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明治の日本人著者による預言者マホメットの伝記です |
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コーランの全文和訳は大正まで待ちますが預言者マホメットの評伝は明治にカーライルの「英雄論」の翻訳よって日本人に広く紹介されました |
日本人著者によるマホメットの伝記「マホメット言行録」も刊行され、その中でカーライルのマホメット評が紹介されています |
マホメット言行録の中からマホメットの誕生から死まで一生の出来事を中心に復刻してみました |
目次と本文(リンク先にあります)は明治時代そのままの形を復刻できるように努めました |
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目次 |
マホメット言行録(松本赳編著、明治四十一年刊) |
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第一章 幼時と其のヘ養 |
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誕生と祖先 |
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瑞兆 |
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父の死 乳母ハレマ |
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天使ガブリヱル |
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母の死、女奴隷バラカト |
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最初の旅行 |
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二ッの傳說 |
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天使の保護 |
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ネストリア派の基督ヘに接觸す |
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メㇰカに歸る |
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第二章 自覺の時期 |
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商業上の實務 |
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歌の市 |
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カジジャとの結婚 |
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結婚後のマホメット |
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妻の從弟ワラカ |
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亞剌此亞の宗ヘ的狀態 |
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宗ヘ革新の大望 |
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ハラ山の洞穴 |
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天使降る |
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第三章 傳道の初期 |
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最初の信者 |
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最初の迫害 |
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公然傳道を始む |
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故郷に尊ばれざる預言者 |
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年少詩人アルム |
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奇蹟の要求 |
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アブタレブの勸告 |
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最初の出奔 |
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アブヤールの敵對 |
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オマア・イブナル・カッタブの悔改 |
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種族間の憎惡 |
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ハビブ賢王の悔改 |
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第四章 迫害と祝 |
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メㇰカに還る |
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アブ・タレブの死 |
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ガジジャの死 |
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マホメットの多妻主義 |
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~仙の讃歎 |
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幻象の旅行 |
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第五章 出奔の前後 |
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傳道の十年 |
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秘密の會合 |
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暗殺の計畫敗る |
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トール山の洞穴 |
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出奔 |
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メジナの回ヘ徒 |
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愛のヘ |
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アエシャとの結婚 |
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アリとファチマの結婚 |
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マホメットの日常生活 |
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コーランの編輯 |
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第六章 信仰の戰 |
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信仰の武器としての劍 |
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最初の拔劍 |
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ベデルの戰 |
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娘ロカイアの死 |
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『辨當包みの戰』 |
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預言者と刺客 |
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マホメット主權を掌握す |
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猶太人に對する憎惡 |
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沒收せる武器 |
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ヘンダの復讐戰 |
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ザイド其の妻を獻ぐ |
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第七章 ヘ勢の發展 |
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ベニ・モスタレクに遠征 |
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アエシャの寃罪 |
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塹溝の戰 |
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猶太人に對する復仇 |
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メㇰカに順禮を企つ |
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カイバル市に遠征 |
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メㇰカに順禮す |
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ミュタの戰 |
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メㇰカの占領 |
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マホメットと乳母 |
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母の墳墓に詣づ |
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貢物の徵集 |
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作詩の挑戰 |
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詩歌の趣味 |
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シリア遠征の失敗 |
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マホメットの獨息子死す |
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最後のメㇰカ行 |
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第八章 晩年、其の性格 |
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シリア遠征軍 |
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マホメットの危篤 |
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最後の說ヘ |
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終焉 |
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マホメットの風釆、態度 |
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彼の才能 |
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彼の嗜好物 |
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彼の私生涯 |
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カーライルのマホメット論 |
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第九章 回ヘの信仰要領 |
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マホメットは新宗ヘを創立せず |
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回ヘの信條に就いて |
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~に對する信仰 |
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天使に對する信仰 |
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コーランに對する信仰 |
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預言者に對する信仰 |
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復活と最後の審判に對する信仰 |
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宿命に對する信仰 |
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本文 |
マホメット言行録(松本赳編著、明治四十一年刊) |
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第一章 幼時と其のヘ養 |
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誕生と祖先 |
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回ヘの開祖マホメットは、基督紀元五百六十九年四月、亞剌比亞のメㇰカに生れぬ。 |
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勇敢にして勢力あるコレイッシユ種族の裔なり。 |
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此の種族は二人の兄弟ハシエムとアブド・シエムスの子孫にして、後世に至りても自ら二分派をなせり。 |
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ハシエムは即ちマホメットの宗祖にして、メㇰカの爲めにカを盡せる大恩人なりき。 |
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メㇰカ市は荒廢せる磽地に位せるを以て、往時は屢々食糧の空乏を告げしこともありき。 |
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六世紀の初めハシエムは每回隊商の制を設けぬ。 |
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一回は冬期南亞剌比亞即ちエーメンに隊商し、他の一回は夏期シリアに隊商することに定められぬ。 |
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斯くして豐富なる食糧はメㇰカに運搬せられ、それと同時に幾多の商品も齎らされしものから、 |
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メㇰカ市は繁華なる市業場となり、隊商を勵める種族は富有にして權勢を獲るに至りぬ。 |
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ハシエムは此に於て亞剌比亞の最大なる~殿カアバの保護者となれり。 |
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こは最も榮譽ある職にして、勢力ある家族にのみ附與せらるゝものなり。 |
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誠にカアバの保護職はメㇰカの主權に聯結せられ、これを獲る者は取りも直さず此の市の支配權を兼有せしものなりき。 |
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ハシエム死して、其の子アブダル・モタレブ父の職を繼ぐ。 |
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時にアビシニアの君主は基督信者として旣にエーメンを征服し、其の勢に乘じて、大軍と象とを率ゐて此のメクカ市に襲來せり。 |
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モタレブは此の危機に於て此の市を救ひぬ。 |
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斯の如く此の父子の功勲は感謝を以て市民に頌められ、カアバの保護職は是れより永くハシエムの裔に傳へらるゝに至れり。 |
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こはハシエムの弟アブド・シエムスの子孫の羨望と嫉妬とを買ふに至りぬ。 |
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アブダル・モタレブに數名の兒女あり。 |
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アブ・タレブ、アブ・ラハブ、アブバスハムザ、アブダラは其の子息中歷史上に知られたる名なり。 |
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末子アブダラは最も愛らしき男兒なりき。 |
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アブダラは同じコレイッシユ族の遠親の女アミナと婚す。 |
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然るにアブダラの美貌と其の壯快なる性質とは多くの女子の愛情を繫ぎ居りしを以て、 |
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此の婚禮の夜、コレイッシユ族の處女二百名、失戀の爲めに死せりと云ふ。 |
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マホメットは斯の如く悲しく憐れに祝はれたる結婚の最初の果實にして、又その獨息子にてありき。 |
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瑞兆 |
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偉人の誕生に瑞兆奇蹟あるは、古來よりの傳說なり。 |
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マホメットの生るゝや、其の母は毫も分娩の苦を見ざりしのみならず、四方の地は天の靈光に眩く照され、 |
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新たに生れし嬰兒は、眼を天に向けて、『~は大なるかな。~のほかに~なし。我はその預言者なり』と叫びたりといふ。 |
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天と地とは、其の降臨に激せられぬ。 |
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サワの湖は、水枯れて底を現はし、チグリスの河は、水溢れて、近隣の野を潤ほしぬ。 |
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波斯王コスルの宮殿は、其の基礎震ひ動き、三四の塔は地に倒れぬ。 |
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その夜、波斯の審判官なるカジヰは、夢に、猛き駱駝が、亞剌比亞の駿馬に打勝てる所を見たりき。 |
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翌朝カジヰは其の夢を波斯王に告げ、亞剌比亞より襲ひ來らんとする危難の前兆なりと、之を說明し、邊境の兵備を嚴にせんことを乞ひぬ。 |
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同夜、波斯の高僧は護られて、千歲の昔より、變らず燃えしゾロアスチアの聖火は、突然搔き消えしのみならず、此の世の偶像は皆倒れぬ。 |
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ゥの星の中に埋伏して、人の子に惡しき勢力を及ぼせる惡魔等は、C淨なる天使に追ひ立てられ、魔王エブリスは、深き海底に擲られしといふ。 |
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新たに生れし嬰兒の親族は、驚愕と喜スとに充たされぬ。 |
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其の母の兄弟なる星學者は、此の嬰兒こそ、必ず大なる權勢を獲、帝國を建設し、人類の中に新しき信仰を呼び起すならんと預言しぬ。 |
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其の祖父マブダル・モタレブは、嬰兒の誕生後七日、コレイッシユの一族を會して、盛大なる宴を張り、 |
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嬰兒を祝して、これぞ、わが種族の曉の明星なりと言ひ、マホメット(或はムハメット)の名を之に命じぬ。 |
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斯の如きはこれ、回々ヘの傳記者が、其のヘ祖の誕生に就いて記す所のものなり。 |
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父の死 乳母ハレマ |
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マホメット生れて漸く二個月にして、其の父は死しぬ。 |
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遺產とて、五頭の駱駝、數頭の羊及びバラカトといふ女奴隷ありしのみ。 |
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母アミナは悲哀の中にも、其の兒の養育に怠りなく、 |
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メㇰカの空氣は稚兒にとりて不健全なればとて、近隣に住へるベヅウイン種族の女子をョみて、其の乳母となさんとせり。 |
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其の種族の女子は、一年の中、春秋二回メㇰカに來りて市民の子供を預り、之を養育するを業となせるなりき。 |
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然れども、彼等は豐かなる報酬を得るために、富民の兒のみに目を着け居るを以て、 |
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アミナの依ョを肯なはん道理なく、其の兒の養育を嘲笑を以て拒みぬ。 |
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されど、茲に一人、サアジットの羊牧者の妻ハレマは、痛くアミナに同情し、此の可憐なる兒を家に伴ひ往きぬ。 |
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其の家は山脈の間、告F濃き牧場に存するなりき。 |
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ハレマが稚兒を伴うて、家に還る途次、驚くべき事は起りぬ。 |
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雅兒を運べる騾馬は、不思議にも、物言ふ力を與へられ、 |
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其の背に乘れる稚兒こそ預言者の最も大なるもの、天使の長、~の寵兒なりと聲高く叫ぶなりき。 |
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其の途に出て遭ふ羊の群は、首を垂れ、搖籃にはりながら、仰いで月を眺むる稚兒に尊敬の誠實を示すなりき。 |
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天の祝は、ハレマの慈愛に報いぬ。 |
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稚兒の其の屋根の下に留まれる間、ハレマの身のまはりに於ける萬の物は、榮えて豐かなりき。 |
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井も泉も水枯れしことなく、牧場は常に高ノして、牛羊の群は十倍も殖え噌し、野の收穫も夥しく、平和なる氣は其の住居に充ち溢れき。 |
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亜剌此亞の傳説に據れば、此の驚くべき稚兒は、肉體に於ても、拐~に於ても、殆んど超自然の力を與へられたるが如し。 |
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稚兒は生れて三個月にして脚立つを得ぬ。 |
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七個月にして戶外に走り、十個月にして、弓矢を持ちて他の兒童の仲間に加はりて遊戯するを得しといふ。 |
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八個月にして明かに物言ふを得たりしが、それより數月、衆人をして舌を卷かしむるほどの智慧を語りしとぞ。 |
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天使ガブリヱル |
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マホメット三歲の折乳兄弟マスラウドと野に遊びけるが、二人の輝ける天使、其の前に現はれぬ。 |
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天使はマホメットを、靜に地にはらしめつ、而して他の天使の一人ガブリエルは、少しの苦痛も覺えざるやう、マホメットの胸を切り開けり。 |
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心臟は取出されぬ。二人の天使は其の心臟よりして、 |
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人類の始祖アダムより遺傳し來りて、如何なる賢哲の心にも深く染込める罪惡のKき苦き液をば、悉く絞り取り、全くこれを洗ひ淨めぬ。 |
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其の全く淨まるや、ガブリエルは其の心臟を滿たすに、信仰と智慧と預言の靈光を以てし、これを亦もとの如くマホメットの胸に置きぬ。 |
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この時よりして、マホメットの容貌は不思議の聖光に輝くに至りしといふ。 |
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此の天使の出現せる時より、稚兒の肩と肩の間には、預言の封印刻せられ、生涯の間、聖なる使命の表象として磨滅せざりき。 |
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不信者には、鳩の卵の大きさのK痣を認むるに過ぎざれども、信者には、いと奇すしき形に見えき。 |
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ハレマと其の夫とは、天使の出現を聞きて驚きぬ。 |
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如何なる災禍か稚兒の身に振りかゝれるにあらずや。 |
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荒凉たる沙漠をさまよふ惡靈の來りて、稚兒を毒せしにあらずやと、心配やるPなく、稚兒をメㇰカに伴ひ往きて、母アミナに之を戾しぬ。 |
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母の死、女奴隷バラカト |
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マホメットは六歲まで、母の手許に養育せられぬ。 |
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母アミナは其の親族なるハジヅの種族を訪はんとて、其の兒を伴れてメジナに赴きしが其の歸途、アミナは突然病歿し、 |
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茲にマホメットは父なく母なき孤兒の悲境に陷りぬ。 |
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アミナはメジナとメㇰカの間に於ける一村落アブワに葬らる。 |
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其の墓は、マホメットが後年、敬虔なる想もて、柔しく記念せる場所にてありき。 |
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忠實なるアビシニア產の女奴隷バラカトは、今や孤兒の母として侍きぬ。 |
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バラカトは、孤兒をば、其の祖父アブダル・モタレブの家に連れ往けり。 |
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祖父は二年の間、柔しく此の可憐なる孤兒を養育したりき。 |
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されど高齡なる祖父は、其の最後の近づけるを知り、長子アブ・タレブにマホメットを託せり。 |
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アブ・タレブは善く父の旨を奉じ、マホメットを待すること厚く、少しも我が子と變ることなかりき。 |
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マホメットは茲に留まること數年、祭司たる儀式を見覺え、又カアバの~殿に關する幾多の傳說と迷信とを聞きぬ。 |
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こは後年回ヘの信仰の中に巧みに編み込まれたりき。 |
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最初の旅行 |
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マホメットは今や十二歳に達しぬ。 |
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齡に勝りて、銳敏なる智慧を有し、事物の奥底を推究せずんば已む能はざる拐~を持てり。 |
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其の伯父アブ・タレブは、カアバの~殿の祭司たる聖務の外、 |
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コレイッシユ種族の最も冐險好きの商人として、祖先ハシエムの編成せる隊商を導きて、シリア又はヱーメンに旅行するを慣ひとせり。 |
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斯かる隊商の到着する每に、或は其の出發する每に、メㇰカのゥ門には人々群集し、歡迎送別の挨拶は騷然たるなりき。 |
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マホメットの如き少年に取りて、斯かる光景は、他國を見んとする其の欲望を鼓舞し、强く其の想像力を刺戟せしも道理なれ。 |
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彼は斯くして惹起されたる好奇の念を抑ゆる能はざるに至りぬ。 |
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さればにや、伯父の隊商を率ゐてシリアに赴かんとし、共の將に駱駝に乘らんとするや、これに取縋りつ、共に連れ往かんことを歎願せり。 |
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曰く、『あゝわが伯父上よ、伯父上にして往きたまはゞ、誰か余が身を案じて呉るゝ者あらんや』と。 |
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此の歎願は、心厚きアブ・タレブの容るゝ所となりぬ。 |
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彼は少年が、亞剌此亞人の活動的生活は入りて、隊商の任務を爲し得る年齡に達し居るを思ひしものから、 |
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直ちに其の旅裝を整へしめ、シリアの旅行に伴ふこととなしぬ。 |
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二ッの傳說 |
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彼等の行路は、物語と傳說とに豐かなる地方を過ぐるなるき。 |
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そは亞剌比亞人の隊商が、憩ふべき夜の語り草として樂しめるものなりき。 |
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荒凉寂寞なる沙漠の中を彷徨せる人々が、見渡す限り際限なき地方に想像の翼を放ッて、造り出せる物語こそ、 |
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實に人の心を引き着くるの力强かりき。 |
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年若きマホメットは、晝の疲れに眼を細めつゝ、隊商の仲間の語り出づる種々なる物語に耳傾けしが、 |
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そは彼の想像力に大なる影響を及ぼしたるが如し。 |
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マホメットが當時聞ける譚の中、後年コーランに記されたるニッの傳說あり。 |
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其の一はヘトジヤアの山嶽起伏する地方に關するものにして、隊商の同地方を迂回する時、 |
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ベニ・タムド或はタムドの子孫といふ亞剌比亞の『失はれたる種族』の一ッに依ッて住はれし洞穴を指示するを得べし。 |
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傳說は此の種族のことなりき。 |
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此の種族は、族長アブラハムの時代の前に生存せる傲慢にして大なる種族なりき。 |
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盲目なる偶像崇拜の民に墮落せるものから、~はサレーといふ預言者を遣はして、此の種族を正しき道に還らしめんとしぬ。 |
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然るに、此の種族は、サレーが山の內部より、年若き大なる駱駝を生じて、 |
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其の眞正に~より遣はされし事を證明するにあらずんば、彼を預言者として受容るゝ能はずと叫喚くなりき。 |
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サレーは祈りぬ。 |
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而して見よ、岩は開けぬ。 |
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一頭の牝駱駝は現はれ出で、忽ち駒を生み落せり。 |
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此の奇蹟に心驚きて、偶像を棄て、預言者に依ッて改宗せし者もありしが、尙ほタムド人の多くは、不信仰に殘れり。 |
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サレーは駱駝をタムド人の中に遺し置き、若し之を害せば、天の怒り、其の上は落ちんと言ひ渡せり。 |
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されば駱駝は一時牧に於て、いと鄭重に養はれぬ。朝曳き出されては晩に還る駱駝の生活、極めて平和にてありき。 |
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此の駱駝は、小川或は井に首を垂るゝや、其の水の最後の一滴までも呑み干さずんば、決して頭を擧ぐることなかりき。 |
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而して此の駱駝の牧場より還るや、日每に全種族を飽かしむるに足る多量の乳を供給するなりき。 |
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然れども、此の駱駝牧場に於ける他の駱駝を擾亂せしめしを以て、タムド人の怒を招き、遂に其の殺す所となりぬ。 |
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此の時天に恐ろしき聲あり、雷鳴轟然として起り、駱駝を殺せる者は皆死して地に倒れぬ。 |
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斯くして全種族は地より掃ひ去られ、其の國は永遠に天の呪咀を受くるに至れり、云々。 |
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此の譚は、深くマホメットの心に印象しぬ。 |
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後年彼は同地方に其の野營を張ることを厭ひ、呪はれたる場所として、急ぎ過ぎ去るを慣ひとしぬ。 |
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また他の一ッの傳說は、紅海に近く位せる、エイラの市に關するものなり。 |
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昔時猶太人の一種族、同地に住ひぬ。彼等は偶像を崇拜し、安息日を穢し、聖日に漁りして、毫も顧慮する所なかりき。 |
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其の爲め老人は豚に變じ、年は猿に化せしめられしといふ。 |
