反キリストAntiChrist
著者 フリードリヒ・ニーチェ
書名 「全ての価値の再評価」 第一巻 反キリスト。キリスト教批判の試み。
刊行 1888年
インンターネットに公開されているニーチェ著「全ての価値の再評価」の第一巻「反キリスト」のドイツ語原文とその英訳文から日本語に訳してみました
ニーチェの「反キリスト」は反イエスではなく反使徒(パウロ)です。全62章のうち反使徒(パウロ)を記している章から訳していきます
内容
40章 イエスの十字架上の死を弟子たちは許さず敵に復讐する為イエスを神の一人息子としました
41章 聖パウロ「キリストが死者から復活しなかったなら私たちの信仰は全て無駄です」破廉恥な思考
42章 パウロは救い主の命を必要としませんでしたパウロが必要としたのは十字架上の死でした
40章
福音の運命は死によって決まりました
それは十字架の上に垂れ下がりました
それは単なる死でした
それこそ予期せぬ恥ずべき死
それは単なる処刑用十字架でした
十字架はいつもごろつきだけに用意されました
それは唯一のこのぞっとする矛盾でした
この矛盾は弟子たちを現実の謎に直面させました
wer war das?
それは誰であったか?
was war das
それは何であったか?
深刻な侮辱と無礼への狼狽の感情
そのような死は彼等の正当な理由の反証を必要とするかもしれないという疑い
ぞっとする質問
何故このやり方で正しいのか?
この心理状態は単純過ぎて理解出来ないだけです
ここに
全ての事は必然として説明されなければなりません
全ての事には必要です
意味が
理由が
しかも最高度の理由が
一人の弟子の愛は全ての偶然を排除します
その時になって初めて疑惑の淵が大きく口を開けました
誰が彼を死なせたのか?
誰が彼の本来の敵だったのか?
この疑問が稲妻の一撃のように閃きました
有力な答えは
ユダヤ教
それの支配階級
その瞬間から
人は確立された体制に反乱する己を見出しました
そしてイエスを確立された体制に対する反乱者として理解し始めました
その時まで
この好戦的な要素は
この批判の言動の要素は
彼の性格の中に欠けていました
その上
イエスはその逆を示しているように見えました
明らかに
この小さな団体は理解していませんでした
全ての中で何が正に最も重要な事だったのか
この死に方によって提示された手本
ルサンチマンのあらゆる感情からの解放とそれに優ること
ルサンチマン全てでイエスが如何に理解されなかったかという明らかな徴
イエスが彼の死によって成し遂げることを望むことが出来た全ては
それ自身の中に
最も強力な可能性がある証拠を提示することでした
つまり彼の手本
最も公の方法で教えること
しかし彼の弟子たちは彼の死を決して許しませんでした
そうすることが福音と最高に合致したにも拘わらず
そして彼等は彼等自身を捧げる用意もしませんでした
優しくて穏やかな心の静けさと共に
同様な死の為に
反対に
それは正しく最も反福音的な感情でした
復讐
それが今や彼等を捉えていました
それは不可能のように思われました
彼の死と共にその原因が消え去ることは
償いと裁きが必要になりました
けれども何とこれより福音的でないものが在り得るでしょうか
償い
懲罰
そして裁きに参加すること
もう一度
救い主がやって来るという世俗信仰が最前面に現れました
一つの歴史的瞬間に注意が引き付けられました
神の王国が到来する時
イエスの敵たちへの裁きと共に
しかしこの全てに
大きな誤解がありました
神の王国を考えることは
最後の行為として
単なる約束として
福音は
実に
顕現です
実現です
具現です
この神の王国の
今や
全くお馴染みの軽蔑と敵意が
ファリサイ派や神学者に対する
主の性格の中に現れ始めました
それによってイエスは彼自身をファリサイ派や神学者の一人に変えられました
一方
こうした完全に不安定な魂の猛烈な崇拝は
最早福音の教えに我慢出来ません
イエスによる教え
全ての人々の平等の権利について
神の子供になるという
彼等の復讐は永遠の形を取りました
イエスを途方もない方法で
そしてこのようにイエスを彼等から離しました
全く同じように
その昔
ユダヤ人たちが
彼等の敵に復讐する為
彼等の神から彼等自身を離して
神をとても高い所に置きました
Der Eine Gott und der Eine Sohn Gottes: 
一つなる神と神の一人息子は
Beides Erzeugnisse des ressentiment ..
