存亡の戰を交へしとき殘忍のこと免る可らぎりき、而れども慈愛憐憫厚の所爲亦缺くるに非ず。
マホメット前の爲めに辯解せず、後の爲めに誇らず、是皆時と處とに應じて自ら中心より發する所なり。
彼は空言の徒にあらず。機これを要せば兇猛の行に出づ、而して事を矯飾せず。
彼は屢タブクの役を語る、當時從多くは進車を厭ひ、暑熱收穫等を以て口實と爲せり、マホメット之を忘る能はず、
收穫とは何ぞや其續くこと一日のみ、萬劫無量時の收穫は如何。
天暑しとは何ぞや、天洵に暑し、然れども地獄は更に暑からむと。
時として彼れ粗野の剌言を用ゐ、不信仰に對して曰ふ夫の大なる審判の日、汝の行爲善く量られん、汝の量小ならざるべしと。
渠到る處物を凝し透觀し、時其心恰も啞然として物の大なるに打たるが如し。
彼は屢「確然」と曰ふ、「確然」の言「コラン」の中に時としては自ら一文章を爲す。
●マホメット好事の徒に非ず
マホメットは決して放浪散漫の事を爲さず。
彼の事業は人間救否の大事なり、無量永劫の大事なり。
彼死生を賭してにあり、散漫の學、臆說推測、眞理を弄び、眞理に阿ねり、之を討究すること好事家に類する
是至慘の大罪也、一切の罪惡皆之より來る。
虛觀に居りて眞理を容れざる其心此の如し。
る人はに僞を語り僞を生ずるのみならず其一身旣に僞なり、賢正の主義~明の閃光に其中に埋沒して心性麻痺恰も死せるが如し、
彼等の眞理に比すれば、マホメットの虛誕尙眞なり。
不誠の人圓滑巧智にして人を怒らしめず酷烈の言を吐かざること最も純なり恰も炭酸瓦斯の純に死なり毒なるが如し。
●マホメットヘの正義仁愛
吾人はマホメットの訓誡を稱して至上といはず、然れども常に善に歸向すといふべし、是正を望み眞を望むもの說なり。
基督ヘの崇高なる宥恕、人頰を打たば又他頰を之に向くべしといふものに存せず、人其讐を報ずべし、
然れども度を過す可らず、正理を越す可らずと曰ふ。而して回ヘは更に他の大宗ヘと等しく人間の眞相を觀じて萬民平等を唱ふ、
曰く一信の心以て全世界の王權を凌ぐべし、萬人皆同等なりと。マホメットは「賑濟は可なり」と曰はず、
「必ず之を爲すべし」と曰ひ、法を以て其量如何を定む、人之を怠ればあり、各人歲入の十が一は必ず貧窮固厄の有なり。
是皆美なり。
野人の心中に存する仁慈哀憐公道の聲述ぶる所此の如し。
●來世說
マホメットの天國は放縱なり、其地獄も放縱なり、彼此の中洵に我感情を害する多し。
然れともアラビア人は從前之を有せり。
マホメットの之を易ふるや之を和げ之を減殺せるなり、又放逸の最も甚しきものは、從前師の作にしてマホメットの作にあらず。
天國の快樂に關して「コラン」中述ぶる所實に少し、之を唱說するにあらず。
寧ろ之を暗指するのみ、而してその天國にありて至上の快樂は靈性的なるを忘るべからず。
上帝の現前は他一切の快樂に優さること無窮なり。
彼曰ふ天國の日常應酬の辭は「平和」なりと、是一切の義人が唯一の慶となし、羨望し、追求して、此土に求むるを得ざる所也。
曰く汝等相面して坐し、一切の怨恨悉く胸中より去らん汝等縱まに相愛さん、同胞の眼中汝等各天人たらんと。
●回ヘの放逸に付て
放逸の天國、マホメットの放逸。是尤も吾人の痛むところ。之に關して曰ふべきもの多し。
然れども今之を語るに便ならず。
唯二條を擧げて子が正斷に任かせん。一はゲテが我に供する所、是其偶然の暗指にして頗る注意すべし。
「ウイルヘルム、マイステル旅行」中にあり。
マイステル其說話中奇風の一會に及ぶ。
其奇風の一は左の如し。
師曰く我民各一方向に限るを要す、若し他一切の事に處して大に其好む所を爲さんとせば、
一事に當りて其好まざるところ彼强て之を行ふべしと。
余思ふに一大眞理にあり。
快樂を亭くるは惡に非ず、唯之に因てコ性を損ずるを不可とす。
人須く巳の慣習を制すべし、要ある時は之を擲葉するを得べく、又擲棄するを欲すべし。
是甚妙の法なり。
回ヘ徒の「ラマダハン」(第九月の進)は此方針に因り、マホメットの宗ヘ中にあり、又其生涯中にあり。
先見あり、進コの意ありて然るにあらずとせば、健全剛勇なる自然の本性に出づ。
其可なること前に讓らず。
●回ヘの來世說中に含む大眞理●回ヘとベンザム主義との對比