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此の二ッの傳說は、マホメットが偶像崇拜の罪惡に對する~の刑罰の例證として擧げしものなり。 |
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以て年少なる彼の心は、如何に深く此の傳說の銘ぜられしかを認め得べし。 |
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天使の保護 |
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此の旅行に於ても、年少なる彼が絶えず天の保護を受け居りしとは、其の傳記者の記す所なり。 |
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甞つ炎熱砂を燒く砂漠を旅せる時、天の使は影を示さねど、彼が頭の上に其の翼を擴げ居りしと云ふ。 |
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又或る時は、日中の暑熱を遮ぎる爲め、雲その頭上に懸りき。 |
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又凋落せる樹蔭に憩ひしに、突然その樹は葉繁り、花開くに至りしと云ふ。 |
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ネストリア派の基督ヘに接觸す |
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モアビとアモニの境を過ぎて、隊商は、シリアの邊境ボスラに到着す。 |
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そは、ヨルダン河の彼岸、マナセ種族の住へる所なり。 |
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舊約時代に於ては、レヴイの市の在りし所、當時はネストリア派の基督ヘ徒住居せり。 |
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大なる市場はそこに開かれ、年々隊商の訪ふ所となりぬ。 |
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今マホメットの一行はそこに滯在し、ネストリア派の寺院に近く野營を張れり。 |
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僧侶等はアブ・タレブ及び其の甥を厚く待遇しぬ。 |
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セルギウスといふ一僧は、マホメットと對話し、其の智力の夙成せるに驚くと同時に、 |
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彼が宗教上の事柄に關しては、尊崇の念を以て而も之に徹底せずんば已まざる其の熱誠に興を催しぬ。 |
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二人は屢々宗教に就いて語りぬ。 |
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セルギウスは、年少なるマホメットの今までヘへられたる、偶像禮拜の虛僞を指摘するに力を注ぎたるが如し。 |
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ネストリア派の基督ヘ徒は、啻に偶像の禮拜を難ぜるのみならず、偶像に似よれる記標をも非としたるを以てなり。 |
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彼等は、基督ヘの表象たる十字架すらも、之を禮拜することを拒絶せしなりき。 |
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マホメットが此の僧侶との談話こそ、後年彼が基督ヘのヘ理と傳說とを攝取するに便宜を供したるなれ。 |
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彼は其の後幾度も同地に赴けるを以て、尙ほ一層基督ヘを研究したることは、疑を容るべからず。 |
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而して此の時僧侶等は年少なる亞剌比亞人の肩上に、預言の表象あるを認め、アブ・タレブに諫むるに、 |
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メㇰカへの歸途、其の甥の猶太人の手に落ちざるやうに注意することを以つせりとは、回ヘの傳記者の記す所なり。 |
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想ふにネストリア派の僧侶は、カアバ~殿の保護者の甥が、基督ヘの胚種をメㇰカに持ち往き、 |
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其の種生長して、亭々たる幹と生ひ繁り以て亞剌比亞の基督ヘ化されんことを望みしなるべし。 |
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然るに共の待望ははづれ、遂に回ヘの世に現はるゝに至らしは、 |
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一ッにはマホメット其の人の獨創的天才の然らしむる所、又一ッには、當時の亞剌比亞の民狀に因るなるべし。 |
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メㇰカに歸る |
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マホメットは無事メㇰカに還りぬ。 |
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其の想像力は沙漠にて聽ける粗野なる物語や傳說に豐かにせらるゝと同時に、 |
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其の心はネストリア派の寺院にてヘへられたる新ヘ理を深く銘刻しぬ。 |
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彼は後年に至りても當時受けたる宗ヘ的感化を想うて、シリアに對しては窃に尊敬の念を有したりしが如し。 |
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シリアは往古族長アブラハムが、獨一なる眞正の~に對する元始の信仰を以て、カルデアより赴きたる國なり。 |
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マホメットは後年幾度も言ひぬ、『實に、~はシリアに於て常に其の眞理の保護者を保ちたまへり。 |
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其の數は四十名、一人死すれば他の者之に代る。是等の人々を通して、其の國は祝せらる』と。 |
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又言ふ、『欣ばしきかな、シリアの民よ、~の使は其の民の上に翼を擴ぐ』と。 |
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第二章 自覺の時期 |
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商業上の實務 |
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マホメットは其の伯父に伴はれて、幾度か商業上の遠征を試みぬ。 |
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又十六歲の折には、他の伯父ゾビエールと共にエーマンへの隊商と同行せしこともありき。 |
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又ゾビエールの弓持ちとしてコレイッシユ種族がハワザン種族に對する戰爭に從ひぬ。 |
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是れマホメットが初陣にてありけるなり。されど自ら武器を取りて戰はざりしが如し。 |
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マホメットが長ずるに從うて、シリア、エーマン其の他の地方に旅行して、幾多の人々と商業上の取引をなせることは、 |
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其の觀察の範圍を擴め、人事に對する機敏なる洞察力を養ふに大なるuをなしぬ。 |
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歌の市 |
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亞剌比亞に於ては、唯商業の市場開かれしのみならず、異種族の間に於ける詩歌の競技も折々演ぜらるゝなりき。 |
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而して勝利者には、褒賞與へられ、其の詩歌はゥ侯の記録所に保存せられぬ。 |
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特に盛んなりしは、オカーに於ける歌の市なりき。 |
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第一等より七等までの詩歌は、板に刻まれてカアバの~殿に記念として懸けられしこと、 |
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我が邦の~社佛閣に俳句の額を献ぐると同じ習慣なりしが如し。 |
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斯かる市場に於ては、又亞剌比亞人の種々なる傳說、及び民間に流布せる幾多の宗ヘ的信仰の狀態談などを蒐集せられぬ。 |
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マホメットは幾度も斯かる市場に赴きけるが、其の爲め詩歌の趣味を解すると得ると同時に、 |
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又幾多の宗ヘ的傳説を知るを得たることは、後年大なる用をなすに至りぬ。 |
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カジジャとの結婚 |
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メㇰカにゴレイッシユ種族に屬する一寡婦ある、名をカジジャと云ふ。 |
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再度結婚したる女にて、其の第二の夫は、富有なる商人なりしが、夭くして世を去りしかば、其の家に支配人を要したりき。 |
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カジジャの甥チュジマは、マホメットと隊商を共にせることあり、其の才能の非凡なるを知れるものから、マホメットの支配人として適才なることを寡婦に吿げた。 |
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時にマホメットは廿五歲、氣品ある美貌を有し、風釆揚がれる年にてありき。 |
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カジジャはマホメットに囑するに、將にシリアに出立せんとする隊商を率ゆることを似てしぬ。 |
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マホメットは伯父アブ・タレブの許を得て之を諾せり。 |
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而して此の隊商は滿足なる結果を齎らせしを以て、カジジャはマホメットに約束せる俸給を二倍にして與へぬ。 |
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軈てカジジャは、亞刺此亞の南部への隊商に復た彼と送れり。 |
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カジジャは今や齡四十歲、經驗豐かに思慮定まれる婦人にてありき。 |
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マホメットの立派なる性格は、u々彼女の尊重を得たり。 |
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元氣滿てる銳敏の年は、此の婦人の愛情を引くに至りぬ。 |
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亞剌比亞の傳說に依れば、彼女の愛慕を强ひるに至れる奇蹟の、其の時起れるが如し。 |
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一日カジジャは、侍女を隨へて、自家の露臺に登り、マホメットの率ゆる隊商の到着を眺めたり。 |
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其の近づけるや、看よ、二人の天使は、翼をひろげて、マホメットを庇ひ、其の頭に日光の射るを遮れり。 |
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カジジャは情激して侍女を顧みぬ、曰く『看よ、二人の天使に護られ居る、アラア~の寵兒を』と。 |
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侍女が其の主婦と同じく敬虔の眼を以て、天使を認めしや否や、傳說は記す所なし。 |
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兎まれ、寡婦は年の~々しさに生ける信仰を起し、其の忠實なる奴隷マイサラを送りて、己の夫とならんことを請ふに至りぬ。 |
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此の相談は次の如く簡潔に記さる。 |
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『マホメットよ、卿は何故結婚したまはざるや』とマイサラは尋ねぬ。 |
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『婚寶を有せざれば』とマホメットは答ふ。 |
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『富有なる夫人が卿に婚を請はば、如何に。立派なる名門の夫人が。』 |
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『そは誰ぞ?』 |
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『カジジャ?』 |
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『斯かることある得べきや。』 |
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『余をして取計らはしめよ。』 |
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マイサラは主婦の許に往き、此の報告をなせり。主婦とマホメットとの會見はなされぬ。 |
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斯くして一時間、遂に其の婚約は成り立てり。 |
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カジジャの父はマホメットの貧なるが爲めに、此の婚約に反對せり。 |
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されど寡婦は己の富めるが故に、マホメットをして己が心情のまゝは隨はしむるを得んと考へしなりき。 |
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カジジャは大なる饗宴を張れり。 |
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其の父を始め、己が親族、マホメットの伯父アブ・タレブ、ハムザ及びコレイッシユ種族の有力なる人々を招待しぬ。 |
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酒三行、滿座は歡樂に滿ちぬ。 |
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マホメットの貧窮に對する抗議は忘れられぬ。 |
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祝辭は一方に於てアブ・タレブ、他方に於てカジジャの親族ワラカに依ッつ述べられぬ。 |
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祝ひの品々は整へられ、結婚は豫定の如く完うせられぬ。 |
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マホメットは家の前にて駱駝を屠らしめ、其の肉を貧人に分配しぬ。 |
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來る者は凡て家に招ぜらる。カジジャの女奴隷等は鼓を打ちて踊り舞ひぬ。 |
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アブ・タレブは其の齡を忘れ、平索寡默なるにも拘らず、いと樂しげに談笑せり。 |
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彼は二十頭の若き駱駝の價に等しき、金十二枚半を財布より祝儀として取り出せり。 |
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マホメットを幼時養育せる乳母ハレマは、此の結婚を祝する爲め遙々來りしが、羊四十頭を贈られ、喜びに滿ちて、サアジットの沙漠に於ける己が故郷に還り往きぬ。 |
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結婚後のマホメット |
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カジジャとの結婚に依ッて、マホメットはメㇰカ市に於て最も富有なる民の一人となりぬ。 |
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其の品位高きことは、社會に大なる感化を與ふるに至れり。 |
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歷史家アブルフエダは言ふ、アラア~は此の正直なる人を飾るに種々の賜物を以てしぬ。 |
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彼は純潔にして至誠、種々の惡しき想より超越したりしを以て、普通アル・アミン(信實)と呼ばれぬと。 |
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マホメットの明斷と誠實とは、大なる信用を以て迎へられ、彼は屢々、物議の調停者に選ばれぬ。 |
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マホメットの慧才を證すべき有名なる一ッの逸話あり。 |
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カアバの~殿火災に罹りしかば、其の再築はなされぬ。 |
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軈て其の~聖なるK石は再び安置されんとす。 |
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數多の種族の酋長は、此の壯嚴なる役目を自ら勤めんとて爭へり。 |
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然れども此の爭議はアル・ハラム門に入るべき最初の人の決斷に任せられしこととなりぬ。 |
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其の最初の人は、即ちマホメットにてありき。各酋長の請求を默して聽ける彼は、軈て口を開きて、大なる布を地に擴げしめ、石を其の中央に置かしめぬ。 |
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而して各酋長をして其の布の一端を取らしむ。 |
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斯くして~聖なる石は、一同の手に擧げられて~壇に運ばれしが、マホメットは自ら之を安置したりき。 |
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四人の娘と一人の息子は、カジジャとの結婚に依ッて擧げられぬ。 |
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其の息子はカジムと呼ばる。其の爲めマホメットは、アブ・カジム即ちカジムの父と呼ばれしが、其の息子は夭くして死せり。 |
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妻の從弟ワラカ |
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マホメットは身富裕になりしを以て、其の心を本來の獨創的傾向に専らにする閑暇を有するに至りぬ。 |
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幼時より好める宗ヘに心を用ひて、之を研鑚せんこと、是れ彼が當時の願望にてありき。 |
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彼は既に數度の旅行に依ッて、猶太人及び基督ヘ徒に接觸し、其のヘ理を窺へり。 |
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又亞剌此亞の砂漠に於て、粗野にして茫漠たる物語、傳說を聽けり。 |
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且つカジジャと婚せる以來、其の家には彼が宗ヘ上の見解に大なる感化を與へんとする人こそ在りけり。 |
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そは彼が妻の從弟ワラカにして、極めて默想的なる心と不撓の信仰とを有しぬ元來は猶太ヘ徒にして、後基督ヘに改宗し、星學に通せり。 |
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此の人は新舊約聖書の一部分を亞剌此亞語に翻譯せる人として注意する値あり。 |
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マホメットは、此の人の翻譯よりして多くの智識を獲しこと疑ふべからず。 |
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コーランの中は數多引用せられたる猶太の經典タルムードの傳說も、亦此の人よりヘへられしなるべし。 |
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亞剌此亞の宗ヘ的狀態 |
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マホメットは、其の宗ヘ的智識豐かに旦つ深くなるに從うて、當時亞剌比亞に流布せる偶像禮拜に對する憎惡の念强くなるに至りぬ。 |
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カアバの~殿に於ても、偶像はu々揄チせられて、三百六十の數を有せり。 |
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而して更に其の上に、幾多の地方より偶像は運ばれたるのみならず、他國民の~々までも齎らされぬ。 |
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ホバルといふ雨降らす力を有する~の像はシリアより持ち來られ、預言者又は祖宗として尊敬せらるゝアブラハム及びイシマエルの偶像もありて、手に弓矢を持ち、魔法の力を有する者として禮拜せられぬ。 |
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宗ヘ革新の大望 |
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マホメットは、自己の懐抱せる宗ヘ思想は照らしては、斯かる偶像崇拜の背理なるを認むると同時に、自ら立ちて此等の弊風を一掃し、眞正なる宗ヘを擴めんとする熱情に驅らるゝに至りぬ。 |
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彼が心に漸次に展開し行ける宗ヘ革新の思想は、之をコーランの中に窺ひ知るを得るなり。 |
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彼の所謂眞正なる宗ヘとは何ぞ宇宙の創造者、獨一の~を直接に靈的に禮拜すること是れなり。 |
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彼の見解に從へば、純朴なる眞正の宗ヘも、幾度となく人類に依ッて腐敗せしめられぬ。 |
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されば時代毎は、~の默啓に依ッて鼓吹せられたる預言者この世に遣はされ、其の元始的純朴の狀態を回復せんと努めしなり。 |
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ノア然り、アブラハム然り、モーゼ然り、耶蘇基督も亦然り。 |
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斯かる人々に依ッて眞正なる宗ヘは、再び地上に回復せられしが、軈て又その徒弟に依ッて腐敗せらる。 |
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而して是等の預言者中、マホメットの最も尊敬せるは、其の人種の祖宗、イスマエルの父なるアブラハムにして、アブラハムがカルデアの地より來りてヘへたる信仰は、特にマホメットの思想の標準となりしものなりき。 |
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マホメットは、今や再び宗ヘ革新の時の到來せることを認めぬ。 |
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世は再び盲目なる偶像禮拜に陷れり。 |
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途を錯れる人の子を正しき道に還しアブラハムの當時にありける如く、カアバの~殿の禮拜を復興せんために、天より力を與へられたる一人の預言者現はるゝは、この時なれ。 |
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而して其の預言者こそ、われマホメットにあらずやとの思想胸裡に蟠りて、掃へども去りがたく、冥想沈思に時を費すに至りぬ。 |
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されば自づと俗事に携はること懶く、獨り靜に想を凝らさんが爲めに、人なき里を索むるに至れり。 |
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ハラ山の洞穴 |
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メㇰカの北約三哩に、ハラ山の洞穴あり。 |
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マホメットはそこに赴きて、祈禱と冥想とに日夜を過せり。 |
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心は只一ッの問題に領せられ、激烈に興奮せるものから、身體は次第に衰弱せり。 |
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常に夢見るが如く、法スの狀に面は輝けり。其の傳記者の記す所によれば、彼は沈思せる大望に支配せられて、六月の間絶えず夢幻の境に逍遙へりといふ。 |
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斯くして回ヘ徒の~聖なる月とせられたるラマダンの月(九月)は過されぬ。 |
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彼は屢々外界の事を全く忘れはてゝ、少しの感覺もなく地に臥せることもありき。 |
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カジジャは時々彼が孤獨の忠實なる伴侶なりしが、生れ出でんとする預言者の心の裡を悟る術もなく、只そのいしたいけなる狀を氣遣へるなりき。 |
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軈て天の啓示は、マホメットの胸裡に曉の色を示すに至りぬ。 |
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朽つべき人の頭腦には、餘りに大なる思想天より降りぬ。 |
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夢幻の裡に憧憬れたる美しのものは、明かなる聖姿を示して、マホメットの心鏡に映ずるに至れり。 |
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天使降る |
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マホメットが聖なる天の啓示を受けたるは、齡四十歲の時にてありき。 |
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回ヘの傳記は、恰もマホメットその人より語られたるが如く、これを記せり。 |
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彼は例の如く、ハラ山の洞穴に於て、斷食、祈禱、冥想に時を過しつゝ、心は高く天に翔り、聖なる眞理を體得せんとせり。 |
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然るに、一夜天の使は明かに彼の前に現はれぬ。 |
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コーランに從へば、天の使等は地に降り、ガブリエルは~の聖旨を齎らせるなりき。 |
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その夜地に平和あり。聖き靜安は昧爽まで万象を支配せり。 |
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マホメットは、夜半外套を纒うて臥しつゝ、靜けき想ひは心を平かにせる時、彼を呼ぶ聲を聽けり。 |
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首を擡ぐれば、看よ、靈光は彼を照せり。 |
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眼を定むれば、人の姿したる天の使、近づき來りて、文字記されたる絹地の布を示しぬ。 |
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『讀めよ』と天使は言ふ。 |
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『いかに贖むべきか、余は知らず』とマホメットは答ふ。 |
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『讀めよ』と天使は再び言ふ。 |
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万物を生ぜる主の名に依ッて讀めよ。 |
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血の塊より人を生ぜる~の名に依ッて讀めよ。筆の用ひを人にヘへし、いと高き者の名に依ッて讀めよ。智慧の光を人の心に注ぎ、知らざることを人にヘふる者の名に供ッて讀めよ。』 |
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是に於て、マホメットは直ちに其の理解力、天の光に照さるゝを感じ、~の聖旨を記せる卷物を讀めり。 |
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其の時の趣旨は、後コーランの中に載せられぬ。 |
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彼が之を讀み終りし時、天の使は告げて曰く、『おゝ、マホメットよ、誠に爾は~の預言者なる。 |
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而して余は~の使ガブリエルなり』と。 |
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マホメットは翌朝、身を震はし、心激して家に還れり。 |
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彼は其の見聞せる所の眞正なるや、己は誠に~の預言者なりや、との疑ひの雲に胸を閉されぬ。 |
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彼の恐れし所は、その見し所の只幻影にあらざるか、惡靈の出現にあらざるか、といふにありき。 |
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されど妻のカジジャは、信仰の眼を以て凡ての事を悟りぬ。 |
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情愛深き女の信じ易き心より、夫の只ならぬ姿を見ては、これぞ、其の大望成就したるなると想ひ込み、叫んで曰く、 |
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『スびの音信を、卿は齎らしけるよ。 |
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カジジャの靈を支配せる~に依ッて、われは今後卿を我が國民の預言者として尊敬すべし。スべよ』と、 |
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彼女は尙ほ首うなだれて憂悶せるマホメットを見つゝ附言しぬ、 |
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『アラア~は、卿を辱しめ給ふこと、よも有るまじ。 |
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卿は唯卿の同族を愛し、卿の隣人を親切にし、貧人を憐れみ、遠人を慇懃にし、 |
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卿の言葉に忠實にして、而して常に眞理の保護者たらば、それにて足れるにあらずや』と。 |
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カジジャは其の聽ける所を、聖書の飜譯者なる徒弟ワラカに告げんとて急ぎ行きぬ。 |
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ワラカもマホメットの上に起れる奇蹟に熱心に耳傾けたり、而して曰く、『ワラカの靈を支配せる~に依ッて、御身は眞實を語る。 |
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おゝ、カジジャよ、御身の夫に現はれたる天使は、往古アムラムの子モーゼに遣はされし者と同じ。 |
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天使の告示は眞正なり。 |
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御身の夫は實に預言者なり。』と。 |
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學識あるワラカの熱心なる確言は、マホメットの逡巡せる心を强むるに大なる力となりぬ。 |
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第三章 傳道の初期 |
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最初の信者 |
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マホメットは初め唯己が家族にのみ~の啓示を打明しぬ。 |
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最初その信者たらんことを誓ひしは、僕ザイドなりき。 |
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ザイドはカルブ種族に屬せる亞刺比亞人なるが、幼にしてコレイッシユ種族の海賊に捕へられ、奴隷としてマホメツトに賣られしなりき。 |
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その後數年、彼の父は愛兒がメㇰカに生存せるを聽き、遙々來りて、賠償として、莫大の金を拂はんとせり。 |
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マホメットは言ひぬ、『ザイドが御身と共に往かんことを欲するな.らば、賠償金は要せざる故、隨意に伴れ往かれよ。 |
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然れども若しザイドが、余と共に在らんことを欲せば、この儘此處に留まりても差支なからん。』と |
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ザイドは今までマホメットよりわが兒の如く愛され、少しも奴隷の苦を甞めざりしを以て、留まらんことを欲せり。 |
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是に於てマホメットは公けに彼を雇人となし、主從の關係u々深きを加へぬ。 |
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今や彼率先して新信仰を懐くに至りしを以て、全く自由の身となるを得たり。 |
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而して其の全生涯を捧げて、マホメットに仕ふるに至れり。 |
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最初の迫害 |
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マホメットの預言者たる第一歩は、疑惑と危難とは充てり。敵は八面に伏在しぬ。 |
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同族たるハシエムの裔たるコレイッシユ種族、及び長く羨望と嫉妬とを以て、マホメットの一族を眺めたるアブド・シエム種族は、異端を以てマホメットを迫害せんとて待構へたり。 |
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コレイッシユ種族の長をアブ・ソフィアンといひ、才能秀れたる野心家なる上に、富有にして權勢あり、或る意味に於てマホメットの好敵手なりき。 |
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斯かる敵國の中に於て、新信仰は秘かに徐ろに弘まれり。 |
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最初の三年間に、改宗者の數は四十を超えざりき。而して其の改宗者は、年にあらずんば、遠人及び奴隷にてありき。 |
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祈禱會は信者の家又はメㇰカに近き洞穴にて秘密になされぬ。 |
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然れども其の秘密は永く保つを得ざりき。 |
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集會は見出され、暴徒等洞穴に侵入して、爭鬪は開かれぬ。 |
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攻擊者の一人は、サアドのために頭部を傷つけられぬ。 |