共にルサンチマン(恨み)の産物でした
41章
そしてその時以来一つの不条理な問題が起きました
どうして神はそれを許すことが出来るのか
それに対して小さな共同体の錯乱した理性は
その不条理にゾッとする答えを考案しました
神が彼の息子を罪の許しの為に生贄として与えた
同時に福音が終わりました
罪の為の生贄
しかもその最も醜悪で野蛮な形で
罪人の罪の為に罪なき者の生贄
何と最悪の異教徒的精神
 Jesus hatte ja den Begriff ≫Schuld≪ selbst abgeschafft, 
イエス自身は正にその罪の意識の概念を排除しました
er hat jede Kluft zwischen Gott und Mensch geleugnet, 
神と人の間に何か一定の隔たりがあることをイエスは否定しました
er lebte diese Einheit von Gott und Mensch als seine 
イエスはこの神と人の一致を実践しました
frohe Botschaft≪ ..
これが正に彼の良い知らせでした
そして単なる特権としてではなく
この時以降この救い主の型は腐敗していきました
少しずつ
審判と再臨の教義によって
生贄としての死の教義によって
復活の教義によって
至福の完全な概念が
福音の完全で唯一の実体が
不正操作されることによって
死後の存在の状態の利益の為に
聖パウロ
ラビの厚かましさ
それは彼の全ての行為の中に示されるものです
その思考に論理的な質を与えました
その破廉恥な思考に
このように
wenn Christus nicht auferstanden ist von den Todten, 
キリストが死者から復活しなかったなら
so ist unser Glaube eitel≪. 
その時は私たちの信仰は全て無駄です
そして同時に福音の中から生じました
全ての実行不可能な約束の中で最も卑劣なものが
個人の不死という恥知らずの教義が
パウロはそれを説教することさえしました
報酬として
42章
今や人は分かり始めています
十字架jの上の死によって終わりを迎えたそれが正に何であったのか
新しくて完全に独創的な取り組み
仏教の平和運動を創設する為
そして地上の幸福を確立する為
単なる約束ではなく真の幸福を
何故ならこれが
私が既に指摘したように
二つの堕落した宗教の間の本質的な違いとして残っているから
仏教は何も約束しません
しかし実際に成就します
キリスト教は約束します
全てのことを
しかし何も成就しません
福音のすぐ後
想像出来る限り最悪なものがやって来ました
パウロの福音が
パウロによって体現しました
福音の使者と正反対のことが
彼は示します
憎しみへの才を
憎しみの幻を
憎しみの容赦ない論理を
何を
実に
この福音伝道者は憎しみの犠牲としなかったか
中でも
救い主を
パウロはイエスを彼自身の十字架に釘付けにしました
その命を
その手本を
その教えを
キリストの死を
福音全体の意味と法を
この全ては何一つ後に残りませんでした
憎しみの偽造者が彼の使用目的にそれを変えた後
確かに現実ではありません
確かに歴史的事実ではありません
もう一度ユダヤ人の聖職者本能が犯しました
歴史に敵対する昔から全く同じ最高の罪を
パウロは簡単にキリスト教の昨日と一昨日を削除しました
そしてパウロ自身のキリスト教徒になり始めの歴史を捏造しました
更に続けて
パウロはイスラエルの歴史を加工しました
別の偽造のものに
その為それはパウロの偉業の単なる序幕になりました
全ての預言者たちは
今や現われて
パウロの救い主に言及しました
後に教会ですら改竄しました
人の歴史を
それをキリスト教の序幕にする為に
救い主の姿
救い主の教え
救い主の生き方
救い主の死
救い主の死の意味
救い主の死の結果さえ
手つかずで残ったものは何一つありません
現実とごく僅かでも接点のあるものは何一つありません
パウロは単に移しました
その生涯の重心を
この実在を無視した場所に
イエス復活の嘘に
根本的に
パウロは救い主の命を必要としませんでした
パウロが必要としたのは十字架上の死でした
そしてそれ以上の何かでした
パウロの故郷はストア学派啓蒙主義の中心地でした
パウロのような人の中に正直な何かを見出すことは
パウロが幻覚を救い主の復活の証拠に変更する時
或いはパウロ自身この幻覚に苦しんでいたという彼の話しを信じることさえ
これは心理学者には本物の馬鹿げたことでしょう
パウロは目的を望みました
それ故にパウロは手段も望みました
パウロ自身信じなかったことが
パウロが彼の教えを広めた馬鹿たちによって直ぐに十分に鵜呑みにされました
パウロが欲したことは権力でした
聖職者パウロはもう一度権力に手を伸ばしました
パウロは使いました
集団で組織化した大衆に君臨する目的に役立つような考えと教えと象徴だけを
何だったのか?
マホメットが後に借りたキリスト教の唯一の部分は
パウロの発明
パウロの考案物
聖職者の君臨を確立し大衆を組織化する為に
Unsterblichkeits-Glauben – 
不死(霊魂不滅)の信仰
即ち
die Lehre vom ≫Gericht≪..
審判の教義
LongLife MuraKami