然れども回ヘの天堂地獄に關して更に他に曰ふべきあり。
粗俗賤陋甚だしとするも是一大不朽眞理の表號なり、回ヘの外此の如く能く之を記するなし。
夫の粗俗放縱の天國夫のるべき火の地獄、其の說て休まざる大審判の日、是皆牧民の想像中、
夫の崇大なる靈界眞理の微影にあらずして何ぞや。
重要窮りなき人間の義務是なり。
吾人亦親く之を感知せずんばあらず、
世上人間の行爲は無上の要契にして決して滅せず人其微たる生命を以て皇天と等しく上に聳え冥府と等しく下に達す、
半百の命、內に「永劫」を藏すること洵に恐るべく驚くべしと。
此事マホメットの胸裏に燃えて恰も紅の字形に似たり、火の如く、電火の如く、書かれてにあり、
常に眼前にあり、かれ熱誠爆烈して猛憤痛激、啞斷續、遂に明述するを得ず、强て力めて之を夫の天國と冥府とに體現せり。
體現の怯如何は論なく、是一切眞理の首先なり、一切體形の下之を崇むべし。
人間此世に於ける本分は何ぞや、此に答ふるマホメットの言以て我某の徒を愧死せしむるに足る。
ベンザムの如き、パの如き、善惡を採りて其利害を計較し、彼此終局の快樂を數へ、加減法を用ゐて算し了り、
而して間ふて曰く、要するに善はく重過するに非ずやと。
マホメットは決して之を爲さる也。
善を爲すこと惡に優るにあらず、二の相異なるは生死の如し、天國冥府の如し、是は決して爲す可らず、
彼は決して爲さざる可らず、人豈二を計較すべけんや、彼は永劫の生なり、是は永劫の死なり。
ベンザムの功利說、損u標準の道コ、上帝の世界を貶して頑鈍無生の蒸氣械と爲し、
人間の靈性を貶して荊棘枯草を量る權衡と爲す、鳴呼ベンザムの徒か、マホメットか、人間に關し、又其天地間の運命に關して、
孰れか尤も賤陋虛誕の說を吐くものぞ。
余は答へて曰はんマホメットに非ずと。
●不完の故を以て回ヘを棄る勿れ●回ヘ徒の信仰
要するに(余は反覆之を曰ふ)マホメットヘは基督ヘの一種にして內に靈界上至高の要素あり、不完の故を以て之を掩ふべきにあらず。
スカンヂナビアの「願」の~一般野人の~マホメット之を擴めて天と爲せり。
~聖の義務を表する天なり、是信心善行に因り、勇敢の行爲に因り、~聖の耐忍(勇敢の至上なるもの)に因て求むべき天なり、
是スカンヂナビア異ヘに加ふるに眞個天上の要素を以てするなり。
此を呼で僞となすを勿れ、其僞を見ずして其眞を見よ人間全種族の五分の一、之に生を托せること今に一千二百年、
而して特に此事其衷心より來る。
鳴呼アラビア人其宗ヘを信じ此に生を托さんとす。
古來基督ヘ徒にして其ヘを奉ずること、回ヘ徒が其ヘに於けるが如く、是に據りて時劫に對し、永却に對せる果して何處にある。
唯近時英國のCヘ徒或は之れに匹するを得む。
今夜カイロ街上の夜番誰何するとき、行人之に答ふると共に「~の外に~なし」と曰はん「アラア、アクバア、イズラム」の辭、
千萬暗色人種の靈魂にき、其日常の生活中にく。
熱心の宣ヘ使は外に出でマレ人、Kバプア人及兇暴の偶像ヘ徒に說く、彼等は之に因りて劣を去れども優を去ることなし。
●結論
是亞剌此亞人が暗Kより光明に誕生したるなり、亞剌此亞人此に因て始めて活けり。
たる牧民、開闢以來砂漠に飄泊して人に知られざりしを英雄豫言其信すべき言を以て之に下れり、
是に於て隱微なる天下に顯然たり、細小なる世界大と爲れり。
後一百年ならずして亞剌比亞人此にグラナダにあり、彼にデリイにあり、勇猛壯麗、才華煥發して長く一大領區に光れり。
鳴呼信仰は大なり、生を與ふるなり。國民一たび信ずれば其史偉大沃にして人心を奮起せしむるに足る。
此亞剌比亞國民、此マホメット及び夫の一世紀、是恰も一點の閃火、外見全くK砂の如き世界に落ちしにあらずや、
然れどもK砂現じて火藥となりデリイよりグラナダに至るまで炎として高く天にせり。
故に前に曰はずや。
偉人は電火の天より下るが如く餘人は薪材の如し。
是彼を待って亦等く燃えむとすと。
第三講 詩聖、ダンテ、及セクスピア
第四講 高、ルテル、宗改革。ノックス、Cヘ
第五講 文豪、ヂョンソン、バルンス、ル
第六講 帝王、クロムヱル、ナポレオン。近代革命
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