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サアドはそれよりして回ヘ防護のために血を注げる最初の人として信者間に有名となれり。 |
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マホメットの最も熱烈なる反對者は、其の伯父アブ・ラハブなりき。アブ・ラハブは富有の人、傲慢にして性急なり。 |
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其の息子オザはマホメットの第三女ロカイアと婚せるを以て、其の關係は一層親密なるべき筈なりき。 |
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されどアブ・ラハブは相對峙せるコレイッシユ種族の長アブ・ソフィアンの妹オム・ヱミルを容れて妻となし居りしを以て、勢ひ其の歡心を賣はざるを得ざりしなり。 |
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故に彼は其の甥の異端を詰り、マホメットを以て同族を辱かしむる者となせり。 |
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マホメットは此の伯父の心中を看破し、娘ロカイアの苦しき立場にあるを悲しみぬ。 |
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斯かる迫害と憂愁との爲めに、マホメットの心は搔き亂され、顏色憔悴するに至りぬ。 |
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彼に同情せる親族等は、其の蒼ざめたる容貌を氣配ひ、病魔の襲ひ來らんことを恐れぬ。 |
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又他方には彼の拐~脆くも錯亂せりと嘲り、爲すなき預言者を見よ、と罵る者もありき、斯かる嘲弄者の中にて、伯父の妻アプ・ソフィアンの妹オム・エールは最も目立てる者なりき。 |
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公然傳道を始む |
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マホメットは暫く心身疲れ果てたる狀にてありしが、軈て復た~の命を聽きぬ。 |
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曰く、起ッて、說ヘし、主を崇めしめよと。 |
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後は今や公然そのヘ理を同族に宣傳せんとするに至りぬ。 |
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傳道を始めしより茲に四年、彼はメクカに近きサフハ山にハシエムの裔なるコレイッシユ種族を悉く召集せり。 |
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種族の安寧に關する重要なる事件あれば、との趣旨を布告しぬ。 |
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そのため種族は悉く集ひ來れりマホメットを敵視せる伯父アブ・ラハブ及坊その妻オム・エミルも亦來れり。 |
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預言者が其の使命を述べ姶むるや否や、アブ・ラハブは憤然起ち上りぬ。 |
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斯かる愚かしき事のために、我等を召集せんとはと叫び、石を取りてマホメットに投げつけんとせり。 |
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マホメットは憔悴れたる面を彼に向けて、己を害せんとする手を呪ひ、その地獄の火に接ぜらるべきことを宣告し、その妻オム・エミルは火を點ぜられたる荆棘の束を保つに至るべしと言ひぬ。 |
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集會は騷然混亂しぬ。この咒咀に烈火の如く憤れるアブ・ラハブ夫妻は息子オザルに强ひて、其の妻ロカイアを離別せしめ、悲み泣ける年若き婦人をば、マホメットの許に送り歸せり。 |
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されどロカイアは、間もなくアホメットの熱心なる徒弟オスマン・イブン・アフハンの妻となるを得たりき。 |
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マホメットは最初の計畫の失敗に心を動かさず、己が家にて第二の集會を催せり。 |
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小羊の肉と乳とを以て彼等を饗し、宴酣にして起立し、諄々として其の啓示の天より來れること、~の聖旨を同胞に傳へよ、との使命を受けしことを語りぬ。 |
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彼は熱誠もて叫びぬ、『おゝ、アブダル・モタレブの子供等よ。 |
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爾曹及び凡ての人類に、アラア~は最も貴重なる賜物を送りぬ。 |
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~の名に依ッて、余は此の世界の祝と今後の無限なる歡喜を爾曹に提供す。爾曹の中に余が提供を受けんとする者は誰ぞ。 |
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余が兄弟、余が副將、余が宰相たるべき者は誰ぞ』と。 |
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衆皆默然、或は驚き、或は嘲り笑ふ。 |
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軈てアリなる年あり、熱情に輝く面にて起立し、預言者の僕たらんことを表白したりき。 |
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マホメットは歡喜に滿ち腕を擴げて、其の年を擁しぬ。 |
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而して叫んで曰く、『余が兄弟、余が宰相、余が代理者を、看よ。凡ての人は彼の語を聽き、彼に隨ふに至るべし。』と。 |
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然れども、アリの斯かる擧動は、聽衆の嘲笑、罵詈を以て應ぜられぬ。 |
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若し衆人皆アリに從ふの時至らば、その父アブ・タレブも亦息子の前に跪かざるべからざるかと叫喚く者もありき。 |
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これよりしてマホメットは、u々聲を大にして道を宣傳せり。 |
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己は~の預言者にして、偶像禮拜を撲滅し、猶太ヘ、基督ヘの嚴肅主義を和らげんために~より遣はされたる者なりと宣布せり。 |
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ハガル、イスマエルに關する傳說に依ッて聖視せられたる、サフハ及びキベイの小山は、その得意の說ヘ場なりき。 |
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彼は又折々ハラ山に退隱しては、默想を凝らし、以てコーランの默示を獲るなりき。 |
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故郷に尊ばれざる預言者 |
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マホメットが預言者としての生涯の道途にて遭遇せる最大なる困難は、彼が反對者の嘲笑なりき。 |
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幼時より彼を知れる人々、メㇰカの街道にて少年なりし彼を見知れる人々、彼と共に商業上の取引をなせる人々は皆彼を眞正の預言者と信ずる能はざりしも道理なれ。 |
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マホメットの道を過ぎるや、嘲弄を浴せかけて曰く、『アブダル・モタレブの孫を見よ、天に登る方法を知れりと大言する者を見よ』と。 |
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心激し、法スの狀にあるマホメットを目擊せる者は、多く彼を狂人視せり。 |
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或は惡魔につかれたりと言ひ、或は魔法使なりと難ずる者もありき。 |
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触る加之ならず、彼の說ヘせんとするや、聽衆は俗歌をうたうて其の聲を沒せんとせり。 |
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カアバの~殿に跪拜せる彼に、土塊を擲てる者もありき。 |
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年少詩人アルム |
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マホメットを凌辱せし者は、啻に野卑にして無智なる人々のみにあらざりき。 |
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其の有名なる攻擊者の一人は、後に回ヘの最も有力なる人物となりしアムルといふ年少詩人にてありき。 |
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アムルはメㇰカの娼婦の子、母は一笑萬人を惱殺するてふ美人にして富貴の人々は我先に其の媚にあづからんとせし程なりき。 |
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さればアムルの生るるや、數名の人は其の父たる權を均しく請求したりといふ。 |
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斯の如く、アムルは生れ賤しけれども、天賦の才能を最も豐かに有したりき。弱冠旣に亞剌比亞に於ける最も有名なる詩人となり、諷示の妙、修辭の美、人をして一誦三嘆せしむるに足りぬ。 |
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マホメットの初めて傳道に從事するや、此の年少詩人は、滑稽なる牧歌を作りて之を譏りぬ。 |
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その牧歌は忽ち人口に噲炙せられしものから、直接の迫害にも勝りて、傳道上の妨害となれるなりき。 |
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奇蹟の要求 |
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最も眞面目なる反對者は、マホメットの預言者たる證左として其の超自然力を要求せり。 |
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曰く『モーゼも耶蘇も、その他の預言者も、皆その使命の、~より來れるを證するため、奇蹟を行ひぬ。 |
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爾若し眞に彼等よりも一層大なる預言者ならば、同樣なる奇蹟を見せよ。』と。 |
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マホメットの之に對する答は、コーランの中に集めらる。 |
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曰く『コーランよりも、大なる奇蹟あるべきや。 |
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文字を翌はぬ人に默示せられたる書、その文辭は調に、その議論は匹敵なし。 |
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如何なる人も、惡魔も、これに較ぶべきものを作る能はず。 |
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そは~より來る外、存する能はざるもの。 |
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コーランは即ち奇蹟なり。』と。 |
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然れども、衆人は一層明白なる證左を求めぬ。 |
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瞽者は視、跛者は歩み、啞者は聽き、死にたる者も復活さる如き奇蹟を欲せり。 |
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若しコーランの天より來れることが事實ならば、之を齎らせる天使を見せしめよと言ひぬ。 |
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マホメットは之に答へて曰く『~は我が使命を實證する爲めは天使を送るを要せず。 |
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~自らは爾曹と我との間の十分なる證人なり。 |
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信ずる心ある者は、眞正に信ずるを得べし。信ぜざらんとする者は、如何なる奇蹟ありとも信ぜざるべし。 |
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復活の日來らば、不信者は己が盲目にして、耳聾し口は啞にして、面は地に伏せることを見出すべし。 |
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其の住居は地獄の不滅の火なり。そは不信者の當然の報いたるべし』と。 |
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亞剌此亞の傳記者アル・マアレムの記す所はよれば、マホメットの徒弟も亦、一時は奇蹟を求むる衆人の聲に雷同し、その使命の~より來れる證左として、サフハ山を黃金の山に變ぜよなどと言へりといふ。 |
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アブタレブの勸告 |
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マホメットの宗ヘ改革は、先づ偶像禮拜の撲滅に集注せられぬ。 |
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これが爲めに人心大に激昂し、衆人はアブ・タレブに强ふるに、その甥の口を塞がんことを以てせり。 |
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若しマホメットにして、斯かる行動を續けんか、生命を賭しても之に反抗すべしと言へり。 |
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事情斯の如くなれば、アブ・タレブも默止する能はず、マホメットに勸告するに、衆に敵するの不可なるを以てしぬ。 |
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マホメットは此の勸告を聞き、叫んで曰く、『あゝ我が伯父よ、假令彼等わが右の腕に日を置き、左の腕に月を載すとも、~われに命令したまはずんば、我はわが目的を棄てざるべし。』と。 |
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最初の出奔 |
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同族の攻擊はu々勢を加へつ、啻にマホメット一身のみならず、彼が家族は憎惡の中心點となれり。 |
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殊に娘ロカイア及び其の夫イブン・アフハンに於て甚だしかりき。 |
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徒弟等も未だ互に相保護するほどの力を有せざりしを以て、マホメットは彼等をして一時アビシニアに危險を避けしめんとせり。 |
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アビシニヤ人はネストリア派の基督ヘ徒なり。 |
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其の隣邦の野蠻なるに引かへ宗ヘの感化行き亘りて、民心甚だ靜穩に、其の國王も亦仁愛の君なりき。 |
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故にマホメットは、この國こそ屈竟の隱處なれと想へるなりき。 |
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イブン・アフハンは十一名の男子と四名の婦人とより成る小隊を引連れ、メㇰカより東に向ひ、二日の旅路を經て、ジオダノ海岸に達しぬ。 |
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紅海の幅は狹し、されば彼等はジオダ港よりして容易くアビシニアに達するを得たり。 |
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マホメットの傳道の第五年に起れる此の事件は、最初の出奔と稱せらる。 |
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これ預言者その人が、メㇰカよりメジナに至れる第二回の出奔と區別せんためなり。 |
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アブヤールの敵對 |
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コレイッシユ種族はマホメットの口を噤まざるのみならず、日々改革者の生ずるを見て、遂に其のヘを遵奉する者を追放する法律を定めぬ。 |
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迫害の暴風はu々激しく吹荒めり。マホメットはサフハ山に在るオルクハムといふ徒弟の家に身を免れぬ。 |
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此の小山は亞剌此亞の傳說によれば、人間の始祖アダム、エバが聖樂園より追放せられ、互に別れて長く地上を彷徨ひしが、再び會して嬉し淚に咽びし處なりといふ。 |
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マホメットは、オルクハムの家に滯在すること一個月、尙ほも獲る所の默示を語り續けぬ。 |
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これを聽ける敵は、此の隱家まで押寄せたり。中にもアブ・ヤールといふ者、惡口雜言をマホメットに浴せかけ、彼が身に拳を加ふるに至りぬ。 |
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折りしも狩獵の爲め山に來り合せるマホメットの伯父ハムザは、此の暴行を聽ニきて驅けつけぬ。 |
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彼は弓矢を手に持ちつゝ群衆を押分けて內に入れり。アブ・ヤールは、方に勝ち誇りて高言を吐きつゝあり。 |
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暴慢なる彼の頭上に、突然一擊は下りぬ。 |
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驚ける群衆は、アブ・ヤールを救はんとせり。 |
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されどハムザの手腕拔群なるを恐れて近づく能はず。 |
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アブ・ヤールも亦心折けつ、衝き進む群衆に向ッて言ふやう『ハムザに抗ふ勿れ。余は餘りに荒く彼の甥を取扱へり』と。 |
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而してマホメットにして其のヘを棄つるならば、人心は安靜なるものを、と呟くなりき。 |
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ハムザは之をスばず、叫んで曰く『余も亦マホメットと同じく、爾曹の石の~を信ぜず。爾曹は余を如何せんとするや』と。 |
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彼は憤怒に胸燃えて、己も亦改宗者たらんことを宣言せり。 |
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これよりして伯父ハムザは、熱心勇猛なる新信者となりぬ。 |
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オマア・イブナル・カッタブの悔改 |
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アブ・ヤールは、ハムザに嚴しく懲らしめられし爲めに、u々マホメットを憎惡するに至りぬ。 |
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彼は甥なるオマア・イブナル・カッタブを唆かして、預言者に復讐せしめんとせり。 |
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カッタブは時に年廿六、血氣內に溢れ、膽大に、力鼎を扛ぐるに足る壯士なりき。 |
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その持てる杖は、他人の劍よりも人の心を寒からしめぬ。 |
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カッタブはアブ・ヤールに煽動せられて、直ちにマホメットの隱家に突進せり。 |
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彼は短劍を以て預言者の胸を刺さんと期せしなり。コレイッシユ種族は、カッタブの此の擧を壯とし、若し能く事を遂げなば、百頭の駱駝、千枚の黄金を贈與せんと議せり。 |
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オルクハムの家に至る途上、カッタブは一知人に遇ひ、告ぐるに實を以てしぬ。其の知人は既に秘かに回ヘに改宗せし者にてありき。 |
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されば彼は勇者の血に渴ける心を變ぜしめんと欲し、告げて曰く、『卿がマホメットを殺す前に、卿の親族を罰し、以て卿の親族に異端の徒なきことを明かにせよ』と。 |
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カッタブは驚いて尋ねぬ、『余が親族の中に改宗の罪を犯せるありや』と。 |
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曰く『然り、卿の妹アミナと其の夫サイト是れなり』と。 |
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カッタブは妹の家に急ぎ往けり。 |
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突如として家に入れば、夫妻はコーランを讀みつゝありしなり。サイトは書を隱さんとせり。 |
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カッタブの怒は心頭に燃えたり。 |
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忽ちサイトを地に投げ倒し、足を以て其の胸を抑へぬ。 |
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妹の遮ぎるなくんば、サイトの胸に劍は貫かれしなり。 |
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カッタブは更に己を妨げたる妹の面に一擊を加へつ、血は年若き女の面より迸れり。 |
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アミナは咽び泣きつゝ曰く、『~の敵よ。卿は獨りの眞正の~を信ずる故を以て妾を擊ちしや。卿の暴行は如何にあれ、妾は眞正の信仰を曲げざるべし』と。 |
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更に語氣强く附言して曰く、『然り、~の外に~なし、マホメットは~の預言者なり。オマアよ、今、妾を殺したまへ』と。 |
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カッタブは逡巡しぬ。彼は己の暴行を悔ゆるの念を發せしなり。 |
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サイトの胸を抑へし足を引きて曰く、『その書ける物を余に見せよ』と。 |
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されどアミナはカッタブが手を洗ふことなくして聖き卷に觸るゝことを拒めり。 |
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その時カッタブの讀みしは、コーランの第二十章なりき。そは斯の如く初まる。 |
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『最も慈愛なる~の名に於てぞ。 |
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我等が、コーランを送るは人類にを來さんとにあらず、人類を訓戒せん爲めなり。 |
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地と、いと高き天の創造主なる、眞正の~を信ずることをヘへん爲なり。 |
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恩寵に滿てる~は高きに位す。 |
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上は天、下は地、地の下にある所も凡て~に屬す。 |
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聲高く祈禱の語を發せんとするか。その必要なきを知れ。 |
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~は爾の心の秘密を知る。 |
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然り、最も隱れたることをも知り給ふ。 |
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誠に、我は~なり。われの外凡て空なり。 |
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我に仕へよ、他のものに仕ふる勿れ。 |
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我のほか何ものにも、祈りをさゝぐる勿れ。』 |
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コーランの此の語は深くカッタブの心に透徹しぬ。彼は尙ほ其の次の條と讀み行き、u々心を動かせしが、やがて復活審判に就いて記せる節に至るや、彼の悔改は全く成りぬ。 |
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カッタブは一變せる柔しき心にて、オルクハムの家に急げり。 |
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彼は謙虛れる心にて其の家の声を叩けり。マホメットは叫びぬ。 |
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『入り來れ。アル・カッタブの子よ。爾は何を持ち來れるや。』 |
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『余は~と~の預言者を信ずる者の中に加名せんために來れり。』 |
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斯くして彼は其の信仰を告白せり。然れども彼は己が信仰を告白せるを以て足れりとせず、マホメットに勸むるに、カアバの~殿に至りて、公然回ヘの儀式を擧行せむことを以てしぬ。 |
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是に於て預言者は左腕をカッタブに保たれ、右腕を伯父ハムザに託して隱家より出で來りぬ。 |
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衆人は二勇士に保護せらるゝ預言者を見て、嘲笑は心の中は死し啞然として恐れ惑ひぬ。 |
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この時よりカッタブはマホメットに隨ひ、最も熱烈なる防護者の一人となりぬ。 |
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種族間の憎惡 |
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ハシエミット種族の長アブ・タレブ及び其の同族の、マホメットを保護せることは、コレイッシユ種族の憤怒を惹起し、茲に種族間の憎惡を見るに至りぬ。 |
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コレイッシユ種族の長アブ・ソフィアンは、啻にマホメットの信仰を撲滅するに止まらず、ハシエミット種族の權勢を奪ひて、己メㇰカの支配權を獲んとの野望を懷けるなりき。 |
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心厚きアブ・タレブがマホメットを其の城砦に保護するに及び、アブ・ソフィアンはこれを口實として種族間の交を絶つことを布告せり。 |
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己の支配の下にある者はアブ・タレブの支配の下にある者と婚を通ずべからずと令したるのみならず、商業上の取引をもなすべからずと命ぜり。 |
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これ預言者の傳道の第七年に起れる事にして、その布告は羊皮紙に記されて、カア バの~殿に掲げらる。マホメットのヘ徒は、一時これが爲めに大恐慌を起したりき。 |
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されど順禮の季節は至りぬ。其の季節には亞剌比亞の各州より順禮者はメㇰカに集ひ來り、凡ての敵意を棄てゝ、いと平和にカアバの~殿に禮拜をさゝぐるなりき。 |
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是に於てマホメットのヘ徒は憩ひの時を得ぬ。 |
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此の聖なる季節を好機として、マホメットは順禮者の內に混じて道を傳へ、祈りを努めぬ。 |
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そのため改宗者はu々揩オ加はれり。 |
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ハビブ賢王の悔改 |
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當時ハビブ・イブン・マレクといふ國王あり、博學多識にして、賢王の稱あり。 |
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深く科學、宗ヘを修め、これに關する、ゥ書を讀破せり。 |
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彼は甞ては猶太ヘ、基督ヘ、波斯ヘを信じたるを以て、凡て其の實狀を熟知せり。 |
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傳說に從へば、この賢王は百四十歲の齡に達せりといふ。 |
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彼は今や二万の軍勢を率ゐてメㇰカに來れり。 |
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妙齡の娘サチハを伴ふ。これ其の齡にて生める所、 |
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不幸にして此の娘は、啞にして聾盲目にして手足を動かすことも不自由なりしを以て、カアバの~殿に祈願を籠めんとするなり。 |
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アブ・ツフィアン及びアブ・ヤールは、此の賢王の來れるを見て大にスべり。 |
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マホメットの信仰を撲滅するは、此の機にありと雀躍す。 |
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彼等はハビブ賢王に面謁して、告ぐるに僞預言者の衆を惑はせることを以てす。 |
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時に賢王はフリンツの谷に陣を取れり。 |
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深紅の天幕の內、象牙を鏤め、黃金を以て飾れるK檀の王座に坐れる賢王の威風は、冐すべからざるものありき。 |
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マホメットは、此の賢王より召喚せられし時、妻カジジャの家にありき。 |
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カジジャは之を聞き、愕いて泣き叫ぶなりき。 |
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娘等も泣き悲しみつゝ父の頸に取縋れり。死の宣告は豫想せられぬ。 |
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されどマホメットは彼等の恐怖を鎭め、~に倚ョむべきことを告げぬ。 |
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マホメットは、白衣を着け、Kき頭帕を被り祖父アブダル・モタレブの遺物たる外套を纒ひて、敵地に近づきぬ。 |
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長髮は肩に垂れ懸り、預言者たる靈光は其の面に輝けり。 |
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預言者の近づくや大なる會衆は肅然鳴りを鎭めたり。 |
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私語する者もなし。野獸も亦沈默せり。軍馬の嘶き、駱駝の呀聲、驢馬の鳴き聲も聞えざるなり。 |
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宏量なるハビブは、厚く彼を待てり。 |
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而して彼は先づ初めに問へり『卿は~より遣はされたる預言者なり、と自稱せりとのことなるが、果して然るや。』 |
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『然り』とマホメットは答ふ。 |
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『アラア~は眞正の信仰を證しするために余を送れり。』 |
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『可し』と賢王は言ふ。 |
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『いかなる預言者も皆、その使命の實證として奇蹟を行へり。 |
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ノアは霓を示し、ソロモンは不思議の輪を示し、アブラハムは炎々たる竈の火を言の下に消えしめ、 |
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イサクは己が代りに犧牲とせらるゝ牡羊を有し、モーゼは驚くべき鞭を持ち、耶蘇は死人を復活しめ、一言の下に暴風を鎭めたり。 |
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卿にして眞の預言者ならば、その實證として奇蹟を示せ』と。 |
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マホメットの從者は此の要求に戰慄せり。 |
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アブ・ヤールは拍手して賢王の聰慧を嘆稱せり。 |
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然れども預言者はアブ・ヤールを蔑視して曰く、默れ、爾の種族の犬よ』と。斯く言へる預言者は、靜かにハビブの要求に應ぜんとせり。 |
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ハビブが、マホメットに提供せる第一の質問は、己が天幕の裡にあるものは何ぞ、又何の爲めにそれをメㇰカに待ち來れるや、と言ふにあり。 |
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傳說はいふ。是に於てマホメットは、地は屈みて、砂に物書けり。而して首を擧げて答へぬ、 |
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『おゝ、ハビブよ、卿は娘サチハを連れ來れるなり。其の娘は啞にして聾、跛にして盲、卿は天の救助を獲んと望めり。 |
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天幕の裡に往き見よ、彼女に語れ、彼女の答を聽け、而して~の全能なることを知れ』と。 |
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高齡なる君主は天幕の裡に急げり。 |
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見よ、娘は輕く歩み、腕を擴げ、喜びに輝く眼、笑に柔げる面をして、 |
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雲なき夜の嫦蛾よりも美はしき完全なる容姿もて、父の許に來るにあらずや。 |
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ハビブの提供せる第二の奇蹟は、尙ほ一層困難なりき。 |
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正午の蒼穹を超自然の暗Kを以て蔽ひ、月を招きて、カアバの殿頂に宿らしむるにあり。 |
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傳說はいふ、預言者は第一の如く此の奇蹟をも容易に現はせり。彼の差し招くに招じて、暗Kは日光を蔽ひ、月は大空に登り來れり。 |
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預言者の不可抗力に依ッて、月は天より下り來りて、カアバの殿預に宿る。 |
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順禮者の慣習は從うて、殿頂を廻ること七度、輕く滑りてマホメットの前に留まり、測るべからざる尊敬の情を表し、預言者として彼を祝せり。 |
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奇蹟は茲に止まらず、マホメットは月を取りて外套の右の袖は入れ左より出でしめ、 |
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而して之を二分し、一は東に、他は西に往かしめ、大空の中央にて互に柏會せしめ、以て煌々たる圓球たらしめしといふ。 |
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この奇蹟の爲めに、賢王ハビブの改宗せしは言はずもがな、メクカの住民四百七十人は、又信仰の告白をなせり。 |
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されどアブ・ヤールはこれマホメットの魔術、人の眼を欺くなりとて不信の心をu々固く鎖せるなりき。 |
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第四章 迫害と祝 |
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メㇰカに還る |
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マホメットと其の從者とがアブ・タレブの城砦に隱家を索めし以來、三年の日月は過ぎぬ。 |
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その間兩種族絶交の布告は、尙ほ、カアバの~殿に貼附せられありき。 |
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されど或る時不思議にも、羊皮紙に記されたる其の布告文は、冒頭の句、『爾の名に於て、おゝ全能なる~よ』といふ文字の外引き裂かれしこと見出されぬ。 |
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是に於て此の布告は廢止せらるゝことゝなり、マホメットと其のヘ徒とは、メㇰカに還るを得たりき。 |
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彼の還るや、市民及び遠國の順禮者の改宗する者踵を接して起れり。 |
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コレイッシユ種族は、新ヘ徒の揄チu々甚しきを憂悶したりしかど、當時波斯人が希臘人と戰うて勝利を獲たる報に接し、愁の眉をやゝ開きぬ。 |
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彼等はこれを以て偶像ヘ徒が一~ヘ徒に對する凱歌と見做し、マホメットの宗ヘも軈ては撲滅し得べしと言ひ合へり。 |
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然れども回ヘ徒は之に答ふるはコーランの第十三章を以てしぬ。 |
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曰く、『波斯人は希臘人に勝てるなるべし。されども數年を經ば、前者は後者に打勝つべし』と。 |
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熱心なる信仰を有するアブ・ベケルは、十頭の駱駝を賭して、此の預言の三年の內に成就せらるべしとなせり。 |
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『賭物を揩ケ、然しながら時を長くせよ』と、マホメットは囁きぬ。 |
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アブ・ベケルは百頭の駱駝を賭け、時を九年に延ばしぬ。 |
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預言は的中し、賭物は獲られぬ。この逸話は、回ヘの學者に依ッて、コーランの天より來れる實證として引例せらるるものなり。 |
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そは兎に角、吾人はマホメットの非凡なる炯眼に推服せざるを得ず。 |
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アブ・タレブの死 |
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マホメットのメㇰカに還りて間もなく、伯父アブ・タレブ世を去りぬ。 |
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尊敬すべき品格の人、齡八十の坂を越えけり。 |
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其の死の近づくや、マホメットは伯父に迫りて、信仰を告白せしめんとせり。 |
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死に瀕せる族長の胸には、地上の自負最後の閃めきを示せり。 |
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曰く、『おゝ我が兄弟の兒よ、余若し信仰を告白せば、コレイッシユ種族は、余が死を恐るる故に斯くなせりと言ふならん』と。 |
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されどアブ・タレブは、死の刹那に於て、低聲にて信仰の語を述べたりといふ。 |
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ガジジャの死 |
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尊敬せる伯父の死を悲みて後僅に三日、マホメットは忠實にして敬虔なる妻カジジャに永別するに至りぬ。 |
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カジジャは享年六十五歲、マホメットは其の墳墓に於て痛く泣きぬ。 |
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彼は喪服を纒へり。 |
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伯父と妻との死せる此の年をば、悲哀の年といふ。 |
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亞剌此亞の傳記者の記す所に據れば、マホメットは、聖樂園に於て銀の靈臺、カジジャの大なる信仰に報ゆる爲めに備へらるといふ天使ガブリニルの報告のために漸く慰められしとぞ。 |
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マホメットの多妻主義 |
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ヤホメットは、ガジジャの己より年長なりしに拘らず、今まで多妻主義を實行することなかりき。 |
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多妻は亞剌此亞の法律の許す所、されどマ ホメットの私行は甚だ潔かりき。 |
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今やカジジャの死と共に、彼の素行は漸く放縦となりぬ。 |
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彼は其のヘ條として、各信徒に四人の妻を有することを許せしが、 |
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預言者として特殊の祝ある自己は、このヘ條の下に律せらるべからずして、幾人にても妻を貯ふるを得とせり。 |
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熱帶地に於ける斯かる多妻主義は、勿論奇怪なれども、文明國の道コを以て一槪に難ずべからざるものあらんか。 |
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彼はカジジャの死後一月ならずして第二の妻を選びぬ。 |
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美しき女兒にしてアエシャといふ。 |
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忠實なる信者アブ・ベケルの娘なり。 |
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然もアエシャは尙ほ七歲の蕾の花、熱帯地の女性に早く花咲くとも、人の妻たるには未だし。 |
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マホメットは、只この女兒と婚約し、そのヘ養に意を用ひぬ。 |
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彼は此の婚約に依りて、その父アブ・ベケルの歡心を買はんとせしなりき。 |
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預言者は政略結婚をなしぬ。 |
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而してこの蕾の妻は、マホメットの最も愛せし所にして、 |
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彼の妻たりし婦人の中、C淨無垢の處女なりしは、アエシャ一人なりとは、預言者自ら語りし所なりといふ。 |
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アエシャと婚する時に至るまで、預言者は其の從者ソクランの寡婦サウダを容れて妻となしぬ。 |
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サウダはマホメットの娘フハチマの乳母なりし者、甞てアビシニアに逃奔せる信者の一人なりき。 |
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流浪の間サウダは將求の名譽を暗示せる不思議の前兆に會へり。 |
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即ち或る夜の夢にマホメットが其の首を彼女の胸にたへたるを見ぬ。 |
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之を其の夫ソクランに語りしに、ソクランは、己夭死してサウダの預言者と結婚する前兆ならんと說明せりとぞ。 |
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夢は實現せられぬ。 |
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されどマホメットはサウダを愛せざりき。後年彼はサウダを離緣せんとせしが、 |
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サウダは只管に預言者の妻たる名譽を與へ置かれんことを嘆願し、己が妻として占むる一切の權利をばアエシャに讓ることになしゐたりとぞ。 |
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~仙の讃歎 |
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アブ・タレブの死を好機として、コレイッシユ種族は、u々迫害の勢を强めぬ。 |
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爲めにマホメットは一時伯父アル・アバスの住へる町タエフに其の難を避けたりき。 |
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然るにタエフは偶像信者の巢窟なりしかば、火を逃れて水に投ぜるが如く、却ッて痛く苦しめられぬ。 |
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彼が說ヘの聲は、何時も衆人の怒號に沒せらるゝなりき。 |
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幾度か石を擲たれて、負傷せしこともありき。 |
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マホメットは疲れ果てたる心もて、ク里に還り、友人の家に隱處を索めんとて出立ちぬ。 |
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彼が~仙に邂逅せしは、その途上にてありき。 |
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傳へいふ、彼ナクラの谷に於て、獨り寂しく夕暮の祈を濟まし、コーランを朗誦しつゝありしに、~仙の群は其處を通過したり。 |
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妙なる讀經に耳そばたてたる~仙の一人は、『聽け、耳傾けよ』と同行者に告げぬ。 |
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彼等は歩を停めつゝマホメットの讀み續くる所を傾聽せり。 |
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讀經終るや、~仙は曰く、『誠に我等は妙法を聽けり、我等も之を信ぜむと欲するほど、正しく記されたり』と。 |
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マホメットは、自己のヘ法の、世の人々に拒まるれど、~仙の讃嘆する所となりしを思ひ、一層强く自信の臍を固めしといふ。 |
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幻象の旅行 |
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マホメットは、メㇰカに還りて、徒弟の一人ムテム・イブン・アジの家に隱れぬ。 |
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此處にて彼は異常なる幻象に接せり。 |
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そは夢にメㇰカよりエルサレムに至りエルサレムより第七の天まで旅行せることなりき。 |
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夜は暗く、四隣寂たり。鷄の鳴く聲、犬の吠ゆる聲、野獸の哮ゆる聲、梟の叫び聲、皆聽かれざるなり。 |
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水は囁きを止め、風も嘯かず。 |
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萬籟死せるが如し。 |
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時三更マホメットは耳元に叫ぼるゝ聲を聽きぬ。 |
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曰く『覺めよ、爾睡れる者』と。 |
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眼を聞けば天使ガブリニルは前に立てり。 |
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天使の額は輝きて面の色は雪の如く、髮は肩に垂れ懸り、その翼は種々に彩色られ、衣服は眞珠と黃金とを以て飾られぬ。 |
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ガブリニルは驚くべき形狀の白馬を連れ來りぬ。 |
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面は人の如く、頰は馬の如く、眼は星の如く輝けり。 |
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煌々たる鷲の翼を有し、全身寶石にて光れり牝馬にして、其の奔ることの迅速なるよりして、アル・ポラク、又は『稻妻』と稱せらる。 |
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天使に促されて、マホメットは此の駿馬は跨りぬ。 |
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身は忽ちメㇰカの山上に高昇せり。 |
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電光の如く天地の間を疾驅せる時、ガブリエルは聲高く叫べり、『停まれ。おゝ、マホメットよ。地に下れ、身を屈めて祈りをなせ』と。 |
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彼等は地に降りて、祈りをなす。マホメットは言ふ、『おゝ、友よ、我が靈の愛する者よ。何故汝は此處に祈りすることを命ぜしや。』 |
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『此處は~がモーゼと對談せる、シナイ山なるが故に。』 |
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再び高く登りて、天地の間を驅りぬ。軈てガブリエルは又叫びぬ、『停まれ。おゝ、マホメットよ。下れ、而して身を屈めて祈れよ』と。 |
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彼等は降れり。 |
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マホメットは祈れり。 |
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再び尋ねぬ、『何故爾は此處に祈ることを命ずるや。』 |
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『此處はマリアの子耶蘇の生れたるベテレヘムなる故に』 |
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彼等は又もや空中に昇り進む。聲あり、右より聽ゆ。 |
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『おゝ、マホメットよ。暫く止まれ。語るべきことあり。被造物の中、我は最も爾を崇敬す』と。 |
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然れどもボラクは前進せり。 |
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マホメットは此處に停まるは、全能なる~の意にあらぬを感ぜるものから、行を止むるを肯んぜざりき。 |
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時に左より聲あり。 |
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同じくマホメットに停まれといふ。 |
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然れどもボラクは前進す。 |
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マホメットは留まらず。 |
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彼は今美はしき乙女の、地上のあらゆる富と奢侈とを以て身を飾り、己が前に立ち現はるゝを見たり。 |
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媚ぶるが如き笑を浮べて、マホメットを差招きて曰く『暫く、停まれ。おゝ、マホメットよ。語るべき事あり。我は萬物の上に爾を崇敬す』と。 |
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されど尙ほボラクは前進し、マホメットは留まらず。停まるは全能なる~の意はあらざるを思うてなり。 |
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マホメットはガブリエルに問ふ、『我が聽ける聲は何ぞや。我を差招ける乙女は誰ぞや。』 |
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『最初の聲は。おゝ、マホメットよ。猶太ヘ徒の聲なり。爾その聲に耳傾けなば、爾の國民は猶太ヘに從へらるゝに至りしなり。 |
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第二の聲は、基督ヘ徒の聲なり。爾その聲に耳傾けしならば、爾の人民は基督ヘに從へられしなるべし。 |
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乙女は世界なり、あらゆる富、あらゆる虛飾、あらゆる誘惑を有す。 |
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爾その聲に耳傾けしならば、爾の國民は此の世の歡樂を擇び、永劫の祝を忘れ、限りなさ滅亡に至れるなるべし。』 |
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空中の旅路を續けて、今や彼等はエルサレムの聖堂の門に達しぬ。 |
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マホメットはボラクより降りぬ。 |
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~殿に入れば、アブラハム、モーゼ、耶蘇、その他多くの預言者居合はせたり。 |
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彼が其の仲間に入りて祈りをなせる時、光明の梯子天より下りぬ。 |
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天使ガブリニルに助けられて、マホメットは稻妻の如く迅速に此の梯子を登れり。 |
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第一の天に着せる時、ガブリエルは其の門を叩きぬ。 |
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『誰ぞや』と內より聲あり。 |
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『ガブリエル。』 |
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『爾と共にあるは誰ぞや。』 |
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『マホメット。』 |
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『彼は其の使命を受けしや。』 |
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『彼は受けたり。』 |
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『然らば彼は歡迎せらる。』 |
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而して門は開かれぬ。 |
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第一の天は純銀にて造らる。 |
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燦然たる圓天井に於て、ゥの星は黃金の鎻もて懸けられぬ。 |
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星には各天使の番兵置かる。 |
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~聖なる住居を侵さんとする惡魔を防がんがためなり。 |
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マホメットの內に入れる時、古き人近寄り來りぬ。 |
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ガブリニルは言ふ、『こゝに爾の父アダムあり。敬禮せよ。』と、マホメットは身を屈む。 |
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アダムはマホメットを抱擁して、我が子孫の中最大なる者、預言者の隨一人と稱せり。 |
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この天には、あらゆる種類の動物無數に住へり。 |
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その中は、眩しきほどの白色の鷄あり。 |
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その鷄冠第二の天に觸るゝほどの高處にあり。 |
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この驚くべき烏は、毎朝諧調なる歌をもて、アラア~に挨拶す。 |
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地上のあらゆる生物は、人の外凡て其の聲に呼び覺まさる。 |
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凡ての鳥は其の聲に應じて昧爽の歌を唱ふなりけり。 |
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今やマホメットは第二の天は登りぬ。 |
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ガブリエルは前の如く門を叩けり。 |
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同じ問答ありて、門は開かれ、內に導かれぬ。 |
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この天は滑かなる鋼鐡にて造らる。 |
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赫奕として眩ゆし。 |
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此處にノアあり。マホメットを抱擁して、預言者の最大なるものと稱す。 |
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第三の天に至れば、亦同じ儀式ありて、門に入る。 |
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其處は寳石にて飾られ、燦爛人の目を奪ふ。 |
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測りがたき高處に一人の天使坐せり。 |
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その眼は七千日の未來を見るに足る。 |
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彼は武裝せる十万の軍隊を率ゆるなり。 |
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その前には、大なる書物擴げられ、彼は絶えずそれに書入れし、又それを塗抹せり。 |
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『これぞ、おゝ、マホメットよ』とガブリエルは言ふ。 |
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『アツレエルなり。アラア~の信任せる死の天使なり。 |
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その前にある書物には、絶えず生れし者を書入れし、又死せんとする者の名を消せるなり。』 |
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彼等は更に第四の天に登りぬ。 |
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最も美々しき銀にて造らる。 |
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そこに住へる天使の中には、五百日の旅をなして始めて登り得る高處にあるものあり。 |
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その容貌は惱苦に滿ち、淚の河は其の眼より流る。 |
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ガブリエルは言ふ、『これぞ、淚の天使にして、人の子の罪を泣き、人々を待てる惡を預言する役目をなせり。』 |
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第五の天は壯麗なる黃金にて造らる。 |
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此處にアーロンありて、マホメットを抱き、之を祝す。 |
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この復讐の天使は此の天に住み、火の元素を管理せり。 |
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マホメットの見たる天使の中、この天使は最も恐ろしき姿せり。 |
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その貌は銅の如くにて、一面に瘤と痣あり、眼は熖と閃めき、手には火の槍を握れり。 |
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その坐せる處は火熖に圍まれ、その前には赤く熱せる鎖重なれり。 |
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彼その正體を現はして地に降らんか、山は壞れ、海は乾き、あらゆる住民は恐怖に死すべし。 |
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この天使と其の部下とは、不信者及び罪人の刑罰は委ねらる。 |
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慄然たる此の住居を後にして、更に第六の天に登れり。 |
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ハサラといふ紅玉の材となる透明の石にて造らる。 |
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此處に大なる天使あり、半ば雪、半ば火にて成れり。 |
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雪は融けず、火は滅せず。 |
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その周圍に少しく小さき天使の合奏隊あり、 |
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絶えず叫んで曰く『あゝ、アラアの~よ、雪と火を結びつくる爾は、凡て爾の忠實なる僕を結び付けて、爾の律法に隨はしむ』と。 |
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『これぞ』とガブリニルは言ふ、『天地を守護する天使なり。 |
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爾の國民に對して天使を派し、爾の使命の恩寵に各人を與からしめ、各人をして~に使へしむるは此の天使の職務なり。 |
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この天使は斯くして復活の日に至る。』 |
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此處に預言者モーゼあり。 |
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他の預言者がスんでマホメットを迎へたるに反し、彼はマホメットを見て眩然淚を垂れぬ。 |
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『何故爾は泣くや』とマホメットは尋ねぬ。 |
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『余がイスラエルの墮落せる子供を樂園に導くよりも、一層その國民を導ける後繼者を見し故なるや。』 |
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第七の天に登丁りてマホメットは族長アブラハムに迎へられぬ。 |
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この祝の住居は、聖光にて造らる。 |
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その超絶せる榮えは人の口を以て語り盡し難し。 |
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其處に住へる天上人の一人を記せば、その全禮を窺ふを得べし。 |
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天上人は大きさ全地に勝る、七千の頭を有し、その頭には各七千の口あり、その口には各七千の舌あり、その舌は各七千の異なれる國語を語る。 |
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而してそは絶えず、いと高きものを讃美するために用ひらるゝなり。 |
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この驚嘆すべき者を熟視せるうちにマホメットは突然アラア~の見えざる玉座の右側に榮ゆる蓮の上に移されぬ。 |
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其の枝は天地の間隔よりも尙ほ廣く擴がれり。 |
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濱の眞砂よりも數多き天使は、その樹蔭に樂しめり。 |
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その葉は象の耳に似たり。幾千の不死の鳥は、その枝に遊び、コーランの森嚴なる句を囀れり。 |
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その果實は乳よりも柔かく、蜜よりも甘し。 |
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あらゆる~の生物集ふとも、その果實の一ッもて、十分に彼等を飽かしめ得べし。 |
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その核には各天上の乙女を宿せり。 |
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この乙女は眞正の信者の勞を慰むるために備へらる。 |
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この植物よりして四ッの河流れ出づ。 |
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二ッの河は天國の內部に流れ、二ッの河は天國の外に流れ出づ。 |
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ナイル、ユーフラテは其の末流なり。 |
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マホメットと嚮導者とは、今や禮拜の堂に進み往けり。 |
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この堂は風信子石及び紅玉にて造らる。 |
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無數の燈火は消ゆることなく、堂を圍めり。 |
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マホメットの玄關に入れる時、三ッの瓶差出さる。 |
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第一の瓶には酒、第二には乳、第三には蜜を盛れり。 |
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マホメットは乳を盛れる瓶を取りて飮めり。 |
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『善くなせり。爾の選擇は正し』とガブリエルは言ふ。 |
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『爾が酒を飮みしならば、爾の人民は惡しきに踏み迷ひしならん。』 |
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~聖なる堂はメㇰカに於けるカアバの~殿に似よれり。 |
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いと高き位にある七万の天使は每日そこに至る。 |
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聖き列を造りて、七度聖堂をめぐるなり。 |
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この時マホメットも其の列に加はるを得たり。 |
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ガブリエルは、それより遙に進むこと能はざりき。 |
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マホメットは今や獨り無限の空間を周遊す。 |
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思想の速なるよりも早し。 |
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眩惑する光明の二地方を通過し、深奧なる暗Kの地方に至る。 |
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この眞の闇Kを出づればアラア~の面前なり。 |
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マホメットは恐懼措く所を知らず。 |
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~の聖顏は二万の面帕にて包まる。 |
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その光榮を眺むることは、人を滅ぼせばなり。 |
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~は手を伸ばして、マホメットの肩に載せぬ。 |
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マホメットは慄然として骨髓を震はせしが、忽ち法スの祝を感じぬ。 |
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~の面前に在りし者にあらずんば解すること能はざる甘美のC香彼を包める。 |
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マホメットは、~よりして、親しくコーランの內にある多くのヘ理を賜はれり。 |
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而して五十度の祈禱は、眞正の信者の日々の務めとして定められぬ。 |
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マホメットは、~前よりまかり出でて、再びモーゼは遇ひぬ。 |
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モーゼはアラア~の要求せる所を問へり。 |
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『每日五十回、祈りをなすこと』とマホメットは答ふ。 |
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『卿はそれを爲すを得ると思ふや。余はそれを實驗せり。イスラエルの子供等にそれを試みしかども、無uなりき。 |
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戾りて祈禱を減少することを乞へ』 |
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マホメットは、~前に戾りて、十度の祈禱を減少するの許を得たり。 |
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モーゼにそれを語りしに、尙ほ多しと言ふ。 |
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其の忠告に由ッて、マホメットは數度~前に引返し、遂に五回の祈禱に減ずるを得たり。 |
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モーゼは尚ほも言へり。『卿は卿の人民に每日五回の祈禱をなさしめ得ると思ふや。 |
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あゝ、余はそれをイスラエルの子供等に經驗せり。然れどもそはuなかりき。戾りて尙ほ一度減少を乞へ』 |
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『否』とマホメットは答へぬ。『余は既に耻かしきまで容赦を乞へり』 |
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斯く言ひてマホメットはモーゼの勸告を斥け、彼と別れぬ。 |
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光明の梯子に依ッて、エルサレムの~殿に降れば、駿馬はそこに繫がれ在り。 |
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彼はそれに乘りて、瞬く間に元來し場所に引返せり。 |
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第五章 出奔の前後 |
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傳道の十年 |
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十年の苦心經營は、大抵人の事業に成功の一段落を劃するに足るものなり。 |
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然るにマホメットは、傳道の十年に於て、前途u々遠く、四邊は尙ほ暗澹たる光景なるを感じぬ。 |
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彼が爲めに無二の慰籍者たりしカジジャは旣に墓にはり、眞實なる保護者アブ・タレブも亦世を去れり。 |
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而して迫害の勢はu々加はり、播ける種は磽地に於て空しく死しぬ。 |
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彼豈憮然たらざるを得んや。 |
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彼は一日メㇰカの近郊アラカバの小山にて說ヘしぬ。 |
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時しも順禮の期節に當りしかば、ヤスレブの市より來れる順禮者、それを過らんとして預言者の言葉に耳傾けぬ。 |
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ヤスレブの市は又の名をメジナといひ、メㇰカの北方二百七十哩の距離にあり。 |
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其の住民の多數は、猶太ヘ、又は變則の基督ヘを奉じぬ。 |
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今こゝに來れる順禮者は、純粹の亞剌此亞人にして、古來より勢力あるカヅラジットの種族に屬せる。 |
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彼等は猶太ヘ徒が救世主を待ち望めることに就いて聽けることあり。 |
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今マホメットの雄辯に深く心を動かし、其の說く所猶太ヘのヘふる所に似寄れるを知り又その預言者なりと自稱せるを聽き、 |
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これこそ猶太ヘ徒の待ちに待てる救世主ならんと思ひしものから、皆マホメットの前に跪きて、其の信仰を誓ふに至りぬ。 |
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マホメットは、此の順禮者の權力ある種族に屬することを知り、其處に避難所を索めんとせり。 |
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先づ其の徒弟中、最も學識才能あるムサブ・イブン・オマイルを遣はし、改宗者の信仰を强め、又その人民にヘを傳へしめんとせり。 |
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これ回ヘの種子がメジナ市に播かれたる最初なり。 |
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ムサブは偶像信者に迫害せられ、生命を危うせることもありしが銳意道を擴め、有力なる人々を改宗せしめぬ。 |
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秘密の會合 |
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ムサブ・イブン・オマイルは、メジナの改宗者七十名を率ゐて、愈々マホメットを避難せしめんが爲めに、メㇰカに來れり。 |
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マホメットは、アラカバの小山にて夜半彼等と會合しぬ。 |
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マホメットの伯父アラバスは、彼が身の危險を慮りて、此の秘密會議に列せり。 |
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アラバスは、メジナの人々にして、安全に預言者を保護するを得ずんば、彼を伴ふ勿れと告げぬ。 |
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メジナにして新信仰を公然採用せば、全亞剌比亞は武器を執ッてメジナに對すべしと氣遣ひぬ。 |
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然れども、斯かる諫言はマホメットの顧みざる所、嚴格なる誓約は彼我の間になされたり。 |
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偶像を排し、公然恐るゝ所なく眞正の~を拜せよとは、マホメットの要求する所なりき。 |
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メジナ人は問ひぬ。 |
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『然れども、我等爾のために身を滅ぼさば、その報償は何ぞ。』 |
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『聖樂園!』と預言者は答へぬ。 |
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暗殺の計畫敗る |
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當時マホメットと犬猿啻ならぬアブ・ソフィアンは、メㇰカの市長となれり。 |
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彼は新信仰の勢よき傳播に少からず驚きぬ。如何にして之を撲滅すべきか、コレイッシユ種族の重もなる人々を召集して會議を開けり。 |
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或はマホメットを追放せよと云ふ者あり。 |
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或は牢獄に投じて死に至るまで食を斷てと云ふ者あり。 |
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論議區々ならしが、此處に一人、ネドヤ州より遙々來れる强の老人あり。 |
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そは回ヘの傳記者に據れば、惡魔の假裝せし者、彼は衆人の說を手ぬるしとて、マホメットを立ところに暗殺することを主張しぬ。 |
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議は茲に決す。 |
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暗殺者は、マホメットの住居に至る。 |
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預言者の生命は風前の燈火の如し。 |
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血に渴せる者共は、戸外に立てり。 |
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流石に逡巡して入る能はず。 |
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小孔を通して覗き見れば、マホメットは告Fの外套にくるまりて、其の上に臥せり。 |
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暗殺者は暫く立留まりて、睡れる間に彼を襲ふべきか、其の起上るまで待つべきかを相談せり。 |
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遂に彼等は戶を蹴破りて、榻に向ッて突進す。 |
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睡眠せる者は起上れり。 |
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然れどもそはマホメットにあらず、アリにてありき。 |
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マホメットは天使ガブリエルの諫告に依ッて逸早く遁れぬといふ。 |
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然れどもそはコレイッシユ種族中、マホメットに同情せる者、その危急を告げ知らせるならん。 |
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そは兎に角、暗殺者は驚き迷ひぬ。 |
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『マホメットは何處にある』と問ふ。 |
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『知らず』とアリは嚴然として答ふ。 |
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而して歩み去らんとす。 |
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啞然たる暗殺者は、彼を留めんともせじ。 |
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犧牲者の遁れ去りしに怒れるコレイッシユ種族は、百頭の駱駝を懸けて、マホメットの生命を獲んとせり。 |
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マホメットの危難を遁れしことに就いては、種々なる臆測記さる最も不思議なる說明は是れなり。 |
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曰く、暗殺者の戶外に立てる時、マトメットは靜かに戶を開き、空中に一握みの塵埃を散じ、以て暗殺者の眼を暗まし、その中を過ぎ去りぬ。 |
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コーランの第三十章に記さるゝ、『我等は彼等を盲目にして、見えざらしむ』とは、當時の事を言へるなりと。 |
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然れども、最も事實らしき說明と想はるゝは、彼は急ぎ家の背後に至り、僕に助けられて、其處の壁を攀ぢ上り、戸外に遁れたりと云ふにあり。 |
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トール山の洞穴 |
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危難を遁れたるマホメットは、アブ・ベケルの家に投ず。 |
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一先づメㇰカより約一時間の道程にあるトール山の洞穴に身を隱し、それより安全にメジナに至る畫策をなすことに決心しぬ。 |
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夜は尙ほ暗し。星の光に道を踏んで、夜の白む頃洞穴に達す。 |
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辛くも洞穴の中に入れる時、迫手の足の響は聽かれぬ。 |
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アブ・ベケルは大膽なる人なりしが、恐怖に慄へぬ。 |
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『追手は多數、我等は唯二人なり』とアブ・ベケルは言ふ。 |
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『否、我等は三人なり。~は我等と偕にあり』とマホメットは答へぬ。 |
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此の時の奇蹟は回ヘの傳記者に依ッて記さる。 |
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追手の洞穴に達せる時、荊毬花の樹は其の前に生じ、その枝に鳩巢を造り、卵をたへ、而して穴の全部には蜘蛛網を張りぬ。 |
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されば洞穴には人なきを信じ、彼等は他の方面の捜索に赴けり。 |
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斯かる奇蹟ありしや否や、そは兎に角、彼等は三日間無事に洞穴に留まりぬ。 |
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アブ・ベケルの娘アサマは、夕闇に乘じて、秘かに食糧を運び來る。 |
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出奔 |
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洞穴に在ること四日、追手の熱心は冷却したるが如し。 |
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出奔者はアブ・ベケルの僕の、夜窃に連れ來れる駱駝に乘り、メジナを指して落ちのびぬ。 |
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隊商の通ふ大道を經ずして、紅海の岸に近き徑路を取れり。 |
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往くこと未だ幾何ならずして、軍馬の響喧しく後方に聽ゆ。 |
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ソラカ・イブン・マレクも先導とせる追手なり。 |
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アブ・ベケルは、又も衆寡敵せざるに失望せり。 |
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然れども、マホメットは自若として曰く、『憂ふる勿れ、アラア~は我等と偕にあり。』 |
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ソラカは兇猛なる勇士なり。 |
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髮は蓬々として、腕は鋼鐡の如し。 |
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然れどもソラカのマホメットを望見するや、その馬は後進し、彼は地に落ちぬ。 |
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斯かる凶兆にソラカの心は驚かされぬ。 |
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マホメットは其の心狀を看破し、熱誠もて彼を說伏せり。 |
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ソラカは赦免を乞ひ、空しく軍隊を引返せるなり。 |
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出奔者は其の後恙なく旅路を經て、メジナより二哩が手前にあるコバといふ小山に着す。 |
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この小山は、メジナの住民の遊興場とも云ふべき所、空氣C淨なるために病人をこゝに送るを慣ひとせり。 |
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そのため此處は果實豐かなり。 |
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小山の周圍には葡萄畑多く、波斯棗の叢林あり。 |
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佛手柑、蜜柑、柘榴、無花果、桃、杏の園あり。 |
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Cき小川も潺湲として流れぬ。 |
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此のコバに着せる時、マホメットの乘れる駱駝は、膝を折りて、進まざらんとせり。 |
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預言者はそれを吉兆となし、こゝに行を留め、メジナに往く準備を整へぬ。 |
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駱駝の跪ける場所は、今も尙ほ敬愛せる回ヘ徒に記念せられアルタクワといふ禮拜堂そこに建設せらる。 |
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マホメットはコバに留まること四日、そこに多くの改宗者を得たるは、前途の吉兆を示せり。 |
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これより先、メジナに遁れたるメㇰカの回ヘ徒は、マホメットの來れるを知り、急ぎ彼を迎ふ。 |
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その中には、カジジャの甥タルハもありき。 |
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是に於てマホメット及びアブ・ベケルは、旅裝を解きて、彼等の用意し来れる白衣を纒ひぬ。 |
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多くの改宗者は、皆集ひ來りて、新來の預言者を迎ふ。 |
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マホメットは其のメジナに入れる日をば、回ヘの安息日と定めぬ。 |
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その日の朝、彼は歡迎者を集うて、一場の說ヘをなし、その信仰の原理を說明しぬ。 |
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而して駱駝に乘りて、メジナに至る。 |
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ボレイダ・イブン・アル・ホサイブは、七十の騎兵を率ゐて、彼を護衞す。 |
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數人の徒弟は棕櫚の葉の天蓋をその頭にさしかけぬ。 |
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アブ・ベケルはマホメットと相並んで駱駝を驅る。 |
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ボレイダは叫びぬ、『おゝ、~の使徒よ、爾は旗標なしにメジナに入る勿れ。』 |
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斯く言ひて、彼は己が頭帕を脫し、それを槍の端に結んで、風に飜し、預言者の前に高く舉げぬ。 |
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メジナの住民は續々と來りて、預言者を禮拜す。 |
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マホメットはアブ・フュブといふ人の家に居を定む。 |
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その後間もなく、忠實なるアリもメㇰカを出奔し、徒歩にて日夜兼行し、恙なくメジナに着す。 |
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その後數日、アエシャ及びマホメットの家族は皆來りぬ。 |
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預言者の出奔は、回ヘ徒の最も~聖視するもの、彼等は其のメジナに入れる日を紀元として曆を作れり。 |
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そは基督紀元六百二十二年に當る。 |
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メジナの回ヘ徒 |
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マホメットは、間もなくメジナに於て多數の信徒を造るを得たり。 |
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その信徒は二ッに大別せらる。 |
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一はメㇰカより遁れ來れる者、二はメジナの住民なり。 |
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前者をモハドジエリン即ち出奔者と云ひ、後者をアンサンリン即ち助成者と云ふ。 |
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マホメットは茲に禮拜堂を建設せんとせり。 |
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その敷地には棗の樹の繁れる墓地を選びぬ。 |
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彼が此の市に入れる時、其の乘れる駱駝が、此の墓地に對して跪けるを以てなり。 |
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墓は他に移されぬ。 |
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極めて質素なる禮拜堂は軈て立ちぬ。 |
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マホメットは自ら其の建築の手助けをなせりと云ふ。 |
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此の禮拜堂は、後世壯麗に擴大されしかど、尙ほ『預言者の禮拜堂』として~聖視せらる。 |
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マホメットの骸骨は、今も尙ほこの禮拜堂に安置せらると云ふ。 |
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マホメットは此の禮拜堂にて、說ヘをなし、又祈禱を献げぬ。 |
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そのヘふる所は、尙ほ平和にして仁慈~には敬虔、人には謙遜なれと云ふにありき。 |
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愛のヘ |
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當時マホメットの說ヘせる愛のヘとして傳はれるものは左の如し。 |
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~は地を造れる時、地を堅固にせんために、之を震動して山を造るに至りぬ。 |
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天使は尋ねぬ、『おゝ~よ、爾の創造せるものも中、山よりも强きものありや。』 |
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~は答へぬ、『鐡は山よりも强し。鐡は山を壞る。』 |
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然らば爾の創造せるものゝ中、鐡よりも强きものありや。』 |
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『然り、火は鐡よりも强し。火は鐡を熔す。』 |
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『爾の創造せるものゝ中、火よりも强きものありや。』 |
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『然り、水なり。水は火を消す。』 |
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『おゝ主よ、爾の創造せるものゝ中、水よりも强きものありや。』 |
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『然り、風なり。風は水を壓し、之を乾す。』 |
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『然らば、~よ、風よりも强きものは何ぞや。』 |
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『然り、施物をなす善人なり。彼は右の手のなせることを左の手に知らしめず。故に萬物を壓服す。』 |
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彼はこの愛の内に、凡ての親切を包含しぬ。 |
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如何なる善行も悉く愛なり。 |
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爾が兄弟の面を見て微笑するも愛なり。 |
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盲人の手引をなすも愛なり。 |
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途上にある石や荊棘を移すも愛なり。 |
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渴ける者に水を與ふるも愛なり。 |
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『來世に於ける人の眞正の富は、現世に於て他人になせる善なり。 |
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人の死せる時、其の有せし財產を奈何ともする能はず。 |
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然れども天使は墓に於て彼を吟味し、如何なる善行を爾は遺せるやと問ふべし。』 |
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『おゝ預言者よ』と徒弟の一人は言ひぬ。 |
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『余の母は死せり。余は母の靈を慰むるために、如何なる施物をなすべきや。』 |
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『水』とマホメットは甞て沙漠にて渴せることを想ひ出して言ひぬ。 |
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『母のために井戶を掘れ、而して渴ける者に水を與へよ。』 |
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その人は母の名を以て井戸を穿ちぬ。 |
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而して言ひぬ、『この井戶は我が母のためなり。その報償は母の靈に及ばん。』 |
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舌の愛も亦要用なるものなり。 |
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アブセライヤといふ人、マホメットに向ッて善行の大なる律法を問ひぬ。 |
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彼は答へて曰く、『如何なる人をも惡しさまに言ふ勿れ。』 |
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此の時よりしてアブセライヤは、決して人を罵詈する如きことなかりしといふ。 |
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アエシャとの結婚 |
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マホメットは、カジジャ逝きしより、サウダを容れて妻とせしかども、其の愛に飽き足らざりき。 |
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彼は尙ほ美コある女性の愛を要求しぬ。 |
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彼は一日徒弟オマァに言ひて曰く |
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『おゝオマァよ、男子の財寶の最上なるものは、~の命令を行ひ、夫に隨ひ、夫を樂ましむる有コの婦なり。 |
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夫は妻の心身の美をスんで尊敬し、妻は夫の命ずるまゝに之に隨ふ。而して夫の家に在らざる時は、妻は其の財產と名譽とを保護す。』 |
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斯かる缺陷ある心を以て、マホメットは眼を許嫁の妻アエシャに注ぐ。 |
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許嫁の時よりこゝに二年、今やアエシャは九歲の乙女となりぬ。 |
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女性の花は熱帶地にて早く綻ぶとも、猶ほ稚き蕾にてありき。 |
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然れどもマホメットとアエシャとの合卺の式は、メジナに到着後數月にしていと質素に擧げられぬ。 |
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結婚の晩食は牛乳にてありき。 |
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アリとファチマの結婚 |
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其の後間もなくマホメットの娘ファチマは、忠實なる徒弟アリと結婚するに至りぬ。 |
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ファチマは芳紀十五六歲、花も耻らふ美人にして、 |
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亞剌此亞の傳記者の記す所によれば、アラア~が地上を祝せんと下せる四人の完全圓滿なる女性の一人なりき。 |
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アリの年齡は廿二歲なりき。 |
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亞剌比亞の傳記者は云ふ、天地は比の幸なる婚禮に對して祝意を表しぬ。 |
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メジナは祝賀の聲に反響し、燈火を以て煌々と輝き渡り、大氣は馥郁たる香氣に充ちぬ。 |
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婚姻の夜、マホメットが其の娘を新カに導くや、~は天使の群を送りて、彼女に伴はしめぬ。 |
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ファチマの右側には、天使長ガブリエルあり、左にはミカエルあり、七万の天使は其の後に隨ふ。 |
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而して終夜新カ新婦の住居を護れりと。 |
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マホメットの日常生活 |
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マホメットの日常生活は決して其の徒弟に勝らざりき。 |
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アエシャは後年それに就いて語りて曰く |
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『一個月の間、我等が食物を調理するために火を焚けること一日もなし。 |
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我等の食事は他より食物を贈り來るにあらずんば、棗と水とに過ぎぎりき。預言者の家族は二月續けて小麥の麵麭を得ることなからき。』 |
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實にマホメットは日常棗と大麥の麵麭と、牛乳と蜜を食するのみなりき。 |
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彼は其の部屋を掃除し、火を焚き、衣服を繕ひぬ。 |
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彼は誠に己が下僕を兼ねぬ。 |
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二人の妻は禮拜堂近くに各その家を有しぬ。 |
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彼は順番に其の家に赴きしかど、アエシャは常に彼が寵愛を一身に集めぬ。 |
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然れども、マホメットは亡妻カジジャの事を決して忘れしことなく糟糠の妻として死に至るまで彼女を記念しぬ。 |
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うら若きアエシャの美は、預言者の心を占領せしかども、然も彼が亡き妻は對する深き愛情を消す能はざりしなり。 |
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一日アエシャは彼が懷しき回想に耽るを見て嫉ましく想ひぬ。 |
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『おゝ~の使徒よ。』と妙齡の美人は怨じぬ。 |
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『カジジャは年ふけてありしにあらずや。アラアは彼女の代りに一層善き妻を卿は與へたまへるならずや。』 |
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『決して然らず』とマホメットは正直に眞情を吐露しぬ。 |
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『決して~は一層善きものを與へたまはず。余が貧しかりし時、彼女は余を富ませり。 |
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余が虛言者と難ぜられし時、彼女は余を信ぜり。余が世人より全く反對されし時、彼女は余に對して常に眞實なりき』 |
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コーランの編輯 |
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マホメットは、メㇰカに出奔後、其の默示せられし思想を口授して之を筆記せしめぬ。 |
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そはコーランと名づけらる。 |
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『讀まるべきもの』の義なり。 |
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然れども其の完全に編輯されしは、マホメットの死後に於てなりき、回ヘ徒のコーランを尊重するや、基督ヘ徒の聖書に於けるよりも强し。 |
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そは凡ての律法、凡ての道コの標準なり。 |
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彼等はコーランを以て人生の行路を照らす光明となせり。 |
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あらゆる審判は是に依ッて決せらる。 |
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回ヘ徒は今も尙ほ之を研究するに餘力を遺さず。 |
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千二百七十餘年の間、この書は一瞬時も絶え間なく讀みつゞけられ、亞剌比亞人の肺腑は徹底せるなりき。 |
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第六章 信仰の戰 |
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信仰の武器としての劍 |
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今や吾人はマホメットの生涯の一大轉期に到着しぬ。 |
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これまで預言者は忍耐と心勞とを以て眞理の種を播き來れり。 |
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『右の頰を擊たれなば、左の頰を向けよ』との基督の聖訓はマホメットの正に實行せる所なりき。 |
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されど彼は今や此の基督の聖訓より岐れて、雜物を其のヘ理に混ずるに至言れり。 |
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マホメットの生來の氣質は、終りまで忍ぶには餘りに短氣なりき。 |
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柔和なる忍耐の十三年、決して短しとせず。 |
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而して獲し所のものは迫害と凌辱なり。 |
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無智なる者、破廉耻なる者の心を呼醒すに、効能の迅速なるは鐡拳は勝るものなし。 |
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これ多くの識者か、社會に處して感ずる所なり。 |
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マホメットも今や深く之を悟りぬ。 |
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基督の如く常に柔しく暴逆なる俗人に對せんか。 |
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亦基督の如く十字架に、釘つけらるゝやも計り難し、若かず自ら劍を以て起たんにはとはマホメットの當時の心狀なりしならん。 |
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彼は自ら先んじて他を制せんとせり。 |
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マホメットは、之に就いて曰く |
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『種々なる預言者は、種々なる性能を以て~より送られぬ。 |
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モーセは寛仁と先見の明とを與へられ、ソロモンは智慧と威嚴と光榮とを與へられ、耶蘇基督は義と全智と權力とを與へらる。 |
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基督の義は行爲を純潔にし、其の全智は人心の秘奧を洞見し、其の權力は奇蹟を行へるを以ても見らるべし。 |
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されど斯かる性能は一として確信を强むるに足らざりき。 |
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モーセ、基督の奇蹟を以てすら、不信者を濟度する能はざりしにあらずや。 |
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故に我は最後の預言者として劍を以て送られぬ。 |
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我が信仰を宣傳する人々は、一切議論するに及ばず、律法に服從するを拒絶する者は、凡て之を殺せ。 |
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眞正の信仰のために戰ふ者は、成敗に關せず、確に光榮ある報償を受くべし。』 |
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彼は附言して曰く『劍は天國と地獄との鑰なり。 |
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信仰の故のために劍を拔く者は、此の世の利uを以て報償せらるべし。 |
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流されたる血の滴、耐へ忍ばれし艱苦危難は、斷食と祈禱とにまされる一層の功勲として登錄せらるべし。 |
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戰場に倒れし者の罪は直ちに抹殺せられ、聖樂園に運び往かれ、そこにKき眼の乙女の腕に介抱せられて、永遠の歡樂を供せらるべし。 |
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斯くして愛の宗ヘは瞬く間に劍の宗ヘに代れるなりき。 |
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最初の拔劍 |
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マホメットの初めて劍を拔けるは、欝勃たる憤怒の抑へ切れざる結果なりしが如し。 |
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相容れざる仇敵コレイッシユ種族に屬せる隊商を途中に要擊せるを見ても、彼が欝憤に堪へざる爲めなりしを察すべし。 |
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其の要擊せる隊商に何等の咎ありしにあらず、袈裟を斷りて坊主に對する怨の幾分を霽らさんとせしなり。 |
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マホメットは三人の從者を率ゐて一方に向ふ。 |
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アブダラ・イブン・ジヤシュといふ者、八名の決死の徒を伴うて南亞剌此亞に通ずる路に向ひぬ。 |
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時はラドヤブの聖日にて、暴行爭鬪の嚴禁せらるゝ折にてありき。 |
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マホメットは獲物なく引返せしかども、 |
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アブダラはメㇰカとタエフの間、甞てマホメットが~仙に會へるナクラの谷に赴き、コレイッシユ種族の隊商來るを要擊し、一人を斃し二人を捕虜となしぬ。 |
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他の者は遁れ去りぬ。 |
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斯かる暴擧の風評メジナに傳はるや、人心愕然たりき。 |
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聖日の禁戒を破壞せりとの批難はマホメットの頭上は振り懸かりぬ。 |
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人望は地に落ちんとす。 |
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恐惶せる預言者は、罪をアブダラ一人に歸して、漸く其の責を免るゝを得たりき。 |
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ベデルの戰 |
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出奔の第二年、マホメットは宗敵の首魁アブ・ソフィアンが三十の騎兵、一千の駱駝を率ゐて、シリアの貿易より歸途にあることを聽き知れり。 |
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其の通路はメジナ領に在り。マホメットは其の歸路を遮らんと決心しぬ。 |
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彼は三百四十のヘ徒、七十の駱駝を率ゐて出發す。 |
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マホメットはメㇰカの大道を經て、紅海の方に向ひ、ベデルの小川流るゝ豊饒なる谷に入り、そこに敵の隊商を待てり。 |
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アブ・ソフィアンはマホメットの己を要擊せんとすと聽き、使者をメㇰカに急派して援軍を求む。 |
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使者の息つきあへずカアバに着するや、アブヤールは屋根は登り、警報の鐘を撞きぬ。 |
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メㇰカ全市は混亂せり。 |
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アブ・ソフィアンの妻ヘンダは勇婦にして、父オザ、兄弟アルワリド等に說いて、夫の危急に赴かしむ。 |
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軈つ一百の軍馬、七百の駱駝を率ゆる有志はシリア街道の方に急ぎ往きぬ。 |
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七十歲の老勇者アブヤール先導たり。 |
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アブヤールの軍勢馳せ參ぜる間は、アブ・ソフィアンの一行はu々近づき來れり。 |
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アブ・ソフィアンは、途上マホメットの伏兵を警戒して至りしが、遂に其の足跡を見出しぬ。 |
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路傍に棗の核の投げられあるを見て、マホメットの軍勢のそこを通過せるを知れるなりき。 |
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メジナに產する棗は其の核小さきを以て有名なればなり。 |
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マホメットの過ぎれる行路を探知して、アブ・ソフィアンは他路を取る。 |
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然れども猶ほ紅海の岸を沿うて軍勢を進めたり。 |
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彼は又使者を派して、隊商の安全にメㇰカに還り得ることを報じぬ。 |
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使者はアブヤールの行軍に邂逅す。 |
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隊商安全なりと聽き、軍勢は歩を停めて今後の行動を議す。 |
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或は前進してマホメットを懲罰せよといふあり、或は軍を返すことを主張しぬ。 |
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然れどもマホメットの軍勢三百の上に出でざるを知るや、戰を交へんとするに至りぬ。 |
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マホメットの斥候は、敵兵の近づけるを報知しぬ。士氣ためは沮喪す。 |
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マホメットは彼等を慰撫し、~は容易なる勝利を約束したまへることを告げぬ。 |
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斯くして回ヘの軍は、前に水を控へたる岡の上に陣を張る。 |
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されど敗軍の際、メジナは遁れ還る便宜に駱駝の用意をなせり。 |
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敵の先鋒は谷に侵入しぬ。 |
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喉渴せるために、小川の流を掬はんとて急げり。 |
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マホメットの伯父ハムザは部下を率ゐて、之を迎へ、其の隊長を殺せり。 |
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敵の主力は今や嚠喨たる進軍喇叭の聲に應じて近づけり。 |
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三人の勇者は進み出で、回ヘ徒の最も膽勇ある者に戰を挑みぬ。挑戰者はアブ・ソフィアンの岳父オザ、及びオザの子アルワリドと、オザの弟シヤイバなり。 |
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是に於てマホメットの伯父ハムザ、アリ、及びオバイダ・イブン・アル・ハレトは之に應ず。 |
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壯烈なる戰鬪の後、ハムザとアリは各々其の敵を斃し、オザのために痛く傷を負へるオバイダを救けんとせり。 |
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衆寡敵せず、オザは刃の下に斃れしかど、オバイダも亦傷に死しぬ。 |
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戰端は鬩かれぬ。 |
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味方は寡、敵は衆、回ヘ徒は岡を下らず、弓矢を以て敵を惱ませり。 |
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其の間マホメットはアブ・ベケルと共に尙ほ營にあり、熱心に~に祈るなりき。 |
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鬨の聲騷然たり。 |
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マホメットは恍然として醉へるが如く、~幻象に現はれて勝利を約束したまへるを感じぬ。 |
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營より驅け出て、塵を一握して敵軍目かけて之を空中に撒きちらし、『彼等の眼を闇ませしめよ』と叫べり。 |
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斯くして味方を鼓舞して曰く、『戰へよ、恐るゝ勿れ。聖樂園の門は劍の蔭にあり。信仰の戰に斃るゝ者は、入るを許さる。』 |
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戰闌なる時、アブヤールは激烈なる爭鬪の中に馬を驅りしが、忽ち曲劍を以て腿を擊たれて地に倒る。 |
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アブダラ・イブン・マサウドは、彼の胸に足を懸けて、其の首を刎ねたり。 |
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是に於てコレイッシユの軍勢は崩壞しぬ。 |
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七十人は戰場に死し、七十人は捕虜となれり。回ヘ徒の戰死者十四人、其の名は殉ヘ者として記錄せられぬ。 |
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斯くして回ヘの軍は勝を獲たり。 |
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劍の宗ヘは成功の第一歩に進めり。 |
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娘ロカイアの死 |
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マホメットは、掠奪物と捕虜とを以てメジナに凱旋す。 |
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されど其の勝ち誇れる心は、一家の不幸に傷つけられぬ。 |
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愛する娘ロカイアは死せるなりき。 |
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勝利の報知をメジナに齎らせる使者は、市の門に於て葬式の行列に邂逅しぬ。 |
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預言者の悲嘆は言はん方なし。 |
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されど其の愁嘆は、この時までメㇰカにありし娘ザイナブの到着せるために、稍々慰められぬ。 |
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『辨當包みの戰』 |
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ベテルの敗戰に於て、アブ・ソフィアンは、劍を拔かずして其の隊商を率ゐ、恙なくメㇰカに還りぬ。 |
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メㇰカは寂寞として笑聲微かなり。 |
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妻のヘンダは父、伯父、兄の死を痛みて、日夜悲嘆に沈むなりき。 |
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ヘンダは敵ハムザとアリを殺して、讐を復したまへと夫アブ・ソフィアンに取縋るなりき。 |
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是に於てアブ・ソフィアンは、二百人の騎兵を率ゐて發す。 |
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騎兵は各々其の鞍の前に糧食の包を結べり。 |
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アブ・ソフィアンの將に發せんとするや、マホメットと面接するまでは、頭に膏そゝがず、髯に香水をぬらず、女性を近づけざることを誓ひぬ。 |
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メジナの門を距る三哩にして、彼は預言者の徒弟二人を殺し、野を荒し、棗の樹を燒きぬ。 |
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マホメットは、敵の勢激甚じと聽き、軍の先頭に立ッて之を迎ふ。 |
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アブ・ソフィアンはマホメットの軍の堂々たるに驚き、その誓言を忘れ、相近づかざるに先んじて、馬銜を回らして遁れぬ。 |
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其の軍勢は崩れ、兵糧の包を投げ出して、遁れ去れり。 |
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時人之を稱して『辨當包みの戰』といふ。 |
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預言者と刺客 |
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マホメットは、一日陣營より離れて、樹蔭に假睡してありき。 |
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人の聲に醒むれば、敵の勇者ジュルツルは劍を拔いて前に立てり。 |
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刺客は叫びぬ、『おゝマホメットよ、今爾を救くる者は誰ぞや。』 |
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『~なり』と預言者は答ふ。 |
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泰然たる確信に喫驚したるジュルツルは、劍を落しぬ。 |
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マホメットは直ちに之を拾ふ。 |
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『今爾を救くる者は誰ぞや、おゝジュルツルよ』と預言者は問を反しぬ。 |
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『吁、誰もなし。』と勇者は答ふ。 |
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『然らば、敵を愛することを我より學べよ』と言ひて、マホメットは其の劍を返す。 |
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勇者の心は壓服せられぬ。 |
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マホメットを~の預言者なりと認め、信仰を懷くに至りしといふ。 |
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マホメット主權を掌握す |
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ベデルの戰爭は全くマホメットの地位を變へぬ。 |
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彼は今や搗蛯キる勢力の主導者となれり。 |
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多くの種族は草の風に靡くが如く新宗ヘを受け容れたり。 |
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メジナ市はマホメットに與ふるに君主の權を以てす。 |
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是に於て預言者は律法家君主として人民を支配することとなりぬ。 |
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預言者にして君主なる彼は、正にプラトーの理想を實現したるなりき。 |
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猶太人に對する憎惡 |
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マホメットは君主として、メジナに住へる猶太人に對する憎惡の念禁ぜんと欲して禁ずる能はざりき。 |
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此の頑强なる人種は、マホメットの宗ヘに改宗せざるのみならず、又之を嘲笑罵詈したるを以てなり。 |
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猶太の女詩人アスマは諷詩を作りて新信仰を難じぬ。 |
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そのため彼女はマホメットの狂熱せる徒弟の殺す所となりぬ。 |
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アブ・アフハクといふは百二十歲の齡に達せる猶太人なりしが、同じく預言者を諷刺せるために死に處せられぬ。 |
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その頃マホメットの激怒を揩ケる一事件起りぬ。 |
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亜剌此亞牧民の一少女あり、一日猶太人の住へる街道に乳を運び往きぬ。 |
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甞て少女の無雙の美容を聽き知れる猶太の年は、彼の女の面帕を取らしめんとせり。少女はそれを拒みぬ。 |
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少女は年若き鍛冶屋の店の前の腰掛に坐り居たりしが、鍛冶屋は密かに其の後より彼の女の面帕の端を腰掛に結び付けぬ。 |
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されば少女の起たんとするや、面帕は脫し、その美しき面は露出せられぬ。 |
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之を見たる猶太の年は大聲歡呼せり。 |
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少女は耻かしさに面赧めて其の中に立てり。 |
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其の時そこに居あはせたる回ヘの一信者は、少女の辱かしめられしを怒り、劍を拔いて鍛冶屋に切りつけぬ。 |
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然れども却ッて猶太の年等に殺されたり。 |
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是に於て其の近隣に住へる回ヘ徒と猶太人とは、相敵視するに至れり。 |
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マホメットは一時此の騷擾を鎭靜せしかども、猶太人の到底改宗せざるを見、其の財產を沒收して、シリアに追放せり。 |
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追放せられたる猶大人の救は七百人にてありき。 |
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沒收せる武器 |
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猶太人より沒收したる武器は、信仰の戰をなすに大なる利uとなれる。 |
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マホメットの有に歸せる武器の中、三ッの劍あり。メッドハム(銳刀)アル・バッター(利刀)、ハテフ(死刀)是れなり。 |
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二本の名槍あり、アルモンタリ(分散者)、アル・モンタヰ(破壞者)といふ。 |
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又フハダといふ銀の鎧あり。こはダビデが、巨人コリアテの挑戰に應ぜる時、王サウルの彼に餞別せしものなりといふ。 |
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ヘンダの復讐戰 |
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アブ・ソフィアンの妻ヘンダは、ベデルの激戰の怨恨骨に徹せるものから、夫を慂慫し、再び軍を起さしむ。 |
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アブヤールの子アクレマも亦父の死を復讐せんと欲せり。 |
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出奔の第三年、アブ・ソフィアンは三千の軍勢を率ゐてメジナに向ふ。 |
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女丈夫ヘンダは、ベデルの戰にて殺されし者の族十五人の重立てる女子と共に軍に從ひぬ。 |
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或は死者のために悲嘆し、或は銅鈸を鳴らし、軍歌を唱うて士氣を皷舞せり。 |
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マホメットの母アミナの埋葬せらるゝアブアの村落を過ぎれる時、ヘンダは其の墓を發かんとせし程なりき。 |
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マホメットはコバの村にありしが、急報に接して、メジナに還りぬ。 |
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其の兵を閲するに僅かに千人、投槍を有する者二百人、騎兵は唯二人のみ。 |
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衆寡敵せざるを知れる人々は、憂慮の色を示せり。 |
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市の墻壁の裡に敵を邀へ擊たんとする說多きを占めぬ。 |
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マホメットは曰く、『一度拔ける劍を鞘に納むるは、預言者のことにあらず。預言者たるものは、一度前進せんか、~の許しなくんば、敵に背を見せざるなり。』 |
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是に於てか、マホメットの軍は出發し、メジナより六哩、オゾッドの小山に陣を取れり。 |
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巖石重疊せる要害の地なり。 |
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マホメットは甲冑を穿てり。 |
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其の劍に銘して曰く、『恐怖は耻辱を齎らす。名譽は前に在り。卑怯は運命より人を救はず。』 |
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彼は自ら戰場に奮鬪することを欲せざりしを以て、此の劍を無雙の勇士、アブ・ジュドヤナに與ふ。 |
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勇士は此の劍の刃あり、尖端ある間は、之を以て奮鬪せんことを誓へり。 |
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マホメットは例の如く小高き岡にありて戰場を瞰視して命令を下す。 |
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コレイッシユの軍勢は、衆を恃み、軍旗を風に吹き靡かせて、小山の麓に押し寄せぬ。 |
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アブ・ソフィアン中軍に將たり。 |
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左翼はアブヤールの子アクレマ將となり、右翼はカーレッド・イブン・アル・ワレッド將となれり。 |
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其の進軍につれて、女丈夫ヘンダは、伴へる女子と共に銅鈸を鳴らし、勇ましき軍歌をうたふ。 |
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マホメットは、尙ほ兵を動かさゞりき。 |
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射手も亦一矢を放たず。 |
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軈てアクレマの率ゆる敵の左翼、側面よりマホメットの軍を撃たんとするや、射手一時に矢を放ッて之を退けぬ。 |
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是に於てハムザは回ヘ徒の鬨の聲『アミット!アミット!(死よ死よ)を連唱して敵の中軍を衝く。 |
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アブジュドヤナは右手にマホメットの劍を揮ひ、頭には『救助は~より來る、勝利は我等のものなり』と記せる紅の鉢卷をなして突進せり。 |
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味方の勢に敵は逡巡しぬ。アブジュドヤナは獅子奮迅の勢を以て、敵を切るまくり、『~の劍よ、預言者の劍よ』と叫ぶなりき。 |
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敵の旗手七人之が爲めに斃る。 |
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軍は亂れぬ。 |
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回ヘの軍にては、勝利の安全なるを想へるものからマホメットの命令を忘れ、射手は其の位置を動いて、敵を追ひぬ。 |
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その間に敵將カーレッドは馬を躍らして部下と共に其の位置を占領し、後より回ヘの軍を攻む。 |
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回ヘの軍は爲めに混亂す。 |
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敵の騎兵オビッジ・イブン・チヤラフは、騒擾の中にマホメットを索め、『マホメット何處に在る。彼生ける間は安全ならず』と叫ぶなりき。 |
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是に於てマホメットは從卒より投槍を取り、之をオビッジに擲ちぬ。 |
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槍はその喉に的中して、オピッジは馬より落ちて死せり。 |
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亂戰の際、石飛び來りてマホメットの口に中り、唇を切り、前齒を折りぬ。 |
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又矢に其の面を傷つけられき。 |
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ハムザはベデルの戰にて其の殺せる者の僕に復讐の槍を投げられて斃れぬ。 |
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マホメットの旗手モサァブも倒れしかば、アリは~聖なる軍旗を持ち、高く戰場の暴風に之を飜せり。 |
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モサァブの人相マホメットに似よれるを以て、マホメット死せりとの叫聲は、敵中より起りぬ。 |
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敵軍ために奮ふ。 |
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回ヘの軍は失望に崩れんとす。 |
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マレクの子アラブは、溝にはれる負傷者中にマホメットの居るを見、其の甲冑を見知れるものから、 |
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『おゝ信者等よ~の預言者は尙ほ生けり。救けよ、救けよ。』と叫び、 |
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マホメットを引起して、小山の絶頂の岩に運び、回ヘの軍は死力を盡して之を護る。 |
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然れども敵軍にてはマホメット旣に死せりと想ひ、軍ををさめて凱歌を奏せる。 |
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敵軍退ける時、マホメットは岩を下りて、戰場の跡を見、伯父ハムザのむごくも切り刻まれしを見て、斷膓の想をなせる。 |
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彼は懇ろに戰死者を弔ひぬ。 |
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マホメットは、戰敗の悲哀やるせなく、メジナにて最も勢力あるオミヤの娘ヘンダを容れて妻となし、以て慰安を求めぬ。 |
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ヘンダは齡二十八、美はしき寡婦にてありき。 |
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ザイド其の妻を獻ぐ |
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マホメットは、宗敵多かりしと同時に、忠實なる敬虔の友も多からき。 |
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ザイド・イブン・ホレスが其の妻を獻げし如きは、最も著しき例なり。 |
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吾人をして批評の眼光を放たずして、只その事實を記せしめよ。 |
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一日マホメットは、父が子の家に入る如く、自由にザイドの家に入りぬ。 |
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ザイドは在らず、新婚の妻ザイナブのみ家にありき。 |
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彼女は面帕を取り、衣服を寛げてありき。マホメットは其の美に讃歎の辭を發しぬ。彼女は答へざりき。 |
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されど夫の歸るや、有りし事共を語る。 |
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ザイドは預言者が我が妻の美に心を捕はれしを見、急ぎマホメットの許に往き、其の妻を離緣して之を獻げんと言ひぬ。 |
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預言者は不條理なればとて之を拒けぬ。 |
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されどザイドは熱心に請うて已まざりき。 |
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彼は美しき妻を愛せり。然れども其の預言者に對する尊敬は、己が愛情を犧牲にして顧みざるほどなりき。 |
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ザイドの熱誠に、マホメットは遂に感謝して之を受けぬ。 |
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マホメットとザイナブの婚姻は、他の場合にまさりて盛大に擧行せられぬ。 |
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凡て來る者は悉く招せられ、羊と小羊との肉は饗應せられぬ。 |
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されど十分に飮み且つ食へる者は、歸りに臨んで、此の結婚を耻づべきものと罵れりといふ。 |
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第七章 ヘ勢の發展 |
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ベニ・モスタレクに遠征 |
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マホメットのオホドに敗戰するや、多くの種族は彼に反抗せしが、中にもベニ・モスタレクは有力なる敵なりき。 |
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此の種族は紅海の岸より五哩の間を占むるケダイドの領地に反抗の氣焔を高めりマホメットは兵を率ゐて之を遠征す。 |
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其の急激の來襲は少からず敵を驚かしぬ。 |
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此の種族の長アルハレスは、戰端の開かるゝや、間もなく矢に中りて斃れしかば、其の軍忽ち潰ゆ。 |
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捕虜二百人、羊五千頭、駱駝一千頭は、此の容易なる勝利の結果なりき。 |
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捕虜の中にアルハレスの娘バルラあり。 |
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同族の年の妻なり。 |
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捕獲品を分配せる時、バルラはタベットといふ者の手に落ちぬ。 |
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タベットはバルラより莫大の償金を獲んとせり。 |
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バルラは之をマホメットに訴ふ。 |
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マホメットは彼女を見て美しとし、償金をタベットに遣はし、バルラを容れて己が妻となしぬ。 |
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アエシャの寃罪 |
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マホメットは、軍中に妻の一人を伴ふ習慣にてありき。 |
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そは鬮を以て選ばれぬ。此の時鬮はアエシャに中れる。 |
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アエシャは帷幕にて蔽はれたる轎に乘り、駱駝の背に運ばれぬ。 |
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一人の從者之に伴ふ。 |
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歸途軍勢の行を停めし時、アエシャの從者は、其の轎の空虛なるを見出せり。 |
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愕然その行衞を尋ねんとせし時、アエシャは年サフワンといふ者に導かれたる駱駝に乘りて來りぬ。 |
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これが爲めアエシャはサフワンと姦通せりとの風評立つに至りぬ。 |
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此の風評はアエシャを嫉める他の妻に依ッて熱心に悴へらる。 |
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ハサンといふ詩人は、諷詩を作りて之を歌へり。 |
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アエシャは斯かる風評を耳にせし前に病に冐されぬ。 |
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されば預言者が眞面日に沈默せることの何の爲めなるかを知らざりき。 |
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病床より起きるや、初めて此の風評を耳にし、其の無垢なることを辯解せり。 |
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アエシャは出發の際、頸環を見失へるを發見し、それを搜すに手間とりて、遂に轎に乘りおくれしが、 |
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折よく後陣の一兵卒サフワンに救はれしなりき。 |
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こはサフワン自らも證言せし所、疑惑は氷解せし如くにして、未だ融けず。 |
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此の問題に就いて爭論二ッに分れ、辯難甚だ喧びすし。 |
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アエシャは己が住所に蟄居し、食を斷ちて日夜泣き悲しみぬ。 |
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マホメットは一個月の間アエシャと居を別ちしが、彼女に對する愛は堪ふべくもあらざりき、 |
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彼はこれに就いてアリに相談す。アリは斯かる出來事は、人世に屢々あることなりと諷しぬ。 |
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されどマホメットは~の默示に依りて、アエシャの誠に冤罪なることを悟り、彼女を赦せり。 |
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敬虔なるアリは、直ちに其の默示を信じて再びアエシャを疑はざりしが、アエシャはこれよりして |
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アリに怨を含み、深く憎惡を胸に潜め、アリの將來に大なる損害を與へしこそ、女心の是非もなけれ。 |
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塹溝の戰 |
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オホドの戰後コレイッシユ種族の長アブ・ソフィアンは、ガタフハンの亞剌此亞種族を始め、猶太人をも糾合して、メジナに來襲する準備怠りなかりき。 |
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マホメットは之を聽き、市の墻壁をめぐりて深き塹溝を穿ちぬ。其の工事中になせるマホメットの幾多の奇蹟は、世に傳へらる。 |
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或は一籠の棗を以て衆人を飽かしめしと云ひ、或は一頭の燒ける小羊、及び一塊の大麥の麵麭を以て幾千の人を饗應したりしと云ふが如し。 |
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こゝに一ッ趣味深き奇蹟は、彼が鐡鎚を以て岩を撃ちしに、火花飛び散りぬ。 |
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其の火花に依ッて、一方には亞剌此亞全土輝き、他方にはコンスタンチノープルの宮殿見え第三には波斯の王宮の塔照らされぬといふこと是れなり。 |
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是れ將來に於ける回ヘの勝利の兆候をなせり。 |
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此の塹溝は敵の軍勢近隣の小山に現はれし時、辛くも竣成せられぬ。 |
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マホメットは三千の軍勢を率ゐて、塹溝を前に陣を搆ゆ。 |
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アブ・ソフィアンの軍勢は、想ひ設けぬ塹溝に喰ひ留められ、相對峙すること數日。 |
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其の間にメジナに住へる猶太人、敵に內應せること探知せらる。 |
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虎と狼とに板挾みせられたるマホメットは痛く苦しみぬ。 |
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旣にしてアブヤールの子アクレマ、マホメットの亡妻カジジャの伯父アムルは、敵軍より現はれ、塹溝の狹き所を見出し、之を飛越えて戰を挑みぬ。 |
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回ヘの軍より、サアド・イブン・モオード及びアリ之に應じて、一騎打の戰をなせり。 |
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アリとアムルは馬より落ちぬ。アリ上にあり、遂にアムルを殺す。 |
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サアド・イブン・モオードは痛く負傷しぬ。アクレマは恙なく引退せり。 |
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マホメットは塹溝の戰の不利なるを見、戰ふを好まず、反間を放ちて、アブ・ソフィアンと猶太人との同盟を壞らしめんせり。 |
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こは効を奏しぬ。アブ・ソフィアンは、猶太人の不信を疑ふに至れり。 |
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そは金曜日にマホメットを挟撃せんと言ひ送りしに、猶太人は安息日の前日なるを以て從ふ能はざることを答へしに困る。 |
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茲にアブ・ソフィアンの計畫は一頓挫せり。且つや暴風起りて其の野營を荒らせしかば、巳ひなく退却するに至りぬ。 |
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猶太人に對する復仇 |
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マホメットはアブ・ソフィアンと同盟せる猶太人ベニ・カライダに對して、復仇を想ひ立ちぬ。 |
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猶太人は其の城砦を死守すること數日、されど糧食の窮乏に苦しみ、遂に降を請ふ。 |
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マホメットは其の處分をば、塹溝戰にて負傷せるサアド・イブン・モォードに委ぬ。 |
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サアドは痛く傷に惱み居りしが、數人に助けられて審判の座に着けり。猶太人は寛大なる宣告を待ち望めり。 |
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然るに彼は審判の席に坐するや否や、手を擴げて、男子を死に宣告し、女、子供を奴隷にし、財產を勝利者に分配することを言ひ渡せり。 |
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可憐なる猶太人は仰天せり。 |
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されど愁訴することなく、その後コライッドの市場といはれたる所に曳き往かれぬ。 |
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そこには大なる墓掘られてあり。彼等は一人々々その墓に下らしめらる。彼等の君主ホヤ・イブン・アークタブも其の中にありき。 |
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斯くして多くの猶太人は、生きながら埋められ終んぬ。 |
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サアド・イブン・モォードは、十分に腹癒せしたりしかど、間もなく傷のために死せり。 |
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コライダの城砦には、槍、投槍、胴甲、鐙など夥多藏せられ、其の住へる土地には、羊、駱駝の群繁殖せり。 |
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こは人々に分配せられ、其の五分の一は預言者の所有として別に保存せられぬ。 |
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而してマホメットの眼に最も貴き獲物と見られしは、富有なる猶太人シメオンの娘リハナなりき。 |
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彼は此の美しき少女を取りて、妻の數に入る。 |
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マホメットの猶太人に對する此の殘忍なる處置は、彼が生涯の歷史中、最も暗Kなることの一なり。 |
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メㇰカに順禮を企つ |
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マホメットのメㇰカを出奔せるより六年の歲月を經ぬ。 |
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メㇰカは尙ほ~聖なる市として、全亞剌此亞より尊敬せらる。 |
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カアバの~殿は尙ほ民衆の信仰の對象なり。 |
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マホメットは此の~殿と其の宗ヘとを聯結せずんば、全亞剌比亞を改宗せしむる能はざるを看破せり。 |
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さればメㇰカへの順禮を思ひ立ちぬ。 |
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マホメットのメㇰカに來らんとするを知るや其の敵意あるを疑ひ、コレイッシユ種族は、カーレッド・イブン・ワレッドに有力なる騎兵隊を附し、之を途に要擊せしむ。 |
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マホメットは、之を聽き、敵の固守せる途を避けて、他路を取りコレイッシユに使者を遣はして、平和なる談判を乞へり。 |
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其の結果、今後十年間は、毎年三日の間、メㇰカに順禮することを許さるゝに至れり。 |
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條約を締結して、マホメットは無事メジナに還る。 |
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カイバル市に遠征 |
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マホメットは、メㇰカに順禮して、カアバの神殿を拜する能はざりしヘ徒の心を慰めんとて、カイバルに遠征を企てぬ。 |
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此の市は猶太人の住する處、農商の業榮え、有を以て知られたり。 |
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そはメジナの北東五日の旅路の地に位す。 |
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マホメットの軍は、千二百の歩兵二百の騎兵より成れり。 |
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アブ・ベケル、アリ・オマル、その他の徒弟皆隨ふ。 |
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二ッの軍旗を飜す。一は太陽を現はし、一はKき鷲を現はす。 |
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カイバルの豐饒なる領地に入りて、先づ第一に一城を降し、捕獲物を分配す。 |
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而してカイバルの市に進む。其の城砦は巖乘なる岩の上に築かれ、要害いと堅固に見られぬ。 |
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此の城砦の攻擊は、マホメットのなせる最も甚だしき冐險なりき。 |
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彼は强堅なる城壁を見あげて熱心に祈りをなせり。 |
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彼は祈禱を一層嚴肅になさんとて、マンセルといふ磽地を選びてそこに陣を張り、禮拜の場所として大なる岩を之にあてぬ。 |
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彼はカアバの~殿になさるゝ如く、其の岩の周圍をめぐること日に七度なりき。 |
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後年この岩は當時の記念としつ、禮拜堂建てられ、敬虔なる回ヘ徒より大なる尊敬を拂はれぬ。 |
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城砦を包圍せる間に、アリは部下を率ゐて攻擊に赴きぬ。 |
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マホメットは~聖なる旗を彼の手に渡し、『卿こそ、~と預言者とを愛するもの、卿こそ、~と預言者との愛するもの、卿こそ恐れを知らず、敵に背を見せざるものなれ』と言ひぬ。 |
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實にアリは愛すべき性質を有し、慧敏にして熱誠に、不撓の勇氣を有するものから『~の獅子』と仇名せられぬ。 |
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アリは此の際敵の勇者マルハブと一騎打の爭鬪をなして、之を殺せり。 |
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城砦は遂に陷りぬ。財寶は深く隱されてありき。されどそは遂に見出されたり。 |
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マホメットは此の時餓ゑしかば、砦の中にありし小羊の肩の肉を食ひぬ。 |
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初めて之を口にせし時、その昧たゞならざるを感じ、それを吐き出せり。 |
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されど直ちに內臟の苦痛を覺えたり。其の臣下の一人は、之を喉に下せしが、忽ちにして死せり。 |
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嚴しく吟味せるに、アリに殺されたる勇者マルハブの姪にして捕虜となれるザイナブ、之を料理せることを知られぬ。 |
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マホメットはザイナブを面前に曳出せり。ザイナブは隱す所なく、正當なる復讐として毒藥をそゝげることを語れり。 |
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而して曰く『卿まことに預言者ならば、卿は危險より回復すべし。 |
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然れども、卿若し普通の酋長に過ぎざれば、毒に斃れ、我等は卿の暴虐を免るるを得べきなり』 |
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此の時マホメットは、又サフィヤなる猶太の美人を容れて妻となす。 |
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而して其の後間もなくアビシニアより歸り來れる、出奔者の寡婦オム・ハビバをも容れて妻の數に加へぬ。 |
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メㇰカに順禮す |
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コレイッシユとの條約に依ッて、マホメットのメㇰカに順禮することを許されし時は到着しぬ。 |
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彼は數多の軍勢を率ゐて出發す。 |
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犧牲として七十の駱駝を伴へり。 |
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~聖なる市の墻壁と塔とを再び見るを得たる。 |
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彼等の歡喜はげに大なるものにしてありき。 |
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マホメットは、壯嚴なる儀式を以て禮拜を捧げぬ。 |
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其の敬虔の狀を目撃して、改宗せし者も少からざりき。 |
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而して彼は又是に於てアル・ハレスの娘マイムナと婚せり。 |
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こは疑ひもなく政略結婚にてありき。 |
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マイムナは五十一歲の老婦なりき。 |
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彼は此の結婚に依ッて二人の有力なる改宗者を獲たりき。 |
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一人はマイムナの甥カーレッド.イブン・アル・ワレッドにして、オホドの戰にマホメットの軍を惱ませる勇士なり。 |
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彼は今や回ヘ徒の英傑の一人に數へられ、『~の劍』と命名せらる。 |
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他の一人はカーレッドの友アムル・イブン・アルアースと云ひ、甞て詩を作りてマホメットを攻擊せる者なり。 |
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ミュタの戰 |
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マホメットのシリアに遣はせる使者は、エルサレムの東方三日の旅路を隔たれるミュタの市にて殺されぬ。 |
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マホメットは三千の軍勢を送りて之を征せんとす。 |
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美しき妻ザイナブを獻ぜるザイドを擧げて司令官とす。 |
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アブ・タレブの子ヤァル、アリの弟、詩人アブダラ、新改宗者カーレッド等之に副たり。 |
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ザイドの命令は、急激に進軍し、ミュタの市を驚愕せしめ、寛容なる處置を以て新信仰に服せしめんとするにありき。 |
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軍勢は秘かにメジナを出發す。 |
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其の途上羅馬、希臘、亞剌此亞同盟軍の彼等を待てること知られぬ。 |
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士氣は沮喪せんとす。 |
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或は行を停めてマホメットよりの命命を待たんと云ふ者あり。 |
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詩人アブダラは叫んで曰く、『我等は信仰のために戰ふ。我等斃るれば、天國は我等の報償なり。進めよ、勝利か、殉ヘは我等を待たり。』 |
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衆皆詩人の熱誠に動かされぬ。前進して敵に對す。 |
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戰端開かるゝや、ザイドは致命傷を受く。 |
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~聖なる軍旗の其の手より落つるより早く、ヤァルは之を取りてく翻せり。 |
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敵は此の軍旗を目かけて主力を集注す。 |
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ヤァルは死力を盡して之を守れり。軍旗を握れる左手の斷たるるや、彼は右手にて之を保つ。 |
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右手の斷たるゝや、出血せる兩腕にて之を抱へぬ。 |
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ヤァル倒るゝや、詩人アブダラ之に代る。 |
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アブダラ例るゝや、新改宗者カーレッドは軍旗を受取り、高く之を飜し、敵を薙倒して重圍を逃る。 |
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夜に入りて戰鬪は止めり。 |
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今やカーレッドは一軍の司令官と認められぬ。 |
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敵軍退却せしかば、彼も亦軍を班せり。 |
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歸るに臨みて、ヤァルの死骸を運びぬ。 |
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メジナの市は悲哀と啼泣もて軍を迎ふ。 |
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マホメットはヤァルの死骸を見て、慟哭せるなりき。 |
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メㇰカの占領 |
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マホメットは、沖天の勢を以て亞剌比亞全土に臨めり。 |
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其の將士の武勇皆用ゆるに足る。彼等は戰爭を遊戯となせり。 |
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彼は是に於て民衆の信仰の對象たるメㇰカを占領し、カアバの~殿を我が有に歸せんとせり。 |
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マホメットは一萬の軍勢を率ゐて秘かに出發す。 |
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參謀たるオマアは寂寞たる山路を經て軍を導けり。 |
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途上マホメットは伯父の一人アラバスが、家族を伴うてメㇰカより來れるに遇へり。 |
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彼は信仰の旗下に參せんとせるなり。 |
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マホメットは厚く彼を遇す。 |
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軍勢は斯くしてメㇰカに近きマール・アザランの谷に達す。 |
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時は草木も睡る夜半なりき。 |
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アラバスはマホメットの軍の威武堂々たるを見、コレイッシユにして降を請はずんば、必ず全滅せらるべきことを心配し、窃にマホメットの騾馬に跨りてメㇰカに降を勸めんとて出發せり。 |
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陣營を出づるや、間もなく人馬の響を聽けり。 |
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斥候隊は二人の捕虜を伴れ來るなりき。 |
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近づき見れば、アブ・ソフィアンと其の部下の一人にあらずや。 |
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アブ・ソフィアンは劍にちぬらずして、マホメットの掌中に歸せり。 |
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マホメットは己を故國より追ひ、己が信者を追害せる仇敵を見て無限の感慨に滿たされぬ。 |
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翌朝マホメットはアブ・ソフィアンを見て曰く |
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『さて、アブ・ソフィアンよ、~の他に~なきを知るべき時は遂に來れるや。』 |
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『余は旣に知れり』とアブ・ソフィアンは答ふ。 |
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『可し而して今や爾が~の使徒と余を承認する時にあらずや。』 |
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『爾は余の父母よりも余にとりて親愛なり。然れども、余は未だ爾を預言者と認めず』とアブ・ソフィ アンは答ふ。 |
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軈てアブ・ソフィアンの深恨もマホメットの溫かなる友情に融かされぬ。 |
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彼はマホメットの軍勢u々多きを加へ、訓練甚だ整へるに驚きぬ。 |
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彼は急ぎメㇰカに歸り、市民に說くはマホメットの軍勢の恐るべきを以てし、何等の抵抗なく彼を迎へ入れんことを諭しぬ。 |
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軍勢は人なきクを行く如く、メㇰカの門に達す。 |
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時は昧爽にして旭日東天に登りて勝利者の榮光を揩ケり。 |
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されどマホメットは、順禮者の質素なる衣服を着し、いと謙遜に見受けられぬ。 |
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マホメットは直ちにカアバの~殿に赴く。 |
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これぞ彼が幼時の敬虔を献げし所なり。 |
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彼は~殿を七周し、聖なる儀式を擧行せり。 |
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マホメットは、カアバよりゼム、ゼムの井に至る。 |
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こはハガルとイスマエルとに天使の示せる井として、彼が神聖視したるものなり。 |
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彼は茲に再び~を祭り、而して多くの人民を集めて、彼が信仰の原理を說ヘせり。 |
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聴衆は一聲に叫べり。『~は大なるかな。~の他に~なし。マホメットは~の預言者なり。』 |
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儀式の了りし時、マホメットはアハサフハの小山に宿所を取りぬ。 |
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メㇰカの人民は老若男女の別なく、彼が前を過ぎりて、~の預言者として彼に忠信ならんことの誓をなせり。 |
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其の中にアブ・ソフィアンの妻ヘンダあり。彼女はマホメットの足下に跪き、『妾はヘンダなり、赦せよ、赦せよ』と叫べり。 |
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マホメットは彼女を赦せり。 |
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マホメットは是に於てカアバの~殿を潔め、メㇰカにある凡ての偶像を取毀たしめしのみならず、近隣の町村に於ける偶像をも破壞し去りぬ。 |
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斯くしつ彼はメㇰカの支配權を己が掌中に收めしなりき。 |
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マホメットと乳母 |
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マホメットは此の頃幼き時己を養育せる乳母ハレマに邂逅せり。 |
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徒弟の一人は言ふ、『余が預言者と坐れるに一人の婦、突然我等の前に現はれぬ。 |
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彼は起上りて、己が衣服を腰掛に擴げて婦を坐らしめぬ。 |
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婦の去れる時、そは預言者を哺乳みたる婦なりしこと語られぬ。』 |
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母の墳墓に詣づ |
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母の亡骸の埋葬せらるるアラブワの村落に入れる時、マホメットは其の幼き時、永の別れをなせる母の面影を偲びて彽徊去る能はざりき。 |
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彼が定めたる律法によれば、不信仰のまゝに死せる者の墓を參拜するを禁じぬ。 |
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されど其の餘りに懷しきものから、一度この禁戒を寛めんとせり。 |
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母の墳墓を見るや、淚は兩頰に傳はりて、親子の愛情に咽びぬ。 |
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彼は悲しげに曰く、 |
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『余はわが母の墓を參拜することを~に乞ひしに、~は許したまへり。 |
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されど母のために祈りせんことを乞へるに、そは許されざりき。』 |
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貢物の徵集 |
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預言者として、はた征服者として、マホメットの名聲は亞剌此亞全土を震動す。 |
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遠方の種族の使者は踵を接して來り、或は預言者として彼を承認し、回ヘを奉ずべきことを告ぐるあり。 |
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或は君主として彼を尊び、貢を入れんことを欲する者もありき。 |
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是に於てマホメットは政治家的手腕を以て喜捨物といふ名稱を用ひて入貢の法を定む。 |
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曰く、眞正の信者は水運の便よく、豐饒の地より十分の一を獻じ、灌漑に依ッて生產する地より二十分の一を貢すべし。 |
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十頭の駱駝より羊二頭。 |
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四十頭の家畜より牝牛一頭。 |
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三十頭の家畜より二年生の犢。 |
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四十頭の羊より一頭の羊を納むべし。 |
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此の割合よりも尙ほ多く喜捨する者は、~の眼より一層敬虔なる者と見らるべしと。 |
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作詩の挑戰 |
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此の入貢法定まるや、タミムといふ傲慢なる種族は、これに反抗し、稅吏を追ひぬ。 |
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而して辯說家として、詩人として有名なる者を遣はし、マホメットの前に出で、散文と詩との競爭を求めしむ。 |
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『余は詩人として~より送られし者にあらず、又演說家として名聲を求めず』とマホメットは答へり。 |
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されど其の徒弟の一人は、此の挑戰に應じ、難なく挑戰者を沈默せしむ。 |
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斯かる詩の競爭はマホメットを深く樂しましめぬ。 |
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詩歌の趣味 |
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マホメットが詩歌の趣味に豐かなりしことは掩ふべからず。 |
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メㇰカの有名なる詩人カァブ・イブン・ゾヘエルは、甞て詩を作りてマホメットを罵り、メㇰカ占領の際、遁走せし人なり。 |
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今や彼はメジナに來りマホメットに近親し、傑作として許されたる詩を作りて彼を讃歎しぬ。 |
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マホメットは深く其の詩をスびて、彼を赦せるのみならず、己が外套を脫ぎて、之を其の肩に投げかけぬ。 |
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詩人は生涯の間その聖衣を保存して、万金を積まれても、それを他に讓るを拒みしといふ。 |
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シリア遠征の失敗 |
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マホメットは、今や改宗と征服とに依ッて亞剌此亞全土の君主たるに至りぬ。 |
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彼は今や傳道と權力擴張の爲めに外國を征せんとするに至れり。 |
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ミュタの戰にて痛く味方を惱ませるシリアこそ、彼が第一に眼を注げる所なりき。 |
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其の爲め莫大の準備はなされぬ。 |
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マホメットは其の不在中、アリを以てメジナの知事、己が家族の保護者となせり。 |
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アリは重大なる責任を以て此の名譽を受けたり。 |
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マホメットのアリを重んずるや、實にモーセとアーロンとの親交も啻ならざりしなりき。 |
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マホメットは從屬せる軍隊は、炎熱酷だしき時候のために痛く惱まされ、二日目には逃亡者踵を接するに至りぬ。 |
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軍勢は疲れし旅路を續くること七日、山嶽秀づるハヤルの地方に至る。 |
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こは古來より呪はれし地と稱せらるゝ所、小川流るゝと雖も、飮むに適せざるなり。 |
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然れども軍勢は傳說を忘れ、其の水にて食物の調理をなし、又水浴をなせるなりき。 |
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マホメットは、疲れたる者を助けんために例の如く後陣にありしが、今や軍勢の停在せる所に來り、幼時此處を過ぎる時、傳說を聽きしことあるを想ひ起し、調理せる食物を捨てしめぬ。 |
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水あれども飮むを得ず、軍勢は渴の苦を忍んで進み、森あり牧場ある沃野に至りて、營を張る。 |
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其の近隣の種族は使者を遣はしてマホメットを預言者と承認する旨を通ぜり。 |
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然れども此の行シリアにまで至るを得ず、中途空しく軍を還せり。 |
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マホメットの獨息子死す |
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マホメットの心を最も悲しめしは、愛妾マリヤの生めるイブラヒムの死せること是れなり。 |
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こは生れて十五個月の幼兒なれど彼が獨息子として父の愛を一身に集めしものなり。 |
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マホメットは、其の死を悲しんで曰く『わが心情は痛し。我が眼は爾との別れに淚溢る。 |
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わが子よ、若し我間もなく爾に次ぐことを知らざるならば、わが悲痛は一層大ならん。 |
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我等は~のもの、~より我等は來る。~に我等は還るべきなり。』 |
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誠にイブラヒムの死は、マホメットを墓に導ける一大打擊にてありき。 |
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絶えざる心勞は、彼が身體を損すること甚だしき上に、甞て口に含める毒藥は其の體質を變ぜるなりき。 |
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最後のメㇰカ行 |
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マホメットは、餘命いくばくもなきを悟れるものからメㇰカに最後の順禮を企てぬ。 |
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此の計畫を聽ける多くの種族の敬~家は、皆この行に加はらんとせり。 |
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メジナの街道は、ゥ市より來れる人々に群集せらる。 |
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マホメットは、九人の妻と同行す。 |
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隨へる順禮者十四万人ありしといふ。 |
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多くの駱駝は、花環を以て飾られ、犧牲として曳かれぬ。 |
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マホメットは、メㇰカを占領せし時と同じく『~聖』の名を保てるベニ・シャイバの門よりメㇰカに入る。 |
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アリはエーマンより急ぎ來りて一行に結び付けり。 |
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順禮の模範を示さんとて、マホメットは嚴肅なる儀式を執行せんとす。 |
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されと餘りに身禮疲勞して徒歩する能はず。 |
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駱駝に乘りて~殿を七周せり。 |
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駱駝を犧牲にするや、マホメットは己が年齡に從うて自ら六十三頭を殺す。 |
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アリも其の年齡に從うて三十七頭を殺せり。 |
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而してマホメットは己が髮を剃りぬ。 |
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其の髮の毛は従弟等に分與せられ、~聖なる遺物として寶藏せらるゝに至りぬ。 |
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マホメットは最後に臨みて其のヘ理を信者等の心情に深く刻みつけんとて、カアバの聖壇、又は戶外に駱駝の脊に乘りて、屢々說ヘしぬ。 |
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彼は幾度も口を開きて曰く『今後再會を期し難きを以て、余が言を聽けよ。 |
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あゝ我が聽衆よ、余は只爾曹の如く人間なり。死の天使はいつか現はれ、余は其の召喚に從はざるべからず。』 |
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彼は此の語に次いで、~の獨一なること、マホメットは其の預言者にして使徒なることを說明するなりき。 |
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マホメットは、己が生れし市に訣別せんとし、聲を張りあげて叫んで曰く |
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『~は大なるかな、~は大なるかな。~は獨一なり。二あらず。~は王國なり。~にのみ讃美は屬す。~は全能なり。 |
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~は約束を成し遂げたり。~は僕を助け、敵を散らせり。我等をして家に還り、~を拜し~を讃美せしめよ』 |
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第八章 晩年、其の性格 |
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シリア遠征軍 |
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出奔の第十一年僞預言者アラスワド、モセイルマの二人シリアに起れりと聽き、强大なる軍勢は、シリア遠征のために整へられぬ。 |
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廿一歲の年オサマ之が司含官たり。 |
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オサマはマホメットの忠僕ザイドの子なり。 |
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ザイドは預言者に對する尊崇の證として、其の美しき妻ザイナブを彼に贈れるもの。 |
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彼はミュタの戰爭にて、信仰のため花々しき戰死を遂げぬ。 |
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マホメットはザイドの功勳を懷うて、其の子に此の重任を負はしめしと知られたり。 |
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然れども、此の年司含官にて軍隊の統一困難なると知れるものから、 |
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マホメットは軍隊に告ぐるに、其の父ザイドを將とせる心掛を保つことを以てしぬ。 |
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彼はオサマに與ふるに軍旗を以てし信仰のため善き戰をたゝかへよと命じぬ。 |
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軍勢は其の日進みて、メジナより數哩、ドヨルフに野營を張る。 |
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されどそれより進む能はざる事情こそ起れり。 |
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マホメットの危篤 |
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その夜マホメットは旣に痼疾となれる病魔に嚴しく襲はれぬ。 |
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其の痼疾はカイバルにて與へられし毒藥のためなりともいふ。 |
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甚く頭痛し、眩暈これに伴ひ、體軀戰き慄ふ。 |
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マホメットは起上ソて一人の奴隷を呼びぬ。 |
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公立の埋葬場に己を伴れ往けと命ぜり。 |
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暗Kにして睡闌なる沈默の市中を過ぎて、郊外の大なる埋葬場に達す。 |
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墳墓の中央に於て、マホメットは聲高く、そこに住へる者共に告ぐ。 |
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語は嚴として短かし。 |
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『スべ爾曹墳墓に住へる人々よ。爾曹の醒めんとする朝は、生ける者共の目醒むる朝に比して、いとも平和なるかな。 |
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爾曹の狀態は生ける者共に比して、いとも幸なり。~は爾曹を脅かせる暴風より爾曹を救へり。』 |
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死人のために斯く祈りて、軈て己が奴隷に告げぬ。 |
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『選擇の權は余に與へらる。 |
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時の最後まで、此の世に生殘りて、凡ての歡樂をスぶべきか、又~の面前に直ちに還るべきか、何れも意の儘なれど、余は後者を選べり。』 |
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この時よりして、マホメットの病勢は大に揩オぬ。 |
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されど彼は常に爲せる如く日々その多くの妻の住居に宿所を變へぬ。 |
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彼が危篤に陷れる時は、マイモナのっ住居にありき。 |
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彼は愛妻アエシャの住居に於て其の最後の刹那を過さんことを欲せり。 |
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アリ及びファダルの兩人に支へられ、苦しき息をつきつゝアエシャの住居に赴く。 |
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アエシャは此の時嚴しき頭痛を覺えて、癒さんことをマホメットに求む。 |
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『何のために癒ゆるを欲するや』とマホメットは言ひぬ。 |
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『御身が余の死に先立ッて此の世を逝るは善き事にあらずや。 |
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然らば余は御身の眼を閉ぢしめ、屍衣を御身に着せ、墓に御身をたへ、御身のために祈るべし』 |
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『然り』とアエシャは言ふ。『妾死せば、他の妻の一人に此の住居を與へたまへ』 |
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マホメットは此の嫉みの語に心を慰め、親切なるアエシャの看護を受けぬ。 |
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生殘れる彼が獨りの愛子、アリの妻フアチマは、父の病を見んとて來れり。 |
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フアチマは預言者の最も愛する所、彼女の來るや、腕を擴げて之を迎へ、接吻し、己が坐せる所を彼女に讓るを慣ひとせるほどなりき。 |
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此の時の對談も、アエシャに依ッて傳へられぬ。 |
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『善く來れり、我が兒よ』と言ひて預言者は己が側にフアチマを坐らしむ。 |
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何事か彼女の耳に咡きけるに、フアチマは泣きぬ。 |
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その悲嘆を憫みて、マホメットは再び何事か咡きしに、フアチマの容貌は歡喜に輝きぬ。 |
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『何事ぞや』とアエシャはフアチマに問ひぬ。 |
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『預言者が御身に對する如く、其の妻の一人だも信任せることなし。』 |
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『妾は~の預言者の秘密を公言する能はず』とフアチマは答へぬ。 |
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然しマホメットの死後、フアチマの言ふ所によれば、預言者は先づ己が死に瀕せることを告げぬ。 |
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而して彼女の泣くを見るや、彼女も間もなく父の後を追ひ、天國に於て女王たるべきことを知らせしなりしとぞ。 |
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病床の第二日に於て、マホメットは燃ゆるが如き熱に苦しみぬ。 |
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頭となく體軀となく、幾度も水を注ぎしかど、內部の熱は减ずべくもなし。 |
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マホメットは苦しき中に言ひぬ。 |
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『カイバルの毒藥は發せるなり。內臟裂けるばかりなり』 |
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最後の說ヘ |
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病苦やゝ减ずるや、マホメットは、徒弟に助けられて其の住居に接近せる會堂に赴けり。 |
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其の聖壇に跪きて熱心に祈れり。而して後堂に滿つる會衆に語りぬ。 |
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『爾曹の中に心に痛みある者あらば、その人をして、~の赦しを受けんために懺悔せしめよ』 |
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一人あり、起立して、己は僞善者、虛言者、弱き信者なることを告白しぬ。 |
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マホメットは其の者のために、眼を天に擧げて祈りぬ。 |
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『おゝ~よ、誠實と信仰とを彼に與へたまへ。彼の心に爾の命令を充たして、其の弱きを强めたまへ。』 |
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再び會衆に向ッて、マホメットは言ひぬ。 |
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『爾曹の中に、余に擊たれたる人ありや。此處に我が脊あり。余を撃ちかへせよ。 |
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爾曹の中に余に誹謗せられたる者ありや。然らば今余を非難せよ。 |
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爾曹の中に余に害を蒙らされし者ありや。然らば今前に進み出でて、賠償を受けよ。』 |
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是に於て會衆の一人はマホメットに銀三片を貸せしことを想ひ浮べぬ。 |
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そは直ちに利息をつけて仕拂はる。 |
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預言者は曰く、『永劫に罰を受けんよりは、此の世の罰を受くるは、いと容易なり。』 |
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彼は今やオホドの戰場の露と消えし信者、又他の戰爭にて信仰のために苦難せる者共のため熱心に祈りぬ。 |
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而して後、彼はメㇰカより共に遁れたる同伴者のことを想うて、彼等こそ我が家族なりと言へり。 |
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信者は揩ウん。されど其の時の同伴者の數は揩キ能はず。 |
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故に爾曹は彼等を尊敬して、彼等に善をなす者を善くし、彼等に敵する者と絶交せよと言へり。 |
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軈て三個條の訣別の命令を與ふ。 |
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第一 亞剌比亞より凡ての偶像信者を追放せよ。 |
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第二 凡ての改宗者は平等なる權利を與へよ |
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第三 絶えず祈禱を献げよ。 |
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其の說ヘ勸告の終へし時、マホメットはアエシャの住居に運ばる。 |
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絶息せんばかりに疲勞して見られぬ。 |
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預言者の病狀は日に日に惡し。 |
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されどマホメット死せりとの風評傳播して人心恟々たりと知らさるゝや、水浴して元氣を强め、再び會堂に赴きて聖壇に坐しぬ。 |
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祈れる後、会衆に告げて曰く、『余は聽けり、爾曹の預言者の死せりといふ風評が、爾曹を愕然たらしめしことを。 |
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然れども余の前の預言者にして、永遠に生存せる者ありや。爾曹は余が決して爾曹を離れずと想へるや。 |
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萬の事は~の意に從うて起る。急ぐべからず、避くべからず。余は余を遣はせる~に還る。 |
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爾曹に對する余の最後の命令は、爾曹が心を一にせんことなり。互に愛し、互に尊重し互に保護せんことなり。 |
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爾曹互に信仰を励まして、善き行をなせよ。人は斯くして榮ゆ、然らざる者は滅びに至るべし。』 |
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マホメットは、此の訓戒を結んで曰く、『余の逝るは唯爾曹の前よりなり。爾曹も間もなく余の後を追ふべし。 |
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死は我等凡てを待てり。如何なる者も余が死せんとするを妨げしむる勿れ。余が生涯は爾曹にuをなせり。余が死も亦然らん。』 |
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此の語を遺して彼はアリ、アブバスの兩人に助けられてアエシャの住居に還る。 |
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終焉 |
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其の翌日病少しく閑あり。 |
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従弟等は皆その病床を離れ、アエシャ獨り彼を看護せり。 |
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然れども苦痛は再び勢を返しぬ。 |
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死の近つけるを感じて、マホメットは其の奴隷を凡て自由にし、其の家に貯蓄せる金を凡て貧民に配分することを命じぬ。 |
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軈て眼を天に向けて、『~よ、死の刹那に於て、我と偕にあれ』と叫びぬ。 |
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アエシャは人を遣はして急ぎ其の父及びハフザを呼び來らしむ。 |
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而して其の膝に預言者の首を載せ柔しく其の死の苦痛を撫はりぬ。 |
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絶えず水を以て彼が頭を冷す。 |
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マホメットは軈て其の眼をあげて、『おゝアラアよ、然あれ。聖樂園の光榮ある集會のうちに』と斷切の聲にて叫べり。 |
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アエシャは其の後語りて曰く『妾は、最後は遂に來りて、其の靈、天に歸することを知りぬ。』 |
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數瞬にして彼の手は冷え、三寸息絶えぬ。アエシャは彼の首を枕に置き、己が頭と胸とを叩きつゝ、聲高く泣き悲しみぬ。 |
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其の泣き聲に驚きて、マホメットの他の妻等も飛び來れり。 |
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悲嘆は忽ち全市に及ぶ。 |
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凡ての人は業務の手を止めぬ。 |
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出發せるオサマの軍勢は、中途にて行を返し、預言者の門に其の軍旗を飜せり。 |
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集ひ來れる徒弟等は、彼の死骸を見て議論せり。 |
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其の死せるを信ぜずして叫びぬ。 |
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『彼は如何はして死せるや。彼は~の仲保者にあらずや如何にして彼は死せるや。不可能! |
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彼は只氣絶せるなり。基督その他の預言者の如く天に登るべし。』 |
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群衆は騷然たりき。 |
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オマア、アブベケルの二人は、彼等を鎭撫し、其の眞に死せることを說明せり。 |
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衆皆淚を垂れて默然たり。 |
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享年六十三歲、その死せるは彼が誕生日にてありき。 |
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出奔の歳より十一年、基督紀元六百三十二年にてありき。 |
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亡骸は香料に包まれ、三日保存せらる。亞剌此亞の風習に從うて、其の眞に死せるかを確めんためなり。 |
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徒弟等は何處に其の亡骸を葬るべきかに就いて議論せり。 |
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メㇰカの信徒等は、彼がク里なる故にメㇰカに葬るべし、と言ひ、 |
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メジナの人々は其の晩年の住所なる故に、メジナを主張し、 |
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第三の派は預言者の墳墓としてエルサレム最も適當なることを告げぬ。 |
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されど衆人に敬重せらるゝアブベケルは、其の死せし場所に葬られんことこそマホメットの遺言なりとて、 |
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アエシャの家の床下、其の絶息せる處に彼を埋むることになしぬ。 |
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預言者の亡骸は永遠にそこに休めり。 |
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マホメットの風釆、態度 |
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彼の才能 |
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彼の嗜好物 |
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彼の私生涯 |
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カーライルのマホメット論 |
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カーライルは英雄崇拜論に於て預言者としてマホメットを論じて曰く、 |
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『マホメットに就いて一般に流行せる假說は、彼が權謀ある山師、虛僞の權化にして、其の宗ヘは虛誇妄誕の堆積なりと云ふにあり。 |
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然れども、此の人に依ッて語られし言葉は、千二百年の間今に至るまで一億八千万の人々の生涯の指南車となれり。 |
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斯かる一億八千万の人々は、我等の如く~に依ッて造られし者なり。 |
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~の創造せる斯かる多數者が、他の人の語を信ずるよりは、此の時までマホメットの語を信ぜり。 |
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全能の~の創造せる多數人が、これに依ッて生き、それに依ッて死する其の宗ヘをば、靈的虛妄の可憐なる斷片と想像して可なるべきや。 |
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余は如何にしても、斯かる想像をなす能はず。 |
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『虛僞の人能く宗ヘを建設し得るや。 |
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吁、虛僞の人は煉瓦の家をも造るを得ざるなり、 |
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白堊、煉瓦、其の他使用すべき物品の性質を知り、眞正に其の性質に從ふにあらずんば、造る所のものは、家にあらず、塵芥の堆積のみ。 |
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千二百年の間、一億八千万の人を宿すこと能はざるは勿論、立どころに倒れん。 |
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人は自然法に自己を一致せざるべからず。 |
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誠に自然と交通し、事物の眞理に徹底せば、自然は其の人に應ずべし。然らずんば、凡て不可なり。 |
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このマホメットをば、吾人は虛妄者、又は役者として考ふる能はず。 |
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憐れむべき野望ある山師と認むる能はず。 |
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彼が賦與せられし粗野の使命は、眞正なるもの、不可知の深淵より來れる最も熱誠なる混乱せる聲なり。 |
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此の人の語は虛僞にあらず、此の人の事業は輕浮騙瞞にあらず。 |
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自然その者の大なる奧底より投げ出されたる生命の激烈なる塊なり。 |
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世界に火を點ぜよと世界の創造者が命ぜるなり。 |
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『この深遠なる心情を有せる荒野の子は、煌々たるKき眼、公開せる深遠の靈性を以て、野望よりも他の思想を有せり。 |
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沈默せる偉大なる靈魂、彼は至誠なる外あり能はざる人、自然その者が眞摯なれと命ぜる人なり。 |
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他人が信條や傳說の道を歩み、そこに住うて滿足せる間に、此の人は信條の蔭に憩ふ能はず、 |
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自己の靈魂と事物の眞髓の共にあらんことを欲せしなり。 |
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實在の偉大なる不可思議、そは余が言ふ如く、彼を凝視せり。 |
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その恐怖を以て、その壯嚴を以て彼を凝視せり。 |
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こゝに我在りとは口言ふべからざる事實なり。 |
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傳說はこの事實を隱す能はず。 |
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斯かる至誠こそ、實に~聖なるもの、と謂ふべし。 |
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斯かる人の語こそ自然の眞髓より直接發露せる聲なり。 |
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『亞剌此亞の國民に對しては暗Kより光明の誕生せるなり。 |
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亞剌比亞は其の爲めに生くるを得しなり。 |
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憐れむべき牧羊の民、世界創造このかた砂漠を彷徨せる者共の中に、預言者たる英雄は遣はされ、彼等の信じ得る語にてヘへたり。 |
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見よ注目する價値なき處は、注目すべき世界となれる小さきものは世界大となれり。 |
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其の後一世紀ならずして、亞剌此亞はグレナダよりデルフイに至るまで剛毅、壯嚴、天才の光に閃めくに至れり。 |
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信仰は偉大なり、生命を與ふ。國民の歷史は、信仰に依ツて充實し、拐~高調し、偉大となるものなり。 |
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亞剌此亞人、マホメットなる人物、一世紀、こは注目する價値なきK砂の如き世界に、火花の落ちしに似たらずや。 |
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されど見よ、砂に落ちしは、爆發せる火藥にして、デルフイよりグレナダに至るまで天を焦すの火焔を揚げしにあらずや。 |
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余は言へり、偉人は常に天來の電光の如しと。他の人々は薪の如き偉人を待てり。 |
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而して軈て彼等も亦燃ゆるに至るなり。』 |
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第九章 回ヘの信仰要領 |
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マホメットは新宗ヘを創立せず |
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回ヘの信條に就いて |
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~に對する信仰 |
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天使に對する信仰 |
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コーランに對する信仰 |
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預言者に對する信仰 |
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復活と最後の審判に對する信仰 |
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宿命に對する信仰 |
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Office Murakami |